2004年7月日記帳


[31日(土)] ゴールデン・エイジ 異文化探訪記 アルバム参照

 一昨日読んだゴールデン・エイジの異文化探訪記前半を含めて、記録写真のアルバムを見ながら全部読み直した。第三部異文化探訪記十二章のうち七章までは一昨日記録した通りであり、八章以下は次に示す通りである。
 Gニュージーランド ハイライト、H感動の中東紀行 シリア、ヨルダン、イスラエル、Iロンドン、パリ 家族旅行、J旧東独・東欧七ヶ国巡り、K新緑のロシア・北欧四ヶ国の旅

 アルバムをみながら本文を読むと、確かに単に文章を読むだけと比べるといろいろと思い出す事が多い。ロシアのサンクトペテルブルグにあるエルミタージユ美術館など、フラッシュをたかなければ写真がとれるので随分沢山の名画をスナップしてしまった。しかしアルバムが訪れた所全てをカバーしているわけではないこと、時間の経過か少し画面の暗いものもあったりして、多少分かり難い所もあった。ただガイドや同行者については、特定の人を除いて、残念ながら記憶にないものが多い。それにしても単に本文を読んで得られる記憶に比べれば、アルバムによってかなりの情景が頭に浮かぶようになった。

 これでようやく「激動の昭和一代記」と「ゴールデン エイジ」を読み直したが、尚「続ゴールデン エイジ」とHPの「続々GOLDEN AGE」が残っている。続ゴールデン エイジは第一部喜寿を迎えて(四章)、第二部知的好奇心の探求(九章)、第三部異文化探訪記(十二章)となっており、明日以降精力的に読んでゆきたいと思う。


[30日(金)] 八ヶ岳から下山、帰京、留守中の通信処理

 朝から荷物を片づけ、ゴミを生ゴミ、可燃物、不燃物に整理して朝09:20山荘を出発する。電気、ガス、水道はすぐ来場者があるというのでそのままとしておいた。途中ゴミ捨て場に立ち寄り、ビックリ市で安い高原野菜を仕入れて一路下山する。途中晴れ、曇り、小雨、豪雨と気象条件がぐるぐると変化する。小仏トンネルの先で交通事故があり渋滞との情報があり、少し早いが11:00前に談合坂に着いて昼食をとる。食後果たして元八王子の手前で8kmの渋滞で通過に約20分かかった。石川と山梨の乗用車の衝突事故であった。その他は順調で13:10には帰宅できた。

 帰宅後洗濯物を出してから、留守中の通信処理を行った。メールが65通入っていたが、ウィルスメールやふざけたメールが多く、まともなものは28通であった。又フォーラムの方も約50件くらいの発言があった。続いてNorton AntiVirusでウィルス・スキャンを行った。やや疲労気味であったので、2時間ばかり昼寝した。自分のベッドで寝るとほんとにほっとする。この前の北海道旅行の時も感じたが、和室での寝起きは大分苦手になってきた。それに比べ、洋室で快適なベッドに寝ると心から休まる。

 息子がマレーシアに赴任して仕事をしており、夏休みを利用して嫁と孫2人が明日マレーシアに行くので夕食を共にした。乗換案内で成田第二空港ビルまでの交通の便を調べ、余裕のある時刻表を作成してあげた。無事往復することを祈る。


[29日(木)] 雨中のゴルフでずぶ濡れ、ゴールデン・エイジ後半

 昨日は晴れていたのに今日は朝から雨が降っている。それでも予約しているので9時頃清里アーリーバード・ゴルフクラブへ行く。雨なのでお客は少し少ないらしく、予約した09:57より10分位スタートが早まった。ところがスピードが遅いのは相変わらず、更に途中から横風に吹かれてしまい、雨具をつけているにも拘わらず全身ずぶ濡れになってしまった。雨でスタート前の練習もできず、途中でボール2個なくしてしまい、散々であった。ただ昨日読んだゴールデンエイジにパットのコツが書いてあり、その通りやってみたらパットは好調であった。

 結局ハーフを終わって、このままでは風邪をひくおそれがあるので、ゴルフはあきらめて上がることとした。ゴルフ場で昼飯を食べてから八ヶ岳グレイスホテルへ行き、大浴場に入った。序でに広間で新聞を読み、昨日の株価、為替を調べた。又明日帰るのにガソリンが不足するおそれがあるので、ガソリンスタンドに寄ってハイオク・満タンをお願いした。

 予定外に帰ってきたので、昨日に続いてゴールデン・エイジの後半を読んだ。はじめに第四部明日を見つめては四章あり、@これからの生活、A現代日本社会の問題点、B平成維新実現の模索、C有終の美となっている。続いて第三部異文化探訪記は十二章あるが七章まで読んだ。@海外観光旅行、Aヨーロッパ旅行、Bアメリカ東部旅行、Cドイツ・オーストリア旅行、Dイタリア古都巡り、Eスペイン・ポルトガル旅行、Fギリシャ・トルコ・エジプト 古代文明の旅であった。

 第四部を読んでみて、たしかに最近は目先の議論が多く、将来の理想について長期的に論ずることがなくなったような感じがし、それこそ戦略研究所でも作って対処する必要があると感じた。又第三部の異文化探訪記では、今から十年以上前のことは大分記憶から消えており、それこそ家にあるアルバムでも見ながら読み直す必要があると思った。なかなか文字だけから昔の記憶を呼び戻すのは容易ではない。

 いよいよ明日帰るので、いろいろと後かたづけをした。


 

[28日(水)] 雑件、ゴールデン エイジ 前半

 早いもので八ヶ岳へ来て早くも4日目となり、明日又ゴルフ(台風の影響が不明だが)して明後日帰京する予定である。今日は一日後述の如く読書に励んだが、その他雑件として、午前には車で海ノ口自然郷の管理事務所に行って新聞により前日の株価・為替を調査し、売店でお茶の葉と、たまたま今朝ランプがきれたのでランプを購入した。午後は工事屋がきて床の土台の組み立て、溶接、土台へのセメント、塗装をやっていった。又散歩がてら美鈴池まで歩き、池の畔で読書した。

 一昨日読んだ激動の昭和一代記を書いたのが社長を辞めた翌年65才の時で、今日読むゴールデン・エイジを書いたのが古稀70才のときである。更に75才の時書いたのが続ゴールデン・エイジであり、現在書いているのがホームページの続々GOLDEN AGEである これらをベースに地域講座の原稿を作ってるので、事前に原文を読んでおく必要があるわけである。

 ゴールデン・エイジは四部構成で456頁あり、今日は前半の第一部古稀を迎えて、第二部素人の歴史道楽、合計245頁を読んだ。
 第一部は八章あり、@定年退職後の人生設計、A健康第一、B情報革命とパソコン、Cゴルフ、エイジシュートへの挑戦、Dデジタル・ピアノ、E毎月の講演会、F増加一途の各種OB会、G地域との交流、となっている。つまり70才の定年退職男性の日常生活を描いている。
 第二部は十五章あり歴史関係の読書で得られた知識を分かりやすく述べている。@歴史という名の娯楽、A人類の歴史、B暦の歴史、C意外な文明の歴史、D新しい世界史、E文明の出現と裏表、F文明の法則、G日本人、日本語、日本文化の起源、H日本建国の謎、I新しい日本史、J大東亜戦争と日米関係、Kヨーロッパの源流、L宗教の歴史、M日本人論、N未来の世界と日本、という構成になっている。

 第一部では言っている事とやっている事が違うではないかという反省すべき点がいくつかあった。第二部では暦の歴史を始めとして細かい点では記憶しきれていない点が数多くあった。しかしよく調べたものであると我ながら感心する。特にパソコン通信をやってフォーラムの中だけで親しい友人がいるが、我々の年代を最後にして、大東亜戦争に対する考え方がかなり違っていることと、占領軍の政策で国家の心棒を抜かれてしまったという感じがしている。日本国を世界の非常識から如何に立ち直らせるかが課題であり、そのような面で地域講座にぴたりであると思った。


[27日(火)] 清里アーリーバードゴルフクラブ、八ヶ岳グレイスホテル

 そもそも八ヶ岳までやってくるのは真夏でも野辺山でゴルフができるからである。今日は朝から晴れて日が照っており、半袖シャツでゴルフができた。野辺山カントリークラブが清里アーリーバードゴルフクラブと名前が変わったが、代金が前払い制になり、食事代金は別途現金払い、風呂は麓の八ヶ岳グレイスホテルの大浴場を利用するようになった。プレイ代(メンバー)3,750円、食事代(生ビール小+カレー)1,300円、風呂代300円、タオル代100円、合計5,450円であった。尚カレーには野菜が沢山ついていたのは有り難かった。又風呂代は通常500円のところゴルフクラブ利用者は300円に割り引きサービス券をくれたものである。

 朝07:00に起き、昨夜準備していたので07:30から朝食をとり、余裕があったが、08:30に山荘を出発し、09:00前にゴルフ場に到着した。出発の予約が10:04であったが、何とスタート出来たのは10:30であった。あまりゴルフをしたことがない連中が多らしく、プレーが遅いのには閉口した。前半のインで2時間40分、後半のアウトは3時間もかかり、終わった時は17:00になり一日仕事になってしまった。それ程暑くないのとスコアがよくて、前後半ともパーが4個、ボギーが5個ですんだのは救われた。エイジシュートを狙うにはこのゴルフ場は最適である。

 帰りにゴルフ場の麓の入口にある八ヶ岳グレイスホテルに寄り、大浴場に入る。たまたま空いていて気持ちよかった。このホテルはJRの最高地点の近くにあり、名前が変わったらしい。序でに宿泊条件を聞いてみたが、八ヶ岳高原ロッジに比べると断然安く、それ程早く申し込む必要もないようである。序でに広間で新聞を見て、昨日の株価、為替を調査した。又帰途の途中にあるビックリ市でトマトとレタスを購入した。

 帰宅したら18:00を過ぎており、早速夕飯の支度にかかり、夕食後久しぶりに何もせずテレビをみて過ごした。


[26日(月)] 文明の歴史学、散歩、激動の昭和一代記

 朝起きてみたら雨が降っており、室内の気温も14℃位で、長袖のシャツでも寒くて鼻水がでるのでジャンパーを着て凌いだ。昼も曇りで時々雨が降っていたが、室内の気温はとうとう20℃以下であった。朝食の支度に意外に手間取り、これでは明日ゴルフに出掛けるのに具合が悪いので、今日中にできることはやっておくことにした。

 昨夜日記を書いた後で、網野善彦の「歴史としての戦後史学」を読んだ感想で「戦後歴史学の五十年」という文章を、続々GOLDEN AGEのコラムにアップした。
 今朝は前から扱い兼ねていた小林多加士の「文明の歴史学」の感想文を書こうと思って、ふたたび目次やあとがきを読み直してみたが、やはりピンとこない。このような事はいままでない事であったが、どうもこの著者の文章は焦点がはっきりしない。何を言わんとしているのかがつかめない。従って残念ながら読後感をまとめることはあきらめた。
 昨日の谷沢・渡部両氏の推薦図書の方が面白く読めるような気がする。

 今日は散歩に八ヶ岳高原ヒュッテから森の細道を通って八ヶ岳高原ロッジへ行った。近道かと思ったが、結構距離があった。ロッジで来年のため、宿泊条件を調査したが、一人だと結構高い。これだと清里アーリーバードが勧めている八ヶ岳グレイスホテルの方が格安であるが、そちらは明日調べることにした。自炊は面倒だが、ホテルに泊まると結構高い。それに夏は少なくも2ヶ月以上前に予約が必要と言われた。結論は明日調査したあとで決めることとする。

 来月の大田区の地域講座に「定年後の人生の楽しみ方」と「最も経済的な趣味・読書による発見」を講義すべくPower Pointで資料作成をしたが、その一環で修行時代、職業時代の自分史「激動の昭和一代記」270頁を一気呵成に読んだ。あらためて読んでみると、われながらなかなか面白く、かつ生き生きと書かれている。忘れていたことを思い出したり、書かれていることが思い出せない所もあったが、少なくも修行時代と職業時代に関しては悔いない人生だったと言える。反面誰にも頭を下げずに、やりたいことを強引にやりとげたものだという感じもした。戦争、敗戦、食糧難、復興、技術革新、国際化、と変化の激しい時代が背景になっている事もあらためて感じた。


[25日(日)] 八ヶ岳高原へ移動、早速自炊、散歩、読書

 午前09:10自宅を出発し、玉堤通り、国領を経て調布から中央高速に乗る。途中2時間弱で甲府の先の双葉SAで休憩しアイスクリームを食べる。結構気温が高いし、高速で飛ばしてきたので一息入れた。須玉で高速を下りる。SUDAMAだと思っていたら、SUTAMAと書いてあった。須玉から小諸へ抜ける道を走り、清里を抜けて野辺山の先を八ヶ岳の方へ入り、丁度3時間くらいで八ヶ岳高原・美鈴地区の山荘に到着した。

 草ぼうぼうの中入口を開けようとしたが鍵が合わない。何と裏口の鍵であった。電気は主スイッチを入れたら簡単についたが、水とガスが出ない。表のあちらこちらの栓を開けたり閉めたりして何とか格好が付き、自動車から荷物を引き上げて、昼食の支度をするのに1時間近くかかってしまった。昼食後とりあえずお茶の葉がないので売店まで車を飛ばして買いに行った。雷がごろごろ鳴り出したが、帰ってみたら停電している。弱ったなと思っているうちに幸いにも自然復旧した。昨年は庭先の電柱に落雷してひどい目にあったのを思い出した。

 しばらく読書してから散歩した。東京では考えられない涼しさで、散歩に出掛けるのがこんなに楽しいものとは思わなかった。しかし森の中の山道を登ったり下ったり、1600m以上の高地なので、急ぐと結構息が切れる。最後景色のよい美鈴池まで歩いて行ったが、人っ子一人いなかった。帰ってから昨日読み始めた谷沢永一と渡部昇一の対談「いま大人に読ませたい本」を一気に読み終わった。序でに両者が推薦する、必読書、読んで貰いたい本、読んで貰いたい翻訳本、まだある読んで貰いたい本、座右の書と合計50冊くらいの本の名前をノートに記した。今まで随分読書したつもりであるが、上に挙げられた本は殆ど読んでいない。いずれ図書館で探す楽しみが増えた。現在20:30だが、室内の気温は24℃であり、適温である。


[24日(土)] 明日よりしばらく移動、ユビキタス、縮小専用、コラム2件登録、

 昨日の日記に記したように、明25日(日)に出掛けて30日(金)に帰ってくる予定で、一人で八ヶ岳の山荘に出掛けることにし、荷物の準備を行った。衣類、居住用品、日用品、特別携行品の準備を行い、食料品は冷却を要しないもののみ本日準備し、冷却を要するものは明朝荷造りすることとした。日用品の中では日焼け止めまで含む各種薬品の準備が時間を要した。又現地でパソコン通信をする気はないが、この夢幻日記の原稿を作ったり、その他ワープロやエクセルを利用するため、XP機を持参するが、容れ物のカバンがないので、蒲田のLAOXへ行って調達してきた。又ゴルフは27日と29日に清里アーリーバード・ゴルフクラブに申し込んでおいた。自宅には家内が残るので、急用があれば自宅経由で連絡できる。自炊も大変なので、今回でかけた序でに簡易宿泊施設も調査したいと思っている。

 荷物整理が終わった序でに書類整理を行った。先日有楽町の東京国際フォーラムで開催された富士通のソリューションフォーラム2004では「ユビキタスの未来を」などと盛んに「ユビキタス」という言葉を使っていた。そこで英和辞典をひいたら、Uの最初にubiquitousという形容詞で、どこにでもある、偏在する、と出ていた。偏在という名詞はubiquityとなる。ユビキタスを名詞的に使用しているのはおかしいと感じた。
 又昨日問題にした写真の縮小に関して「縮小専用」というFDが出てきたので、さっそくXPに入れてみた。ところがこれはショートカットだけで中身がなく、あらためてC:\ProgramFileの中のShukusenというファイルを探してFDに入れ、XPに縮小専用のファイルを入れることができた。これを使えば簡単に縮小できるので、そのうち北海道の写真もHPにのせることができよう。

 続々GOLDEN AGEのコラムに、「韓国の偏狭な「ウリ(身内)」意識」と「呉善花のみた日本及び日本人の可能性」をアップした。前者は金文学/金明学兄弟の著書「韓国民に告ぐ!」、後者は呉善花の著書「日本が嫌いな日本人へ」の読後感である。日本を日本人でない人が見ると、普段我々が感じないことをいろいろと指摘してくれる。尚谷沢永一と渡部昇一の対談「いま大人に読ませたい本」を読み始めた。まえがきとあとがきで書かれている両者の学生時代の読書との付き合いが面白い。

 尚日記は毎日書くが、インターネットとつながらないので、公開は帰宅後になることをあらかじめお断りしておく。


     

[23日(金)] 八ヶ岳移動準備、ソフトカイロ、北海道写真画像処理、他

 本日より月末までようやくフリーになった。毎日暑くてゴルフは勿論、散歩もままならない。そこで例年のように涼しい所へ行ってゴルフしたり、散歩したり、読書したりしようと思い立って、来週八ヶ岳へでかけることにした。山荘なので自炊となるので、衣食住に日用品、特別携行品のリストを先ず作成した。一般の旅行と違って食料の準備が必要になる。勿論現地で調達すべきものもあるが、こちらから用意できるものもあり、午後家内とD百貨店へ行って調達し、併せて自動車のガソリンを満タンにしてきた。一般の荷物は明日揃えることにしている。

 久しぶりに身体があいたので、近くのソフトカイロへ行って全身を揉んでもらった。股関節をはじめ、普段十分使わないと次第に関節が硬くなってくる傾向がある。身体が硬くなるとどうしてもバランス感覚が悪くなり、一寸したことで転倒する怖れがでてくる。昨年自転車に乗っていて坂道で停車しようとして転んで首筋をいため、HPに七転八倒の歴史を書いたが、幸いにしてその後は転倒の機会はない。やはり毎日ストレッチングを行いながら、できるだけ身体を柔軟に保つよう心がけたい。

 先月の北海道でデジカメを350枚撮影したが、画像処理ソフトの問題でもたもたしてしまった。今まで使っていたソフトをME機から移すのに失敗し、いろいろなソフトを試していたが、元々XP機に入っているMicrosoft Photo Editorを使ってみたら、案外使い良いことが分かった。まだフルには使えないが、簡単な処理には十分である。そこで自動調整を主体に一気に350枚の画像処理を行った。ただHPに載せるには、典型的な画像をピックアップし、更に1枚あたり50kb以下に縮小する必要があり、その作業はまだ目途が立っていない。

 昨夜日記を書いたあとで藤岡信勝の「自虐史観の病理」を読み終えた。その前に読んだ「南京大虐殺歴史改竄派の敗北」が僅か1人の被害者が日本の裁判所で被害者と認定されたといって、南京大虐殺の歴史は証明されたといった論理展開に呆れたが、自虐史観の方も従軍慰安婦の強制連行という二重のウソを証明するために四苦八苦している様子がうかがえる。たしかに米軍の置き土産である自虐史観にとりつかれると、容易にその罠から抜けられなくなるらしい。又それを教科書に載せたと言うから話にならない。


[22日(木)] 日本人の誇り、統合社友会、自虐史観の病理

 谷沢永一が書き、青春出版社から出版された「歴史が遺してくれた日本人の誇り」の要点を続々GOLDEN AGEの歴史道楽にアップした。 権威と権力の使い分け、日本人の「道理」、宗教史に見る独創性、ルネッサンスのない日本文化、富より価値のある武士道精神、日本文化は物真似文化ではない、時流に敏感、これらの点で現在の日本人は気概を失っている。日本人が歴史を見直して真の気概をとりもどし、失われた歴史を取り戻すことが求められているという著者の主張に賛同する。

 本年1月、東芝プラント建設と東芝エンジニアリングが合併して東芝プラントシステムが誕生した。今日は両者の役員OBである社友会も統合して初のTPS社友会が川崎で開催された。両方で92名の社友のうち73名が出席した。結構昔馴染みが多く、テーブル席ではあったが、立ち上がってあちこちで旧交を温めていた。国内の市場の見通しは明るくないが、世界の市場での今後の活躍を期待する。

 一昨日の日記に記した「南京大虐殺歴史改竄派の敗北」とそっくりな趣旨のメールを頂いた。続々GOLDEN AGEの歴史道楽に載せた「中国の反日政策と日本の対応」に対する反論であった。中国人か日本人か分からないが、黄文雄の「中国こそ逆に日本に謝罪すべき9つの理由」を紹介して、歴史を幅広く見ることを勧めた。今日は藤岡信勝の「自虐史観の病理」を2/3位読んだ。もっぱらかつての支那事変で日本軍は悪いことをしたという先のメールのような話がいかにいい加減かということを詳細に分析したものである。それにしても未だに反日的なメールを貰うことにいささか呆れると共に、日本の病巣がいかに深いかあらためて認識した次第である。


[21日(水)] アクアスパ、記念文集原稿校正、呉善花の見方

 猛暑が続き、今日も38.1℃で、甲府では40℃を超えたという。水曜なのでアクアスパ(スポーツセンター)に行き、いつものように陸上、水上のトレーニングを行う。陸上では自転車漕ぎで太ももの後ろ側にやや張りを覚えた。少しストレッチが必要かも知れない。水泳では相変わらず好調で、20mノーブレッスィングは5回とも難なくこなし、むしろ日頃よりスピードが増したような感じである。

 中学の卒業60周年を記念して文集を出すことになり、編集事務局から原稿の校正依頼がきたので、一部字句の脱落を修正して返却した。ついでに13年前に書いた「激動の昭和一代記」の中の「中学生時代」がA5版で16頁あるが、読み返してみると中々面白いので、コピーして参考にと言って事務局に送ることにした。

 呉善花はその著「日本が嫌いな日本人へ」という本で、日本はアメリカンスタンダードの先を見通す「超欧」のヴィジョンを獲得しないと、改革、改革と叫んでもなかなか先に進まないと言っている。たしかに日本は調和を理想として独自の近代世界を切り開いてきたので、アメリカ式の「主体の自由」を徹底させたリベラリズムは性に合わないと指摘している。「超欧」のヴィジョンが何かが問題であるが、道州制の推進にとっても、答えではないが、問題の所在を示唆しているのではないかと思える。


[20日(火)] 記録的猛暑、人と宇宙、読書録

 連日暑いが、今日は予報では36℃といっていたが、実績では都心で39.5℃と気象台開設以来の猛暑となった。週間予報ではいつも31℃くらいと言っていながら、前日になると35℃くらいになり、当日になるとこの始末である。家の中も道路もまるで煮えたぎっているようである。熱中症にならぬよう気をつけなければいけない。

 今日は20日なので学士会の午餐会に出席した。国立天文台台長海部宣男氏の「人と宇宙」という講演があった。実は19日が休日だったので、20日にのびた十徳会と重なっていたが、演題に興味のある学士会を選択した。実は宇宙は理解を超えるということで今まで敬遠してきたが、ここら辺で一度聞いてみたいという気になった。

 宇宙という概念は、実はかなり変化しているそうである。17世紀初頭ガリレオ・ガリレイが初めて望遠教で宇宙を観測して、宇宙認識は大転換した。19世紀には科学者の間では宇宙生命への悲観論が高まっていた。ところが電波望遠鏡や赤外線望遠鏡といった観測技術の向上により、1980年頃から次々と反証が上がり始め、宇宙生命楽観論の証拠が挙がり始めた。つまり宇宙空間には地球のような惑星は無数にあり、そのような惑星では生命誕生の可能性があると示唆している。21世紀半ばには地球外宇宙における生命の確実な観測的証拠と実際に出会う時代を生きることになると予測している。

 先日読んだ谷沢永一の「歴史が遺してくれた日本人の誇り」と金文学/金明学兄弟の「韓国民につぐ!」から「韓国の偏狭なウリ意識」としてそれぞれA4版1頁の読書録を作成した。又学士会往復を主として本多勝一他2名が書き、教育史料出版会から出た「南京大虐殺歴史改竄派の敗北」を読んだ。日本軍は中国で悪いことをした、戦犯を祀った靖国神社に小泉総理が参拝するのは怪しからぬことだとまるでどこかの国の代弁者のような書き方で、どうも視野狭窄症ではないかと思われた。


[19日(月)] 海の日、曽我さん一家帰国、テレビ接続、図書館

 今日は海の日ということで休日であり、三連休となった。「海の日」とは何だろうと思って調べたら、次のような事が分かった。趣旨は「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う」ことで、明治天皇が明治9年東北ご巡幸の帰途、灯台巡視船明治丸で青森から函館を経て横浜へ御安着された7月20日を記念して昭和16年7月20日に第1回海の記念日が始まった。昭和34年7月20日の第19回記念日より、海事関係諸団体による国民の祝日化運動が展開され、平成8年7月20日より国民の祝日となり、更に平成15年より7月の第3月曜日が海の記念日となった。

 インドネシアのジャカルタのホテルに滞在していた曽根さんの一家四人が、予想より早く、僅か10日の滞在で日本へ来ることになり、昨日特別機で一家4人揃って来日した。夫のジェンキンスさんの訴追問題を抱えているので、ジャカルタ滞在は長引くと予想されていたが、北朝鮮での手術の結果が思わしくなく、その他の健康上の問題もあって、急遽来日して治療するこ事になり、東京の某病院に入院し、家族も隣室で見守ることになったという。どこの病院か発表されないが、恐らく聖路加病院ではないかと推量する。入院治療中に訴追問題を米国と交渉してうまく処理することが望まれているが、べーカー大使が言うようにおそらく司法取引になろう。

 来月14日に大田区の地域講座で発表するために、Power Pointで原稿を作成したが、プロジェクターへの接続は分からないが、前にも一度経験のある大型テレビへの接続を実験してみた。S端子ケーブルのプラグをパソコン本体のS−Video出力コネクタに差し込み、ケーブルの他端をテレビのS1/S2映像入力端子に差し込む。(この際黄色端子に差し込む) ついで電源を入れてから、Fnキーを押したままF5キーを押してPC画面とテレビと同時表示を選択し、以後PC側で操作すればテレビにも投影されることを確認した。Power Pointだけでなく、旅行のデジカメ像もスライドショーできることを再確認した。

 図書館に行き、借用中の3冊の図書を返還し、新たに次の3冊を借りた。谷沢永一・渡部昇一「いま大人に読ませたい本」、藤岡信勝「自虐史観の病理」、本多勝一他「南京大虐殺歴史改竄派の敗北」。尚北海道旅行記で時間をとられていたが、本日返還した谷沢永一の 「歴史が遺してくれた日本人の誇り」の感想文を作り始めた。できあがり次第続々GOLDEN AGEの歴史道楽にのせる予定である。


[18日(日)] 第10回生活者主権の会・会員総会

 午後1時半から高田の馬場の新宿消費生活センターで開催された。今回は盛況で40名以上の出席があった。冒頭衆議院の長妻議員の挨拶があり、B区のY氏が議長となって昨年度の活動報告、会計報告、会計監査報告が行われた。ついで新代表としてO氏が選出され、本年度予算案および運動方針に伴う副代表の紹介があった。続いて始めてであるが一新塾のM事務局長の挨拶があり、今後の協働が示唆された。続いて出席議員の紹介、挨拶及び質疑応答があり、又参議院の小川議員の挨拶及び質疑応答があった。官僚に負けぬよう激励した。続いて会の今後について意見交換し、最後に平成維新実現戦略について見直しを要望した。

 総会終了後、高田の馬場の清瀧で懇親会が開かれ、多数出席し盛会であった。1年ぶりの仲間といろいろ歓談するとともに、今後関係の出でくる可能性のある方と名刺交換した。道州制推進連盟自体今後の運営には、実現への道筋の明確化が求められていると考える。

 先の道州制推進連盟の例会でI氏から渡された、都道府県、市町村の財政データの元になる「基礎データ項目定義D行政基盤」についてコピーした。23頁に亘り、一部には誤りもあるのではないかと思われるが、データをどのように読むべきか、なかなか難しいので、も一度23頁を読み直してチャレンジしてみたい。


[17日(土)] 中学のクラス会、旅行記掲載完了、読書

 中学は勿論旧制で、1年から3年まではクラスの編成替えはなく、4年で全面的な編成替えがあり、5年になると高校、陸士、海兵などへの進学から1クラス減少していた。私自身は4年から高校へ進学したが、5年卒業したとして今年は卒業後60年になる。それなのに未だに毎年1年の時のクラス会を行っている。今回も有楽町のニュートウキョウビル2Fのさがみで開催された。大分出席者数が減ってきたが、それでもまだ15人いた。大体平均寿命に達してきたが、過去1年間は一人も物故せず、この先いつまで続くか見物である。お互いにいろいろと健康には気をつけているようで、しかし日常の過ごし方は人様々で、各人の報告は参考となる面がある。

 北海道旅行のHP「続々 GOLDEN AGE」への連載を続けているが、今日は第5日目(網走→札幌)と第6日目(札幌→小樽→新千歳→羽田)を掲載し、補足を追加掲載した。これで「ゆとりっぷ北海道一周6日間」の掲載は一応完了した。あとはデジカメで撮った写真を載せるかどうかという問題がある。今すぐというわけにはいかないが、今回撮影した350枚の中から数十枚ピックアップして画像処理し、画素を縮小していずれ「フォトギャラリー」へ掲載したいと思っている。ただ新しいPCに縮小のソフトがないので、どうするか検討中である。

 昨日から読み始めた呉善花の「日本が嫌いな日本人へ」を電車の往復などでやく70%まで読み進んだ。反日で教育された韓国から日本へ来て、次第に日本のよさに気が付き始め、逆に日本人が気が付かない日本のよさを日本人に教えてやろうというような感じの文章である。たしかに韓国にしても中国にしても平均勤続年限は極端に短く、日本的に社内教育をしても、終わった途端に転職してしまうのが現実である。ただ日本人が極端に自己主張しないために色々と誤解されているが、呉さんの言うとおり、これからは世界に対してもっと自信をもって自己主張して行くことが必要であろうと思う。

 連日35℃前後の暑さが続き、いささか疲れ気味であるが、ここの所予定が詰まっていて十分休養する暇がない。何とか気力で乗り切るしかない。


[16日(金)] 産業講演会、新OB会の設立、読書

 午前には日課として株価・為替の推移をエクセルに記帳し、電子メールの受信及びパソコン通信としてニフティのフォーラム巡回を行った。ついで北海道旅行記のHP「続々GOLDEN AGE」への連載で、昨日に続いて第4日目(阿寒湖畔温泉→網走)をアップした。

 午後1時から日本工業倶楽部の第481回産業講演会があり、日銀副総裁武藤敏郎氏の「我が国の金融経済情勢について」という講演を聞いた。現在グローバルに同時景気回復の途上にあり、米国も雇用が回復し始め金利上昇し始めた。中国はむしろ景気過熱を警戒し、昨年夏より行政指導により投資抑制を図っている。日本も昨年夏より輸出増加が好循環を生み、製造業大企業から順次中小企業、非製造業へ、又更に遅れて雇用や消費が堅調になりつつある。6月以降長期金利も1.7〜1.8%に上昇したが、まだ物価は回復せず、金融緩和を続けざるを得ない。いずれアメリカのように量的緩和から引き締めに転じ金利上昇するのが何時になるかまだ予断できない。

 午後3時からTPKと○Eの合併に伴い、それぞれのOB会である東友会と春秋会の統合と今後の運営について関係者が集まって協議した。差し当たり会名は両方から一字づつとって東秋会とし、世話人会組織を作り、11月に毎年総会を開催することとした。東友会の会長だったが、年齢順で東秋会の会長も務めることになった。打ち合わせ後懇親会が行われた。

 往復の電車の中で、呉善花著「日本が嫌いな日本人へ」を30%位読んだ。彼女の講演を一度聞いたことがあるが、外から見た日本としてなかなか良いところを衝いている。この前に読んだ金兄弟の書では「先駆者・呉善花の悲劇、韓国で「売国奴」呼ばわりされている女性」と紹介されているが、日本だけでなく、韓国にとっても痛いところを衝くからであろう。日本人のDNAをよく活用しないと道州制の運動もうまくいかないという感じがしている。


[15日(木)] 血液検査及び内視鏡胃検査、その他

 丁度1週間前に総合検診を受けたばかりであるが、今日は内科の診察日で、血液検査及び内視鏡による胃の検査を行った。血液検査の結果では血糖値が僅かに高いだけで、他に正常値範囲を超えるものはない。血糖値が高いということはインシュリンの働きが悪いということで、食事に気をつけ、適当に運動しているだけでなく、5月から東洋医学によるシーラジャトウと称するヒマラヤ高原薬草エキスを飲んでいるが、宣伝文句のようには効かないようである。内視鏡の検査は喉の中に内視鏡を突っ込まれるのであまり気持ちの良いものではないが、高齢者としての慢性胃炎の傾向はあるが特に異常はないとのことであった。結論として、血糖値があと一息なので、何とか工夫して正常値に持って行きたいと思う。

 家に帰ってから、まず昨日の夢幻日記をつけ、ついで昨夜の道州制推進連盟の7月例会の議事録を作成した。昨夜は話があちこち飛んだので、議事録を纏めるのにやや骨折った。MLで会員に通知すると共に、生活者通信への掲載のために原稿を送った。又昨日問題になった東電の営業地域を東電のHPから調べた結果、原子力や水力発電所は関東地方の外の福島県、新潟県、長野県などにあるが、営業と称する配電の地域は、関東地方が主体で、山梨県と静岡県の東部富士川以東を含んでいることが判明した。しかし50/60ヘルツの境までは含んでいないことも判明した。道州制の区割りでどう考えるか今後の検討課題である。

 ついで又北海道旅行記のHP「続々 GOLDEN AGE」への連載で第三日目(登別温泉→阿寒湖畔温泉)をアップした。その後パソコン通信及びこの夢幻日記を書いている。尚病院への往復と病院での待ち時間で、金兄弟の「韓国民に告ぐ!」を読み終え、まえがきと目次をコピーした。

 それにしても昨日発生したパソコン内のウィールスはどうしたのであろうか? シマンテックからは返事がこないが、ニフタームによるメールも警告に邪魔されることなくできるようになってしまった。修復できなかった11のファイルは一体どうしたのであろうか?


[14日(水)] 午前はアクアスパ、夜は道州制推進連盟の例会  

 水曜日になったので、例の通り午前はアクアスパへ行ってトレーニングを行った。最初の自転車漕ぎですこし足の太ももにストレスを感じたが、その他の6種の器械による筋力トレーニングでは特に異常はなかった。水泳も結局1000m泳いだが、中でも20mノーブレッシングは5回とも難なくこなすことが出来た。ということは、この暑さにも拘わらず、体調はまずまずということであろう。ただ連日体力を消耗しているにも拘わらず、体重に変化はなかった。

 午後は最初北海道旅行記のHP「続々 GOLDEN AGE」への連載で第二日目(湯ノ川温泉→登別温泉)をアップした。続いてインターネットによる道州制のニュースを調べ、夜の例会用に資料の作成を行い、コンビニでコピーを作成した。

 夜は蒲田で道州制推進連盟の7月例会を行った。資料説明後自由討議となったが、今後の大きな方針として一つは若者に対する啓蒙、も一つは新聞テレビ等のマスコミに対するアピールを柱に政治の原点を追求して行くこととした。追って議事速報を作成して連盟のHPに掲載する。


 [13日(火)] 日産自動車追浜工場見学、読書

 連日猛暑が続いているが、遂に梅雨明けと宣言された。今日は日本工業倶楽部の見学会で日産自動車追浜工場を見学することになった。午前10時に日本工業倶楽部前に集合し、専用バスで出発し、横浜中華街ローズホテル内の重慶飯店で11:30から昼食をとり、13:30日産自動車追浜工場に到着。追浜工場の概要について説明を受けてから、日産の専用バスで外国向け、国内向けの波止場を見学し、ついで組み立て工場内の見学をする。組み立て行程でも溶接作業などの部分はロボットが使用されるようになったが、いろいろな部品の取付はやはり流れ作業ではあるが人間が行っている。ただ4日前に作業をきめるそうで、いろいろな車種が混ざった状態で流れ作業になっている。今後の問題としては燃料電池車の開発内製化が焦点になっている。15:00見学終了し、質疑応答の後再びバスで帰路につく。日産もようやく年産300万台を超え、元気になったようである。帰りは追浜でバスを降り、京浜急行で横浜に出、東急で帰宅した。多分バスが東京に着く前に帰宅できたと思う。

 往復の電車の中で読書した。一つは日曜日にゴルフ場でKさんからいただいた「モンゴル大自然紀行」というA4版15頁の旅行記で、モンゴル航空ではいろいろトラブルがあったようであるが、草原の凸凹道を走ったり、馬に乗ったり、ゲルに泊まったり、モンゴル人の家庭を訪れて大歓迎されたり、珍しい体験をしたようである。意外だったのはモンゴルは面積では日本の約4倍あるが、人口は僅か241万人で日本の1/50であり、国民総生産は日本の1/5000ということで、平均寿命も62.3才である。日本の大相撲には35人きている由。

 ついで先日図書館から借りてきた、金文学/金明学共著の「韓国民に告ぐ−在日韓国系中国人兄弟による痛哭の祖国批判」を読み始める。著者は満州で朝鮮族三世として生まれ、日本文化研究者として来日8年、日中韓三国を客観的に眺めた比較文化論的視点が新鮮である。ただこの本の出版は平成11年12月20日で4年半以上まえであり、著者は韓国人の感情過多を徹底的に批判しているが、たしかに韓国で韓国人同士の言い合いを聞いているとその剣幕に恐れ入る。ただ北京のゴルフ場で韓国人が入場禁止を食っているとか、あちこちでうるさくて中国人に殴られているとか今まで知らなかったこともいろいろ書いてある。まだ1/3位しか読んでいないが、韓国人の弱点を次々に暴露するやり方は日本人には真似の出来ない所である。


[12日(月)] 参議院議員選挙結果、ユダヤ教における聖書、読書

 昨日の参議院議員選挙で、党派別の当選者は、選挙区では自民34、民主31、公明3、無所属5で共産、社民はゼロであった。しかし比例区では自民15、民主19、公明8、共産4、社民2、諸派ゼロであった。従って合計では自民49、民主50、公明11、共産4、社民2,諸派0、無所属5であり、非改選議員を加えると、自民115、民主82、公明24、共産9、社民5、諸派0、無所属7、となる。従って民主党が増えはしたが、勝ったと言うほどではなく、共産、社民の低落が決定的である。又ジャーナリズムの主導で年金改革、イラク問題に賛成か反対かみたいになったが、本来は財政再建、社会保障改革、地方分権、民営化等についての政策論争が望ましかったわけで、官僚の力に対抗する政治力という面で甚だ物足りない結果であった。

 午前にはパソコン通信の他、ゆとりっぷ北海道一周6日間の概要をHP続々 GOLDEN AGE の旅行記にアップした。追って第一日目から順次アップする。

 午後日本工業倶楽部の素修会で、東大文学部の市川裕教授による「ユダヤ教における聖書の意義」なる講義を聞いた。一神教としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教の成立と相違点を説明され、キリスト教で旧約聖書と呼ばれる書物をユダヤ教ではタナハと呼び、トーラー(律法)、ネヴィイーム(予言者)、クトゥヴィーム(諸書)からなり、トーラーを最も重視している。旧約聖書で言えば、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の5書である。これはモーセに啓示された生ける神の教えであり続け、2000年来安息日には労働を禁止してシナゴーグでトーラーを朗読して学習し、1年で読み終える習慣が定着している。トーラーとは信仰のあり方を命じたもので、同時に思索を刺激してやまないものである。尚神がイスラエルの民を選んで契約を結び、トーラーを与えたのは、イスラエルが優れているからではなく、強情な民を縛るもの、弱小の民の目印となるものであった。尚来年3月24日から国際宗教学宗教史会議第19会世界大会が高輪プリンスホテルで開かれ、総合テーマは「宗教−相克と平和」であるが、初日に公開シンポジウム「宗教と文明間の対話」が行われるので一般人も参加できると紹介された。

 谷沢永一(タニザワエイイチ)の「歴史が遺してくれた日本人の誇り」を読み終わった。歴史書は創作の文学であり、物語にこそ人間の真実があるとして、多くの読書によって歴史通になることを勧めている。日本人がたどってきた足跡から歴史の本質を捉え直すと、歴史が遺してくれたものとして、日本人には誇るべきものがたくさん受け継がれている。いまこそ失われた歴史を取り戻すべきである。多少やくざっぽいがなかなか面白い着眼点であるという印象をうけた。


[11日(日)] ゴルフコンペ雷鳴豪雨で中途解散

 予報では土日と気温は下がる事になっていたが、今朝もやはり暑い。コンペのスタート時間が早いので、珍しく5時半に起きて7時前に家を出た。T社本厚木会は3ヶ月毎の開催なので、この暑いのに結構参加者がいた。

 スタート前の練習で、打ち放し練習場は丁度逆光になり、ボールの飛ぶ方向は分かるが着地点がよく見えない。いつものように打ち放し、アプローチ、パターの練習をしてアウトからスタートする。前半は少しでも飛ばそうと力んで、テークバックが大きすぎるせいか、ボールがやや右にそれて僅かながらラフに入ることがあった。ラフからの打球は天ぷらしたりチョロしたり、なかなかうまく行かない。 それでもアプローチとパターでカバーしていたが、3番ホールは失敗してトリプルボギーを叩いてしまった。最大の原因は、少しグリップをしっかりしたら、80〜100ヤード近辺のアプローチの飛距離がアイアンで1番違う位に飛びすぎてしまったことにある。

 以後アイアンの選択を1番落としてアプローチするようにしたら、面白いようにピンそばにからみ、4番のショートと9番のロングはパーがとれ、結局ボギーペースで上がった。これ自体はそれ程感心するスコアではないが、ボギーペースで廻っていて、時々パーがとれれば、45を切ることが可能となり、そのうちエージシュートを狙える可能性が出てきて、ゴルフも単なる健康ゴルフではなく本来の面白さが回復する。

 暑い日差しで汗びしょびしょになりながらハーフを廻って昼食をとる。いつものように黒ビールとポークカレーを注文した。所が食事中に雷雲に覆われて暗くなり、雷鳴が轟き、豪雨に見舞われ始めた。スタートしようと10番ホールの小屋まで行ったが、益々雷雨がひどくなり、当分出られないということでクラブハウスに戻ったが、傘をさしていても全身びしょぬれになってしまった。食堂でコーヒーを飲みながら雨の上がるのを待ったが、1時間以上まっても雨は上がらず、珍しくハーフで解散ということになってしまった。結局風呂に入って家へ帰った。所が東京では殆ど雨が降らず、日差しは強かった。

 昨日のハイキングに今日のゴルフと続いたので、熱中症にならぬようにとの神様のお導きがあったのだと理解し、帰宅後しばらく休養して元気を回復した。夜になるとテレビは参議院議員選挙の開票速報でもちきりであった。ただ午後9時ではまだ最終的には確定していない。今の所民主党が自民党を上回っている。


[10日(土)] いきいき倶楽部で鎌倉ハイキング

 今日は前三か日に比べると多少気温は低いが、それでも32℃くらいあり、湿度が高くてハイキングには少しきつかった。午前9時に蒲田駅南口に集合し、参加者は9名であった。横浜で横須賀線に乗り換え、北鎌倉で下車。以下Aさんをリーダーとして立ち寄った所を以下に示す。

*東慶寺:縁切寺(駆け込み寺)として知られ、北条時宗夫人の覚山志道尼が開山
  し、第五世は後醍醐天皇の皇女用堂尼であった。
*浄智寺:鎌倉五山第四位の古刹で、参道入口には甘露の井があり、本尊は室町
  時代の仏像三体で、左から阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の過去、現在、
  未来をあらわす三世仏である。このあと山地に入る。
*天柱峰:南北朝時代に浄智寺に住んだ中国僧の供養塔である。山地はかなり厳
  しくなる。
*葛原岡神社:祭神は後醍醐天皇の寵臣・日野俊基で、明治19年明治天皇のお
  声掛かりで建てられた。
*源氏山公園:ここまでで汗だくになり、高台で日陰は風が吹いて涼しいので、
  少し早いがここで昼の弁当を食べる。
*銭洗弁財天社:源頼朝の祈願に対して宇賀福神のお告げがあり、心を清め、
  湧き水でお金を洗うと万倍になるといわれている。
*佐助稲荷神社:源頼朝が夢枕に立った鎌倉鎮座の神の勧めで平家討伐の挙兵
  をしたが、それに感謝してこの神社を建てた。佐助とは頼朝の幼名「佐殿」
  を助けたことに由来し、現在は地名になっている。
*鎌倉文学館:加賀百万石前田家の子孫前田侯爵の別邸である3階建ての洋館
  で、多くの作家の遺品を展示している。夏目漱石や芥川龍之介の原稿は、
  原稿用紙の升目の中に几帳面に楷書で書かれていて印象的であった。部屋
  の中は涼しいので、遠く由比ヶ浜を眺めながら、又冷たいものを飲みなが
  ら、しばらく休ませてもらった。

 ここから、吉屋信子記念館や御成小学校の前を通り、鎌倉駅に出て解散した。鎌倉から横浜、蒲田を経由して帰宅したが、既に午後4時を過ぎていた。暑い中、又道路とはいえない坂道を登るのでいささか面食らったが、これならミャンマーに持参したステッキを持ってくるんだったと後悔した。約2万歩歩いたので、大体ゴルフの1ラウンド相当である。


[9日(金)] 猛暑の中を雑務処理に奮闘、曽我さんの家族再開、

 三日続きの猛暑の中をあちらこちらと雑務処理に奮闘した。

 朝食後、恒例の株価・為替推移をエクセルに記入してから、パソコン通信及び電子メール受信をする。相変わらずウィールスメールが少なくない。考えてみると、土、日、月、火と予定が詰まっているので、来週の水曜の道州制推進連盟のために、インターネットで道州制関連ニュースを調べ、資料を作成した。続いて道州制推進連盟例会用資料および大田区の地域講座用資料をコンビニ行ってコピーし、ついで図書館に行く。図書館で下記3冊を借りる。
 「日本が嫌いな日本人へ」呉善花著 PHP研究所
 「韓国民に告ぐ」金文学/金明学著 祥伝社
   「歴史が遺してくれた日本人の誇り」谷沢永一著 青春出版社
更にその足でガソリンスタンドへ行き、明後日のゴルフのためにガソリンを満タンにする。

 午後からは、健康保険被扶養者再認定に際して認定取り消しの措置が必要になり、更に被扶養者(異動)届けが必要になった。そのため会社に連絡して用紙を用意して貰い、暑い中会社に出掛け、所要事項を記入して提出してもらい、健康保険組合から廃棄届けを送ってもらい、国民健康保険への加入手続きをとることとした。往復の電車で上記谷沢永一の本を読んだが、歴史に対する考え方という面で予想外に面白い本であった。

 会社に行った序でに有楽町の東京国際フォーラムで開催している「富士通ソリューションフォーラム2004」の展示室を覗いてみた。テーマは「明日のビジネスに、あなたと挑む。」ユビキタスの未来を、体感。ということになっており、情報技術の進展で、ショップ、オフィス、ホスピタル、バンク、サービスセンター、データセンターなどがどのように変わるかを展示してあった。ITブームはパンクしてしまったが、ユビキタスネット社会の到来は必至であり、今後の進展が楽しみであるが、時代が変わったなという印象である。

 家へ帰ってから、汗のかきついでに、参議院の不在者投票に出掛けた。夜8時までやっているようであるが、投票所には大勢の係員と監視人がいて、全国的にはかなりの費用になるなと思われた。参議院が本当に必要かどうか、あらためて検討が必要であるが、議会の議決の他に、国民投票制度を早く確立する必要があろう。

 更に昨日の肺ガン検診に対する補助金の申請用紙が健保から送られてきたので、早速必要書類を揃えて申請のために郵送した。この後もメールの返事を出したり、家内の電子メールの手伝いやらいろいろあったが、何と言っても今日一日暑い中を歩いても何とか耐えられたのはうれしかった。

 夕方テレビを見ていたら、曽我さんの家族再開のニュースで持ちきりであった。家族再開は確かに嬉しいことであるが、ジェンキンスさんの訴追をどう交わすことが出来るかが最大の問題で、この点が政府の智恵の使い所であろう。今朝の新聞には、脱走兵で訴追されても実刑に処せられた人はいないような事が書いてあったが、米国流の法律センスで解決をはかる必要があろう。


      

[8日(木)] 猛暑継続、総合検診無事終了、その他雑務処理

 今日も東京の都心で最高35℃となり、暑くてたまらない。熊谷あたりは37℃を超えているらしい。明日まで暑く、土曜からは曇りがちで31℃以下に少し気温が下がるらしい。土曜はいきいき倶楽部で鎌倉ハイキングが予定され、日曜は本厚木でT社会コンペがあるので、もすこし涼しくなってもらはないと身体がもたない。

 今朝は07:50集合で、T病院の健診センターで総合検診を受けた。検査項目としては順不動で、肥満度、聴力、視力、眼圧、眼底写真、血圧、心電図、肺機能、胸部X線、血液検査、炎症系血清反応、感染症検査、肝機能、血清蛋白、膵機能、脂質、糖質、腎機能、電解質、尿、腹部超音波、上部消化管X線造影検査、便潜血反応、等を一般検査として行い、オプションとして胸部CT検査、前立腺腫瘍マーカーの検査を行った。8時から検査を開始して、10時前には終了し、朝昼兼ねたような食事が提供されたが、医師面接が午後1時からなので大分時間があまり、その間持参した学士会報を読み切ってしまった。尚飲み物(コーヒーやウーロン茶など)は無料であった。

午後から院長の面接があり、検査結果を一項目ずつ説明して貰った。右耳の高音聴力が少し落ちている他、加齢現象は多少見られるが、殆ど異常はなかった。5月からヒマラヤ高原の薬草エキスであるシラージャトウという糖尿病に効くという漢方薬を飲んでおり、そろそろ効き目が出ても良い頃と期待していたが、ヘモグロビンA1cは正常値5.8に僅かに達せず6.1であった。異常は見られないとはいっても、内科、耳鼻咽喉科でいくつかの軽度の病気を抱えており、日頃注意が必要であることには変わりなく、新たに治療すべき対象が見つからなかったにすぎない。1年に1度は総合検診を受けたい。

 上記健診で、健保より肺ガン検診に対して補助金が出るので申請するよう健診センターから言われたが、申請用紙がインターネットで見つからず、健保に連絡して送って貰うこととした。
 7月11日執行の参議院議員選挙に関して、東京都選出議員及び比例代表選出議員の選挙公報をあらためて全部丹念に読んだ。正直な所今回の選挙の争点はいずれも近視眼的或いは視野狭窄で感心できない。しかし何とか投票に持ち込むことも重要であり、その選択に苦労しているが、明日あたり投票したい。
 留守中にいきいき倶楽部の幹事から明後日鎌倉へ行くかどうか問い合わせがあり、暑いのでインターネットで天気予報を調べたら、各社とも土曜は30℃とのことなので出席の予定と回答した。
 健康保険被扶養者再認定届を提出するよう連絡がきたが、認定取り消しの手続きが必要のようで、その旨準備を進めることとした。


[7日(水)] 猛暑襲来、アクアスパ、旅行記原稿完成、

 七夕だが曇っていて月も銀河も見えない。しかし今日は東京でも日中35℃で、べらぼうに暑い。冷房の部屋に入ったら、簡単には出られない。
 水曜日なので恒例のアクアスパ(スポーツセンター)へ行ってトレーニングしながら体調をチェックした。陸上では、自転車漕ぎで少し脚力が低下したかなという感じがしたが、筋力トレーニングでは異常がなかった。水泳も、今日は1,000m泳いだが、クロールなどいつもより調子がよかった。体重も北海道で少し増えたが、又元に戻ったようである。

 北海道旅行記の原稿は第6日目と補足を書いて一応完了した。時期をみて「続々 GOLDEN AGE」にアップする。ただし写真の方は、画像処理のソフトの問題でまだHPにのせる準備に入れない。撮影した350枚の写真からピックアップして簡単なアルバムを作りたい。
 第6日目 札幌→海産物商店→小樽市内観光→小樽貴賓館→新千歳空港→羽
       田空港
 補足   集合写真、夫婦写真、バス走行距離、ツアーの特徴

 旅行記の原稿が完成したので、明日の総合健康診断の復習をする。当日特殊健診の希望を書き入れ、4頁に亘る問診票のチェックを行った。ついでこの夢幻日記の6月分について、日日順の再編成を行った。これで1月から6月まで半年分の日記が日日順に編成できたので、近くコピーしたいと思っている。


 

[6日(火)] 眼科受診、学士会報、旅行記原稿作成

 糖尿病のため、3ヶ月毎に眼の検査をしている。午前中T病院の眼科を受診したが、視力、眼圧、眼底とも異常はなかった。ただ検査用散瞳剤のため、病院の帰途、日射がまぶしくて困った。又関東地方は本年最高の暑さで、しかも蒸し暑かった。

 電車の往復と病院の待ち合わせ時間に最近の学士会報(2004-W No.847)を一部読んだ。
*「イラク情勢と自衛隊派遣問題」アジア経済研究所 酒井啓子では、戦争とかア
  メリカのことをよく知らないのではないかと感じた。
*「発生が懸念されるスーパー広域地震災害」京大防災研究所 河田恵昭 では
  首都圏直下地震と東海・東南海・南海地震災害が憂慮されており、現実的に
  は今世紀半ばまでには必ず起き、悲惨な結果を招くであろうと警告している。
*「火星に行こう」東大 佐々木晶では火星の最近の調査結果を紹介し、そろそろ
  有人調査の時期であるとしている。しかし火星には誤解が多いことを痛感した。

 昨日に続き、北海道旅行記第4日目と第5日目を書いた。残るは最終日である。
 第4日目 阿寒湖畔温泉→摩周湖→硫黄山→オシンコシンの滝→知床自然セン
   ター→知床峠→ウトロ港より知床遊覧船→ウトロ港→網走(泊)
 第5日目 網走→北見→留辺蘂キタキツネ牧場→層雲峡→美瑛・四季彩の丘→
   富良野・ラベンダーファーム→岩見沢→札幌市内巡回→すすき野・政寿司
   で夕食→札幌(泊)市内散策

 尚午後依頼していたK会計事務所より法人税申告の手続きに見え、署名捺印して、国税分は雪谷税務署へ申告した。納税期限は8月2日とのこと。


[5日(月)] T・TEC社社友会、工業倶楽部講演要旨、旅行記原稿作成

 株主総会が終わった所で各社の社友会が始まり、まずT・TEC社の社友会が昼日本工業倶楽部の3階で行われた。平成16年3月の決算は極めて好調で、売上高、経常利益、純利益とも過去最高であったという。しかし問題点もいろいろあり、今後も尚努力してゆくと社長の挨拶があった。挨拶、昼食後雑談に入り、たまたま隣席の前社長とゴルフの話をしたが、65才を過ぎても尚ドライバーは250ヤード飛ぶという。道具のせいだと謙遜していたが、やはりヘッドスピードが40m/sを越えるらしい。うらやましいが、ヘッドスピードを速くすることが尚可能かどうか検討を要すると思った。

 東京駅までの電車の往復に日本工業倶楽部の下記講演要旨を読み、あらためて参考になった。
 第1209回木曜講演会「日本経済本年の解雇と明年の課題」中前国際経済研究
           所代表 中前 忠
 第 475回産業講演会「世界経済の潮流と日本経済再生のシナリオ」国際金融情
           報センター理事長 内海 孚
 第1211回木曜講演会「国際情勢を展望する・日本とイラク問題」東大 山内昌之
 第 476回産業講演会「新しい拡張期に入る中国経済と日本の対応」三井物産
           戦略研究所中国経済センター長 沈才彬

 昨日に続き北海道旅行記として第2日目、第3日目を書き、第4日目の途中まで進んだ。
 第2日目 湯ノ川温泉→函館朝市→大沼公園→長万部→昭和新山(熊牧場)→地
      球岬→登別温泉(泊)地獄谷散策
 第3日目 登別温泉→富川→日高→日勝峠清水→帯広→足寄→阿寒湖マリモ
      見学→阿寒湖畔温泉(泊)アイヌ民族舞踊を観る


[4日(日)] 日曜日は健康ゴルフ

 先週の日曜日は北海道の知床へ行っていたので、ゴルフは2週間ぶりになる。本厚木では日向は大分暑かったが、風が結構強かったので、日陰に入ると涼しかった。ドライバーとフェアウェイ・ウッドはまあまあの出来であったが、アプローチ、特にショートアプローチとパットの出来が悪かった。やはりこの辺はデリケートなので、日頃練習していないと感が狂ってくるようである。しかしカートにも乗らず、18ホール歩くと結構運動になる。つまりは健康ゴルフであるが、もすこしましなゴルフをしてみたいものである。

 今日はまだ早いので、これから北海道旅行記の第2日目を書いてみたい。


[3日(土)] プログラムの移動不調、旅行記原稿作成開始、他

 今日は珍しくフリーなので、午前中はME機から画像処理ソフトとしてCAMEDIA Master 25をCDにコピーしてXP機に入れたが、思うように機能してくれない。又縮小ソフトもFDを介してXP機に入れてみたが、これまたうまく機能しない。ベクター・ソフト情報メールサービスが「デジカメde!!同時プリント8Ver.8.00」の宣伝をしているので、事務局にそのソフトが画像の回転が可能かどうか、縮小が可能か、 購入するにはどうすればよいか問い合わせのメールを出した。

 午後から気分を変えて、「ゆとりっぷ北海道一周6日間」の続々GOLDEN AGE用の原稿作成に入った。とりあえず概要1頁と第1日目1頁を作成した。概要はツアー名称、行程概要、特色3ヶ条からなっている。総じて内容的にも価格的にもなまじっかな外国旅行よりましな国内旅行であった。そういえばテレビでも大分北海道の宣伝をしている。第一日目は主として函館の市内観光であるが、ガイドブックに記載されている名所は、空港からタクシーに乗って3時間半で全部廻っていた。追って第2日目以降を執筆する。

 懸案だった道州制推進連盟のHPに、九州各県のアンケート回答に対する意見、道州制早わかり5ヶ条、参院選政党向けアンケート回答、市町村データなどが本日公表された。道州制早わかり5ヶ条などは大分時間が経つので事務局に経過を聞こうかと思っていた矢先であった。政党別アンケートでは、例によって自民党、共産党、公明党のみ回答があり、民主党、社民党は未回答であった。共産党は道州制に反対であり論外であるが、自民党や公明党にもいくつかの問題がある。民社党や社民党は前回の調査でも回答がおくれたが、迅速な対応ができないという点で政党としての処理能力に問題がある。尚市町村データはダウンロードはしたものの再現に問題がある。


[2日(金)] 耳鼻咽喉科、工業倶楽部講演要旨、6月決算

 午前には大井町の病院の耳鼻咽喉科で受診した。耳下腺腫瘍があるため2ヶ月毎に診て貰っている。耳下腺腫瘍は、時々気になることがあるので、次回までにCT検査をすることとした。鼻水が時々良く出るので内視鏡で調べたら軽い蓄膿症と判定された。喉はMRで検査した結果、頸骨が邪魔しているとのことで、いずれも手術しないと治らないが、手術はかなり難しいし、現状では手術する程のことはない、ということで時々様子をみることとした。甚だすっきりしないがこれも年のせいかも知れない。

 往復の電車や病院で待ち合わせ中に日本工業倶楽部の木曜講演会及び産業講演会の要旨を読む。聞きに行った講演もあるが、あらためて読むとなかなか含蓄のある話であると感じる。以下本日読んだ分を下記に示す。
 第477回産業講演会「最近の経済情勢をめぐって」住友生命総研・霧島和孝
 第1215回木曜講演会「年金問題を考える」三菱総研・白石浩介
 第473回産業講演会「WTOとFTA」ジェトロ・渡辺 修
 第1208回木曜講演会「変貌するプーチン政権」青山学院大・袴田茂樹
 第1209回木曜講演会「日本経済本年の解雇と明年の課題」中前 忠

 通帳の記帳が1日遅れたので、本日6月分の決算処理を行った。先月の特徴の一つは株式の配当が、無配から回復してきたが、まだ十分ではない。また厚生年金基金が廃止されたので、厚生年金の給付額がその分少し増額された。一方東京都の固定資産税や特別区民税は遠慮なく第1期分の徴収が始まった。先々月納めた別の北海道旅行の代金が、旅行がキャンセルされたので先月返却され、実際に出掛けた北海道旅行の代金がまだ落ちていないので、見かけ上収入が増え、支出が減っている。青色申告用の複式簿記もつけ、パソコンで勘定奉行のソフトで処理している。


[1日(木)] T社創立記念日、北海道旅行デジカメ画像処理

 いよいよ年度後半の7月に入った。例年7月1日はT社創立記念日で、会社創立記念パーティーの案内を貰い、出席した。今年で129周年になるそうで、アメリカで言われている企業の寿命30年からすると4倍以上長生きしていることになる。今年は昔私が事業部長をしていた医用機器部門が、今は販売会社と合体して別会社になっているが、グループとしての業績賞を貰ったということである。特にX線CTが好調でアメリカでも大分シェアを増やしたようである。又会長、社長とも挨拶したが、新製品開発のテンポが速くなったようで、競争条件は益々厳しさを増しているので、健康で健闘されるようお願いした。

 Windows XPのPCには案外使いやすい画像処理ソフトが見つからないので、帰途蒲田のLaoxで画像処理ソフトを店員と相談しながら探した。ややこしいものはいろいろあるが、簡単な回転、明るさ、コントラスト等の調節の出来るものがなく、そのような簡単なものは、アクセサリのペイントを使えばよいと言われた。ところがペイントも同じくPC内蔵のデジカメWalkerも慣れないせいか使いにくい。そこでやむなくME機を使い、昔の「CAMEDIA Master 25」を使って画像処理し、CDにコピーし、そのCDからXP機にコピーして「北海道一周」のフォルダーを作成した。

 CAMEDIA Master 25は、たしかオリンパスのデジカメを買った時についてきたソフトなので、家にないか探してみたが見つからなかった。元々はME機に内蔵されていた「映像館」が最も使いやすいソフトであったが、どういうわけか使用中にPCから消えてしまった。補充しようとしたができなかった。そこでその後はCAMEDIAを使っている。その他いろいろな画像処理ソフトが入っているが、いずれも簡単には使いにくい。従っていずれME機からCAMEDIAをCDにコピーしてXP機でも使えるようにしておきたいと思っている。尚縮小ソフトも見あたらず、これも何とかしなければいけないであろう。


 


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