2005年6月日記帳


[30日(木)]道州の基本的な制度設計、戦後日本経済と財界人

 第28次地方制度調査会の第22回専門小委員会(05-05-17)に提出された「道州の基本的な制度設計について」という資料について検討した。国と道州の役割分担については、総論には問題ないが、具体例の中には意味がよく分からないものもある。又道州の区域と移行方法の中で、移行方法については、国の法律で区域を定め、全国一斉に道州に移行するのがよいと思う。又区域案としては、次の3点が問題である。即ち、@長野県は北関東か北陸信越か、A大阪は近畿に入れるか、東京のように独立させるか、B九州の南北分割は必要か。これらについては7月の道州制推進連盟の例会で検討する。

 日本工業倶楽部実業家資料室公開講演会として由井常彦氏の講演「戦後日本経済と財界人」を聴いた。本講演は3回目で、1回目は国際関係、2回目は戦後復興が主題で、今回は日本的経営が主題であった。武藤山治、藤原銀治郎、中島久万吉、辛島淺彦、宮島清次郎、桜田武、土光敏夫の諸氏が日本的経営の哲学をつぐ者として紹介された。例えば武藤山治氏は鐘紡社長としてILOに出席し、従業員を初めて社員と呼び、常勤取締役は6年以上社員であったことを条件とし、社長に定年制をひき、社内報を充実させた。但し晩年政界に出たがうまくいかなかった。藤原氏は王子製紙社長として苫小牧に一貫生産の工場を作り、現場主義、終身雇用などを行った。中島久万吉氏は男爵で古河電工や横浜ゴムの社長として労使一体とし、商工大臣にもなり、八幡製鉄の民営化を行い、昭和18年に素修会を始めた。以後省略するが、西田哲学や禅を重視し、日本的経営の特色となってきた。


[29日(水)]アクアスパ、戦争と共産主義、巨大災害

 昨日はあんな暑かったのに、今日は梅雨が戻り、気温は大分低かった。いつものように水曜日の午前はアクアスパへでかけて、陸上の筋力トレーニングと水泳を行った。自転車漕ぎは65Wで、4km、40kcal漕いでいる間、心拍数の最高値は、瞬間的に102であった。筋トレではやはりまだ力を入れると左肩に痛みを感じた。水泳で20mノーブレッシングは5回共成功したが、スピードにやや不満を感じた。水泳前後の体重は72.6kg→71.9kgで、昨日殆ど運動していないのが響いているらしい。

 イザヤ・ペンダサンの日本人と中国人でしばらく中断していたが、三田村武夫の「大東亜戦争とスターリンの謀略−戦争と共産主義- 」を見直してみた。どうまとめるか思案中であったが、日華全面和平工作として、昭和13年春、蒋介石を相手にせずの政府声明直後、茅野長知、松本蔵次氏等によって孔祥熙と交渉成立した、と記されている。ところがこれを当時同盟通信の上海支局長をしていた松本重治に話したところ、国民政府外交部亜州司長をしていた高宗武によって、日本に対しては中国側に全然戦意なし、国民政府に対しては日本側に戦意なし、と正反対のはたらきかけで交渉は決裂し、高宗武、松本重治、尾崎秀実、犬養健、西園寺公一、影佐禎昭一派の汪兆銘引き出し工作に転じてゆく、と記されている。つまり共産主義者によって長期全面戦争にもってゆかれた、と書かれており、先のイザヤ・ペンダサンとは全く見解を異にしている。

 夜、銀座ソニービルで、第96回J.1.フォーラムとして「巨大災害−近未来の気候変動を科学的に予測する−」が開かれ、これに参加した。地球学の提唱者・東大教授・松井孝典氏、環境史学の実践者・安田喜憲氏、気候システムの専門家・名大教授・安成哲三氏からそれぞれ話があったが、災害とは人間圏での話で、地球の変動の一環である。地震のような災害の正確な予知は現在できない。この100年でCO2が異常に増加しているが、その割りには温度は上がっていない。いろいろの研究は最近50年の話で、もっと詳しい研究が行われないと地球変動の実体はつかめない、というような話で、いささかがっかりした。尚2070年には文明は崩壊するという説もあり、未来が開かれるかどうかは50/50であるとのことであった。


[28日(火)]猛暑到来、歴史道楽

 今日は東京都心で最高36.2℃となり、6月としては観測史上の最高値とのこと。部屋の中でクーラーをかけいればよいが、そうでないといたたまれず、又外を歩いても暑い。梅雨は一体どこにかくれてしまったのであろうか?

 昨日の続きで、「日本と中国との歴史的関係」を纏めてみたら、A4版で2頁半になってしまった。私にとっては今まで知らなかった事実が幾つか指摘されており、貴重な意見だと思ったので、続々 GOLDEN AGE の歴史道楽にアップロードしておいた。

 特に日支事変の初期、トラウトマン駐独大使の斡旋で、日本の提案である日中提携三原則を中国政府が受諾して戦争が終わったかと思ったら、その2日後に日本軍が南京城総攻撃を開始しした。更に「提案を受諾し、かつ総攻撃を開始せよ」との決断を下した者はどこにもいなかったという驚くべき事実が明らかにされているのには、正直言って驚いた。

 更に江戸時代、勤皇思想は輸入品であり、その産物である天皇も実は輸入品で、「文化的に君臨すれども政治的には統治せず」の形態をそのまま天皇にあてはめて、それによって中国に対して文化的独立を主張してきたのが天皇制のもつ一面であると断じているのは、いかにもイザヤ・ペンダサン的見方だなと感じた。


[27日(月)]電子メールラッシュ、日本と中国との歴史的関係、カイロ

 今日は朝から一日中暑かったが、毎朝の行事でOutlook Expressにより電子メールの受信を行ったら、何と受信トレイで59通、迷惑メールで9通も入っていた。昨日の夜は受信しなかったが、こんなに溜まったのは初めてである。尤も抹消するメールが多かったが、中には富士通の転ばぬ先のバックアップ講座みたいにコピーしておきたいものもあった。

 万博関係とその後始末が終わったので、イザヤ・ペンダサンの「日本人と中国人」を終わりまで読んだ。もともと今から33年前、日中国交回復の時、大平外相の一片の声明で、日華平和条約をあっさり破棄してしまったことに、疑問と憤りを覚えて書き始めたものだそうで、見方が並の日本人ではなく、ユダヤ人的な見方である所に特色がある。しかも昔からの歴史的関係を検証している。内容は読みにくくて分かりにくいので、「日本と中国の歴史的関係」という題でエッセンスをまとめ直して見ることとした。

 月曜日の定例行事としてカイロプラクティックに行き、膝、腰、肩、首筋を治療してもらった。加齢現象もあるが、どうしても運動不足からか、筋肉や靱帯が硬くなる傾向にあり、このため首の回転が悪くなり、自動車の運転にも支障を生ずる懸念がある。又階段の上り下りの際に膝に痛みを感じたり、日常生活にも影響する。これらを防ぎ、少しでも支障のない生活をするために、当分の間、カイロ通いを続けることとしたい。


[26日(日)]万博疲れでゴルフはお休み、万博日記、日本人と中国人

 一昨日と昨日、万博会場を歩き廻ったため、普段ゴルフで足腰を鍛えているとはいえ、足裏まで痛くなり、日曜日はゴルフが日課とはいえ、流石にゴルフに出掛ける気がなくなり、一日家の中にいた。最も30℃を超える暑さも響いている。

 留守中、この夢幻日記もお休みしていたので、とりあえず、愛知万博1日目と2日目の日記を書いた。どこをどのように廻ったかを主体に書いたが、何しろ外国館を56館(中には1館で28ヶ国)も廻ったので、それぞれの内容について詳しく説明するだけのデータは仕入れてこなかった。しかしどこもお国ぶりを現しており、未訪問国の場合は一寸立ち寄ってきた気分になった。各国のお土産品も豊富であったが、各地の美貌の女性も少なからず目立った。又既訪問国でも、今までの見聞と異なる面のあることを知らされたこともあり、このような機会でもないとできない経験を得られたと思う。ついでに関係資料をとりまとめておいた。

 読みかけの、イザヤ・ペンダサンの「日本人と中国人」の第三章から第六章まで読んだ。日本の戦国時代から江戸時代までの日中関係を取り扱っており、副題の「なぜ、あの国とまともに付き合えないのか」という言葉通り、日中関係がうまく行かないのは、今に限ったことではなく、昔からであることを示している。ただ今まであまり論じられていなかったことがいくつか論じられており、終わりまで読んでから、もう一度注目点をおさらいしてみたいと思う。

 夕食後、疲れていたのでシャワーを浴びて寝室に入り、30℃もあるので冷房で冷やして、朝まで寝込んでしまった。


[25日(土)]愛知万博入場2日目

 名古屋クラウンホテルで6時に起床し、シャワーを浴びてから06:30別館5Fの食堂で朝食をとり、08:00バスで万博会場に向かう。昨日と同じ駐車場に到着後自由行動となり、残りのグローバル・コモン1と2は北ゲートの先にあるため、西ゲートへ行かず、リニモ公園西口からリニモで万博会場駅に向かう。所が土曜日ということもあり、リニモに乗るにも、北ゲートから入場するにも大混雑で、ようやく入場はできたものの、例えば企業パビリオンの三井東芝館の整理券を貰うにも沢山行列しており、夕方5時か6時でないと入場できないと言われ、本日は3時に帰ることになっているので企業パビリオンの入場は諦めた。

 そこで先ずグローバル・コモン1(アジア、除東南アジア)を廻ることとした。サウジアラビアと韓国は大勢並んでいたので敬遠し、その他の12館に入場した。ここではインドが素晴らしかった。世界はグローバル化したが、同時にインド化してきたという主張(ITその他)にはびっくりした。その他カタール、スリランカ、中央アジア共同館、ブータン、モンゴル、中国などが関心を引いた。

 続いてグローバル・コモン2(北米・中米・南米)に廻った。ここではアメリカを除いて全部の8館を廻った。中でも充実していたのが国際連合館で、糖尿病の注意まで出ていた。その他カナダ、中米共同館、アルゼンチン、アンデス・アマゾン共同館などが注目された。 アンデス・アマゾン共同館で昼食としてワニ・サンドを食べてみた。

 大分足が痛くなったが、再びグローバル・ループを歩いて西ゲートへ出て、そこから駐車場まで歩き、しばらく待っている内にバスが来て、15:00出発して帰途についた。途中夕食の弁当が購入され、夕食を済ませて20:15新宿に到着。バスは東京まで行くが、新宿で下車して電車に乗り21:30頃帰宅した。今日は21,200歩で、ゴルフで言えば1ラウンド程度であった。しかし両日とも好天で、炎天下よくも歩いたものである。しかし念願の未訪問国を含めて外国館を56館も見られて、その点では満足している。


[24日(金)]愛知万博入場1日目

 クラブ・ツーリズムのツアーに便乗して1泊2日の愛知万博(愛・地球博)見学を行った。本日は朝5時起きして07:45新宿(都庁駐車場)発のバス(44人満席)に乗り、車内で昼食を済ませ、12:15長久手会場公園西の駐車場に到着。記念写真をとってから徒歩20分位で長久手会場西口から入場し、以後自由行動となる。企業パビリオンなど人気の高い所は入場整理券を要し、長時間待たされるので敬遠し、専ら外国から出展しているグローバル・コモン、中でも今まで訪問したことのない国は必ず見るようにした。

 先ず西ゲートに近いグローバル・コモン6(東南アジア・オセアニア)の12館をすべて廻った。興味を引いたのは南太平洋共同館(11ヶ国)、ラオス、オーストラリアなどでインドネシア、マレーシアもやや注目された。
 次いでグローバル・ループを南に下り、グローバル・コモン5(アフリカ)に立ち寄り、南アフリカ及びアフリカ共同館(28ヶ国)の2館を見る。エジプトのみ混雑のため敬遠した。アフリカ共同館出展国は殆ど未訪問国なので関心を引いた。
 更にループの内側にあるグローバル・コモン3(ヨーロッパ、北アフリカ)13館のうち、入場に時間のかかるドイツとモロッコを除いて11館に入場した。中ではヨルダン、フランスの展示はすばらしく、イタリア、リビア、クロアチア、ギリシャ館も注目された。尚チュニジアで休憩をとり、外部のレストランでパスタとビールの夕食をとった。
 最後に一番南のグローバル・コモン4(東欧・北欧・西欧)に行き、オランダ、スイス、ポーランドには入れず、チェコは閉館していたが、残りの11館に入場した。中では意外にロシアがダントツに素晴らしく、北欧共同館、ルーマニアも興味を引き、コーカサス共同館、ベルギー、アイルランド、ウクライナ、ポルトガルなども関心を引いた。

 長久手会場の最南端にきてしまったので、ついでにキッコロ・ゴンドラに搭乗して南駅から北駅まで空中から会場を眺めた。企業パビリオンBからAに廻り、たまたまJR東海の超電導列車が陳列されていたので、内部を見学した。既に大分歩いて足の裏がいたかったが、再びグローバル・ループを反時計方向に約1/4歩いて西ゲートに出、歩いて駐車場に戻ってバスに乗り、21:00出発して名古屋市内の名古屋クラウンホテルに行き、一泊した。ここには三蔵温泉という真っ茶色の風呂場があった。本日の歩行数は32,000歩で、ゴルフで言えば1.5ラウンド歩いたことになる。運動靴が足にあわず、足の裏が痛くなってしまった。


 

[23日(木)]木曜講演会、法人税、日本人と中国人

 日本工業倶楽部で会員午餐会があり、たまたま隣席のG会長といろいろ話が弾み、道州制や杉浦正健官房副長官の話もあった。ついで第1242回木曜講演会で国連大学学長上級顧問・東芝常勤顧問の田中哲二氏による「今「中央アジア・南コーカサス」で何が起きているか」の講演を聞いた。中央アジアとはウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタンの5ヶ国であり、南コーカサスとはアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの3ヶ国である。これらの諸国はトータルでも人口7000万人であり、ソ連から独立してまだ政治的・経済的に軌道にのっているとは言い難い。BRICsの次の次と目されている。各国の詳細なJETRO資料も貰ったが、長い目で見てゆく必要がありそうである。

 工業倶楽部に出掛けた序でにK会計事務所に立ち寄り、法人税関連の会計資料を渡すと共に、若干の質問もした。調和社関連の資料は直接FAXで送って貰うこととした。なお給与所得は650,000円迄無税であり、これに基礎控除380,000円を加算すると1,030,000円になるということであった。又交通費は所得に算入しないとのことであった。

 イザヤ・ペンダサン著山本七平訳の「日本人と中国人」を図書館から借りて読み始めた。なぜ、あの国とまともに付き合えないのか、を歴史的、又斬新な切り口で論じている。まず感情国家・日本の宿痾として、条約より市民感情が優先する国として、外国からみると理解できない面があることを指摘している。日支事変でも今まで知らなかった史実を持ち出され、いささか辟易したが、最後まで読んでみたい。


[22日(水)]アクアスパ、道州制関連、増税問題

 毎週定例のアクアスパへ行き、トレーニングしてきた。いつものメニューでトレーニングしたが、数字的な面では、自転車漕ぎ(4km,40kcal)の心拍数は最高99であった。又水泳(1000m)前後の体重は72.3kg→71.7kgであった。又筋トレで左肩が相変わらず多少痛かった。水泳のノーブレッシングでも、5回のうち最初の2回は少々きつかった。しかし全般的には相変わらずといった所であったが、帰宅後プールの消毒液のせいか、鼻がぐすぐすするのには参った。。

 愛知万博へ行くための準備をしたり、眼鏡屋で眼鏡のフレームの調整をしてもらった上で、しばらくぶりに道州制推進連盟のHPの会議室に書き込みをしたり、地方制度調査会の第22回専門小委員会に提出された資料の「道州の基本的な制度設計について」検討を行った。基本的な考え方には異論がないが、国と道州の役割分担の具体例では首をかしげるものが少なくない。又道州の区域と移行方法については選択肢を絞り切れていない感がある。ただ一般には、どちらかと言うと地方の観点からの議論が多いが、自治とか国の観点から議論する必要があると思う。

 政府の税制調査会でサラリーマンの控除を減らす増税案を出してきたらしい。少子高齢化への対応の必要性は理解できるが、増税の前に政府及び地方自治体のリストラが必要であり、民間に比べて公的部門の業務の効率化は非常に遅れていると思われる。例えばPHPの日本再編計画では、道州制によって、年間50兆円の歳出削減が可能であると言っているが、現状では、取れるところからとる安易な増税の前に、公的部門(含む議会関係)の徹底的リストラをまず計画し実行し、財政再建を図るのを優先すべきであると思う。


[21日(火)]法人税決算資料整備、愛知万博資料整備、何があっても大丈夫、東アジア問題

 5月決算の法人税の申告に関連して、収支関係の資料及び領収書の整備を行った。東京都からは法人都民税及び事業税の申告書類は届いているが、国税は来週以降になるので、雪が谷税務署から申告書類を貰った。明後日工業倶楽部の帰りに会計事務所へ関係書類を届けて説明する予定である。

 愛知万博のグローバルコモン関係のパビリオンの配列をまとめ、又過日作成した出展国一覧(人口併記)をコピーし、万博を効率よく見学する資料とした。できればまだ訪問していない国のパビリオンを主として廻りたいと思っている。

 桜井よしこの「何があっても大丈夫」の表紙、目次、あとがき、等をコピーしてから図書館に返本し、読書の印象記を続々GOLDEN AGEのコラムに掲載した。母の話から小さいときの様子など、一代記としては詳細を究めており、又数奇な運命にも拘わらず、よく頑張ってきたと感心する。もう60才になると思われるが、社会派ジャーナリストとして尚しばらくの活躍を期待する。

 昨日の日韓首脳会談も極めて低レベルの合意に終わったが、最近の韓国や中国の動きは甚だ不愉快である。世界史的な動きを認識せず、単に個人的な恨みを増長させているようで、益々近視眼的な行動になってきている。最近ワック出版という所で、谷沢永一や黄文雄が韓国や中国相手にいろいろ書いているのを出版しており、図書館で調べたら他の図書館に在庫しているので、とりあえず2冊予約した。


[20日(月)]学士会6月午餐会、戦争と共産主義、カイロ

 学士会6月午餐会の講演は、東大名誉教授、前西洋美術館長、樺山紘一氏による「絵画による西洋の心−裸身と着衣をめぐって」で、ルネッサンス時代から現代に至る14名の名画家の作品をプロジェクターで投写しながら解説された。たとえばヴェネツィアのティッツィアーノの「聖愛と俗愛」では、裸身の女性が聖愛で、着衣の女性が俗愛であるという。神聖/世俗、又は無垢/汚濁、といった裸身と着衣の非対称性については、想像はできても十分な理解はできなかった。最後に感謝の言葉を述べられた大内副理事長の俗論の方が分かりやすかった。現代の日本でも、男性はきちんと背広をきているが、女性はだんだん裸身に近づいているが、やはり本件と関係があるのであろうか?

 桜井よしこの著書で中断していたが、三田村武夫の「大東亜戦争とスターリンの謀略−戦争と共産主義−」を読み終わった。今日読んだのは資料編で「日華事変を長期戦に、そして太平洋戦争へと理論的に追い込んできた論文及び主張」として昭和12年9月の中央公論から昭和16年11月の改造まで26件の論文と企画院研究会の国防国家の綱領、企画院事件の記録、対満政治機構改革問題に関する資料、あとがき、9名の書評、岸信介の序、遠山景久の復刊に際して、などである。結論はゾルゲ・尾崎秀実による謀略に、軍部も官僚も踊らされ、政治家はそれに追従して結局敗戦を迎えたという説で、従来にない見方であり、も一度要点を整理してみる必要がある。

 こにのところ毎週月曜の17時からカイロに通っている。左膝の痛みはなくなったが、左肩の痛み、右腰の痛みはあり、首の回転もぎごちなく、それらの点を主として施療してもらった。又筋力の増強について運動方法をコーチしてもらった。


[19日(日)]風邪気味なのにゴルフは好調、その他

 このところ風邪気味で体調がよくないが、いつものように本厚木へ出掛けた。予約していないので、やはり一人で来ている昔からクラブコンペなどで馴染みの同年配の連中と組み合わせとなり、一緒にプレーする。所がどうしたことか、インからスタートして、いつも50そこそこで廻っているのに、今日はパーが一つ、ダボが一つ、で後はボギーなので、結局ボギー・ベースで廻れた。これならアウトも好成績であわせて90を切れるかと期待したが、残念ながら2打及ばなかった。いつもはアウトの方が成績がよいのだが、昼飯時にビールを飲んだのが響いたのかも知れない。この次はビールを飲まずにトライしてみたい。当面の目標は90を切ることである。

 桜井よしこの「何があっても大丈夫」を読み終わった。全体は三章からなっており、第一章が「しっかり物を見なさい−母がくれた宝物」、第二章「私たちは二番目なんだ−父からの自立」、第三章「一体何になりたいのか−ジャーナリストへの道」で、最後は「女性は男性の二倍働き、優雅であれ」「キャスターから、また一歩」で終わっている。本の題名は母親の言葉である。しかし生まれ出る前からの自分史をよくも調べたものだと感心する。


[18日(土)]愛知万博調査・予約、何があっても大丈夫、日韓条約の内幕

 アメリカ西海岸周遊のHPアップロードが完了したので、愛知万博の調査を行った。最初インターネットで調べたが、それだけでは会場の様子が分かりにくいので、息子の所から資料を借りてきて、パビリオンの配置図をコピーし、ついでインターネットからグローバル・コモンの1〜6、及び企業パビリオン・ゾーンなどその他のゾーンの中の各館の紹介をコピーした。ついで行かれる予定を日記帳から選択し、クラブ・ツーリズムの愛知万博・1泊2日のコースを来週末に予約した。これで何とか万博に行かれる予定が立った。

桜井よしこの「何があっても大丈夫」を続けて読み、85%読み終わった。中学・高校を大分から新潟に移り、父がハワイへ行ってしまったので、資力の面で国内の大学へ行けず、ハワイに渡って父の大型レストランを手伝いながら大学を苦学して卒業している。次いで気が進まぬながらジャーナリズムの世界に入り、助手をしている内に雇い主に感化されてやる気が出てきた模様が描かれている。

NHKのBS1で「BSドキュメンタリー日韓条約・知られざる交渉の内幕」を2時間近く見てしまった。相変わらず戦時の徴用を強制連行と言ったり時々左翼的偏向もあった。1951年から1965年まで14年間も交渉に時間がかかった主な理由が、韓国の主張する「請求権」の問題で、アメリカの介入と朴政権の出現でようやく、無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力で条約が成立した。しかし最近になっても 被害者への補償請求のため、条約無効の運動が起きているようである。日本の経済・技術協力で韓国も大きく経済成長したにも拘わらず、いつまでたっても植民地時代を恨んでいるのは、台湾と比較しても明らかなように、恨み節の国民性に問題があると思われる。


[17日(金)]HPアップロードに苦戦、M&Aの動向、桜井よしこ、

 実は昨夜アメリカ西海岸のフォト・アルバムをアップロードしてみた。サーバーの容量制限が50Mであり、既に48Mに達しており、アメリカ西海岸だけでも4Mあるので、北海道とマレーシアとあわせて5M削除して、何とか容量制限に収めようとした。所が途中で「サーバーの空き容量不足のためアップロードできません」と掲示され、86枚の写真のうち58枚しかアップロードできなかった。しかも容量は51Mと制限を超えている。これは削除が効いていないのではないかと思ったが、残念ながら如何ともし難かった。

 そこで今朝になってジャストシステムに電話で問い合わせを行った。いつもなかなか電話が掛からないので、始業の10時少し前から掛けっぱなしにして強引に接続した。担当者のアドバイスでは、一旦アップロードしたファイルを削除して、その後再度アップロードしてみたらどうかということであった。50Mに近い膨大なファィルなので、これを全部削除しても大丈夫か心配だったが、担当者は大丈夫と太鼓判を押すので、思い切ってやってみた。かなり時間はかかったが、結果は成功した。序でに旅行記の誤りを正したり、観光旅行記の記録を最近まで補足したり、続々 GOLDEN AGE のリニューアルをはかり、当面の課題は一段落した。しかし50Mの拡大は今のところ不可能とのことであったが、要望として処理して貰うことにした。

 午後日本工業倶楽部の第491回産業講演会として、株式会社レコフ代表取締役の吉田允昭氏の「わが国企業のM&Aの動向」という話を聞いた。1985年からの経過をみると、年間260件から1990年には754件に増え、その後減少して1993年には397件まで減ったが、以後着実に増加し、2004年には2211件に達している。又一時海外の買収が目立ったが、今は国内主体が80%で、中小企業から大企業のグループ内のM&Aが増加し、アメリカの半分くらいになってきた。今は買収41.5%、資本参加30.7%、営業譲渡14.9%、合併4.0%であり、投資会社の売却・回収期間は約2.5年であるという。

 桜井よしこの「何があっても大丈夫」という図書は、今年の2月25日に新潮社から出版されたが、好評で、図書館で3ヶ月くらい待たされたと思う。三田村武夫の「大東亜戦争とスターリンの謀略」の解説篇と、資料篇の尾崎秀実の手記まで読んで、昭和初期から大東亜戦争までの世の中の動きの裏が大体読めたが、まだその他の資料篇が残っている。しかしこちらは購入した本であるが、桜井よしこの本は来週図書館に返さなくてはいけないので、あわてて読み始めた。丁度終戦の直後ヴェトナムの野戦病院で生まれたときからの数奇な一代記のようで、「何があっても大丈夫」というのは夫と離れても勇ましく稼ぎながら子供を育てた彼女の母親の言葉であるという。まだ中学生の頃までしか読んでいないが、読みやすい本であり、この先を読むのが楽しみである。


[16日(木)]アクアスパ、フォト・アメリカ西海岸原稿完成、法人税の確定申告

 昨日休館だったので、珍しく木曜だがアクア・スパへ行った。筋肉トレーニングは相変わらずで、右肩が力を掛けると多少痛む。尚自転車漕ぎで心拍数は最大95までしかいかなかった。プールの方は空いていて一人で泳げた。1000m泳ぐ内、20mノーブレッシングは5回行ったが、調子は良くもなく、悪くもなし、といった状態であった。体重は昨日運動しなかったせいか少し増えて、水泳の前後で72.5kg→71.9kgであった。先週より1kg近く増えている。

 昨日始めたフォト・アメリカ西海岸の原稿を本日完成させた。しかしまだすぐHPに登録させることは容量制限からできない。まず削除するフォト・アルバムを決定し、そのコピーをとってから削除し、ついで今日作ったHPMIXの原稿を登録する。同時にホームページの記載も一部変更する必要がある。尚アルバムを作成中に先日作成した旅行記に、一部誤りがあることが分かり、その訂正も必要となった。完成までにはまだ二・三日かかるかも知れない。

 東京都から法人事業税と都民税の確定申告の用紙が送られてきた。うっかりしていたが、法人のOマネージメントの決算月は5月なので、そろそろ会計事務所にデータを送るべき時期になっていた。従って懸案事項を早く片づけて決算資料の収集・送付に掛からなければいけない。


[15日(水)]アメリカ西海岸周遊のフォト・アルバム作成

 今日は水曜なので、朝アクアスパへ行ったら、本日休館日と言うことで駐車場が閉まっていた。うっかりしていたが、明日行くことにしよう。
 そこでアメリカ西海岸周遊のフォト・アルバムを作成することとした。しかしHPの容量が一杯なので、何か落とさないと入れられない。時間的に古い順から落とすことにして、今回はシチリア・マルタを落とすことにした。
 先ず第一に283枚の写真の中から選んで86枚をアルバムに入れることにし、そのフォルダーを造ったがなかなか順番に並んでくれない。ついで1枚約300kの写真容量を50kに落とし、アメリカ西海岸縮小版に収め、ようやく番号順に並べることができた。

 ところでフォト・ギャラリーに追加するのではなく、フォト・アメリカ西海岸を造る作り方を忘れてしまったが、何とか思い出してページ追加で新しいページを開くことができた。19枚の写真を使って記事をつくり、ようやく一日目のラスベガスの原稿ができたが、従来のものと体裁がまるっきり違うので、どこかおかしいと思い、テンプレート変更で、和風をシンプルにしたら、ようやく従来のものと同じ体裁になった。従ってあとは二日目からの物語を作ればよいことになった。


[14日(火)]大正製薬株式会社大宮工場見学

 半年に1回位の割合である日本工業倶楽部の見学会で大正製薬の大宮工場と研究所を見学した。
 東京駅前の日本工業倶楽部から10時30分に2台のバスに分乗して出掛けた。定刻15分以上前に工業倶楽部に到着したのに、たまたま一人前から2号車となり、往復の日照を考えて進行方向左側の前から4番目の席がとれて、快適なバス旅行ができた。
 実は池袋から先、大宮まで首都高速が延びているのを今回初めて体験して知った。なんと11時過ぎには大宮駅前のソニックシティビル前に到着した。案内ではパレスホテル大宮となっていたが、ソニックシティには沢山の企業や公共団体が入っており、31階のスカイレストランは地上120mで眺望が良く、東京電力が入っているらしく、エレクトリックキッチンプラザと称していた。ここでフランス料理の 昼食を食べた。

 大正製薬の大宮工場は大宮の北方にあり、羽生と岡山の工場はドリンク剤のみの生産であるが、大宮は主力工場としてドリンク剤のみならず、各種治療薬も生産し、又研究開発も行っている。海外では東南アジアに5つの工場をもっている。本日は研究所とドリンク剤及び治療薬の生産工場を見学した。かなりロボットを多様しつつある。

 大正製薬は売り上げは3000億円足らずであるが、経常利益は600億円を超え、純利益も400億円を超える利益率の高い会社である。又環境問題や各種社会的取り組みを活発に行っている。社内は別として、生命科学関連研究への支援、文化活動として、上原近代美術館、上原仏教美術館、下田セントラルホテルまでやっている。ただドリンク剤の市場が縮小してきているので、治療薬の開発に努力しているという。

 帰りには救急薬セットとして14種の薬品と脱脂綿、ガーゼ、油紙、医療器具セットをいれた救急箱をお土産に呉れた。薬の効用を読むと、セルフメデイケーションという面で有用な薬が多く含まれており、大変有り難いお土産であった。16時半頃帰路につき、大宮駅で途中停車して17時20分東京駅まで戻り解散した。途中護国寺〜竹橋間が渋滞していた。


[13日(月)]「アメリカ西海岸周遊8日間」HPへ掲載、雑務処理、カイロ

 アメリカ西海岸周遊8日間という旅行記を書いていたが、(その1)から(その6)まで書き終えた。そこで 続々 GOLDEN AGE の旅行記(異文化探訪記)へ掲載した。これで一段落ついたが、あとは写真を選抜し、解説を付けると共に、従来のものを何か落としてフォトギャラリーへ掲載する段取りが残っている。まだしばらくかかるであろう。

 このところ郵便物が多く、各種同窓会に続いて、各社の社友会の案内が相次いで到着し、その他各種催し物の案内が溜まっていた。そこで社友会に対してそれぞれ出席の返事を出し、その他の催し物についても出欠の返答を行った。行事がダブってしまい、どちらかは欠席となるものもあった。また青山会の講演要旨や大前通信の記事の拾い読みをした。又近くのユニクロにゆき、涼しいと称する夏のズボンを仕入れてきた。涼しそうな帽子は残念ながら見つからなかった。

 月曜なので、このところ定例的になってきたカイロへ行き、身体のあちらこちら揉んでもらい、骨盤の矯正をしてもらった。いろいろと筋肉について説明されるが、正直な所、よく分からない。ただ適当な運動をしないと硬くなってしまう筋肉もあるようで、毎日の注意が必要らしい。加齢現象と戦う毎日なので、根気よく対応する必要があろう。


[12日(日)]本厚木でゴルフ、孫の誕生日を祝う

 今日は朝早く練習会があったが、これはスタートが早すぎるので棄権し、いつもの通りゆっくり出掛けて、マイペースでゴルフをしてきた。もっとも単にゴルフだけでなく、往復の自動車の運転も、適度の緊張感があり、これも気分転換の一つになっているのかも知れない。東名では120km/hから140km/hで走ることもある。今日もフリーで昔馴染みの会員と組んでプレーした。アプローチやパットが時々素晴らしく決まって、ドライバーが飛ばないのを補っていた。問題は4番ウッドを時々打ち損じることで、これは改善する必要がある。これを改善すれば再びハーフで45を切ることも夢ではないと思われる。

 夜は近所にいる息子の一家がやってきて、孫娘の10才の誕生祝いを行った。序でに来月8才になる孫娘の弟も一緒にお祝いした。誕生日にあたって、今後は一生懸命勉強しますと孫達は宣言していた。とにかく明るく元気に育っていて何よりである。その上更によく勉強してくれたら、正に言うことなしの状態である。


[11日(土)]江戸東京たてもの園見学、旅行記継続

 毎月第2土曜に行っている嶺町文化センター・いきいきクラブの行事で、武蔵小金井の江戸東京たてもの園を見学した。ここは都立小金井公園内の西の方にあり、その北は有名な小金井ゴルフクラブである。

 復元建造物としては西ゾーン、センターゾーン、東ゾーンと併せて27軒あり、その中の子宝湯、天明家(農家)、高橋是清邸、田園調布の家(大川邸)、前川国男邸、小出邸、三井八郎右衛門邸の中も覗き、ビジターセンターの旧光華殿も入ってみた。その他屋外展示物にもいろいろあり、ボランティアの方が説明してくれた。尚店蔵型休憩棟で昼食をとった。これらは財団法人 東京都歴史文化財団の管理・運営施設である。

 アメリカ西海岸旅行記としてグランドキャニオン、ロサンゼルス、ティファナ、サンデイエゴと書き進んだ。あと残りはサンフランシスコとヨセミテである。


[10日(金)] アメリカ西海岸旅行記開始、ゴルフ練習、最近のテレビの話題

 先月の下旬に行ったアメリカ西海岸周遊8日間の旅行記を書き始めた。これは 続々 GOLDEN AGE の旅行記に掲載予定のもので、(その1)概要、(その2)ラスベガス、を書き、(その3)ラスベガス、グランドキャニオンの途中まで進んだ。しかし書いているうちに、記憶の定かでないことが往々にしてあり、これは今一度写真のスライドショーを見て記憶を再確認する必要性がある事を認めた。

 近頃は金曜日になるとゴルフの練習がしたくなる。今日も昼間久が原練習場へ行って、100発ばかり打ってきた。平日だと70才以上は入場料400円が無料になる。ドライバーは大分調子が出てきたがその他はまだ多少問題を残している。

 一頃は中韓両国による反日運動と靖国問題が専ら話題となっていたが、このところ一昨日のバンコクでの北朝鮮戦に2−0で勝って、来年のドイツでのワールドカップへの出場権獲得一番乗りを果たした日本サッカーチーム、通称ジーコ・ジャパンが連日囃されている。 たしかに柳沢のシュートや大黒の飛び出しは素晴らしかった。又その少し前のバーレン戦での小笠原のシュートも見事であった。こちらは明るい話題であるが、他方5月30日に亡くなった元大関貴乃花こと二子山親方の死去に伴い、若貴兄弟の確執が暗い話題となっている。実体は他人には分かりにくいが、しかし根掘り葉掘り問いただすジャーナリズムもいささか病的な感じがする。何か事件ばかり追いかけていると世の中はおかしくなるのではなかろうか? もっと良い話も拾い出してテレビで紹介してもらいたい。


[9日(木)] 道州制推進連盟例会議事録作成、日本工業倶楽部木曜講演会

 昨夜行った道州制推進連盟例会の議事録を作成し、連盟のHPの活動記録に掲載すると共に、MLで会員に連絡し、又生活者通信へ投稿した。内容としては7種類の配布資料について説明を行い、HPのトップページの体裁をきめ、前回から持ち越しの世界市場のドル化傾向と道州制との関係について議論して一応の結論を出し、やはり道州制を国家的見地から急ぐべきだとの結論を得た。その他連絡事項があり、次回は地方制度調査会第22回専門委員会に配布された総務省の「道州制の基本的な制度設計について」検討することとした。

 日本工業倶楽部の第1241回木曜講演会は、早大大学院アジア太平洋研究科天児慧教授の「激震した反日デモと今後の日中関係」であった。講師が時間配分を誤ったため、終わりの方は充分話す時間がなかったが、講師が強調したのは中国側の多様性である。即ち、ここ2〜3年の激しい反日感情の噴出も、「複合化する苛立ちの構造」「反日感情の深層心理構造」といった複雑な要因があり、単純には割り切れない。中国の対日世論調査の結果では、反日どころか日中関係は今後「好転」と46%が回答している。中国は内部的にも深刻な問題を抱えており、国際協調主義傾向を強めていかざるを得ない。日本の対中戦略としては、@米国との同盟維持、A日中基軸による東アジア共同体構築、B非米、非中のASEAN等と連携する第三の道がある。


[8日(水)] 3週間ぶりにアクアスパ、夢幻日記5月日記帳、戦争と共産主義

 先々週はアメリカ旅行、先週は芝浜会があったので、アクアスパも3週間ぶりであった。一応いつものメニューをこなし、体重も71.7kg→71.1kgと、旅行中の肥満から正常に戻ったが、筋力トレーニングで左肩が少し痛んだことと、水泳の20mノーブレッシングで最初少し苦しかった。しかし、しばらく休んだがそれ程体力は落ちていないようで安心した。

 そろそろアメリカ西海岸の旅行記と写真集を続々GOLDEN AGEに掲載するために、まずこの夢幻日記の5月分について、目次をつけて日日順に並べ替えた日記帳を作成し、コピーした。2005年としては73頁から86頁であった。一応22日から29日にかけて、簡単に旅程が書かれているので、それも参考にして旅行記を作成したい。

 先日来暇を見つけて三田村武夫の「大東亜戦争とスターリンの謀略−戦争と共産主義−」を読んでいる。まだ満州事変前の歴史であるが、従来昭和初期の歴史はあまり見かけず、三・一五事件など詳しく知らなかったが、大正末期からの左翼・右翼の動きを知ると、その後の満州事変、支那事変、大東亜戦争への流れに必然性が予想され、久しぶりに興味を感じた。早く読み切りたい。尚図書館からは何ヶ月か前に予約した桜井よしこの「何があっても大丈夫」が廻ってきたが、まだ手がつけられない。ほんとに近頃は興味ある読み物が多くて暇がないのは幸せである。


[7日(火)]たまった雑用処理で日が暮れる。河野洋平問題

 このところ色々な資料が溜まってしまった。GHQ発禁図書刊行会関係資料、経団連月刊誌経済Trend、東芝及び東芝テック社内資料、中学、高校、大学の同窓会報、株式投資先各社の株主総会関連資料、各種投資信託ファンド概況、等々一通り目を通して処分した。尚大学の同窓会HPへの55年会掲載についてトラブルがあり、問い合わせをおこなった。

 又土曜に出した大学卒業55周年記念会通知で、会費振込先の銀行名を三井住友とすべきを、通帳どうり「さくら」と書いてしまったことをT君の電話で知り、あわてて電話したが時間がかかるので又葉書を買って訂正文をのせて会員に発送した。又銀行へ行って会費を振り込むと同時に、三井住友の新しい通帳に変えてもらった。

 テレビによると、河野衆院議長が小泉首相に靖国参拝を自粛するよう要請したとのことであるが、実は今から12年前の平成5年に、彼が官房長官の際、碌に調べもせずに事実無根の慰安婦強制連行の謝罪をしたことが、韓国や中国をのさばらせる大きな要因となっていると思われる。大体河野洋平の歴史認識は自虐史観で誤っており、靖国参拝に文句をつけることもナンセンスであるが、議長が首相に文句を付けるのは三権分立の面から見てもおかしい。


[6日(月)]道州制に関する調査と資料準備、カイロ 

 明後日の道州制推進連盟例会に備えて、道州制に関する調査を行った。例によってGoogle NewsとYahoo Newsを調べた。地方では九州、北海道、中国、北東北、それに知事会で道州制の議論が進んでいる。最も注目されるのは、5月27日の第28次地方制度調査会第22回専門小委員会に総務省から配布された資料の「道州の基本的な制度設計について」である。内容は1.国と道州の役割分担について、2.道州の区域と移行方法について、となっている。道州の区分けは連盟案と少し違うが、役割分担等は参考になる。尚総務省案なので財務関係の措置が書かれていないのが珠に疵である。

 道州制というと地方自治の問題だからといって国家のことを無視する傾向があるが、やはり大切なのは国家の政治体制の抜本的変更であり、国家の問題を充分検討する必要がある。このため例会の資料として、@5月例会議事速報、A行革推進700人委員会活動記録、BGoogle News、CYahoo News、D如何にして円がドルに吸収されるのか? E国家破産するとどうなるのか? F大東亜戦争の総括メモ、G大東亜戦争とスターリンの謀略 をコピーした。この中でDEについて主として討議する予定であるが、大東亜戦争に関する解釈で国論が分裂しているので、F、Gの文献を紹介することとした。

 夕方カイロプラクティックオフィスへ行き、主として頚と腰の治療をしてもらった。やはり適当に運動していないと、筋肉や関節が硬くなり、支障が出てくるそうで、注意したい。又グルコサミンやコンドロイチンは軟骨や関節の形成に役立つようである。毎週1回程度行き、体調を整えておきたい。


[5日(日)]4週間ぶりのゴルフ、靖国問題 

 先々週の日曜から先週の日曜までアメリカを旅行していたので3週間ぶりかと思っていたが、手帳をみたら3週間前の日曜は東芝管弦楽団の音楽会だったので、結局4週間ぶりのゴルフであった。しかし一昨日少しではあるが練習していたので、普段とあまり変わりないスコアで廻れた。ただドライバーが飛ばなくなったのと、まだバッフィーで時々打ち損じがあることと、短いパットをしばしば外した。これらの点は改良を要する。尚今日一緒に廻ったのは入り立ての若い方で、背も高く、馬力があってよく飛ばしていたが、それだけに怪我も大きく、スコアはあまり変わり映えしなかった。ただ自身風邪気味だったのか、耳がつまり、声がかすれてしまい、残念ながら体調は芳しくなかった。

 朝出掛ける前にフジテレビの報道2001で、靖国問題をとりあげ、東条さんのお孫さんが出演していたので一寸覗いてみたが、東京裁判は国際法違反であり、戦犯は国会決議で赦免されているのに、当時の連合国と関係ない中共や韓国から何で文句をつけられて、政府が正式に反論しないのか不思議である。東条さんのお孫さんはなかなかしっかりしていた。菅直人なども戦争責任など訳の分からぬことを言っているが、マッカーサーだってあれは日本の自衛戦争だったと米国の上院で証言しているのを、一体どう解釈しているのであろうか?これだけ国内がもめているのは、政府の説明責任を問われてしかるべきである。


[4日(土)]大学卒業55周年記念会通知、読み物過多で困惑 

 本年11月11日に東大2・25E会55周年記念会を予定しているので、万年幹事として1月に夫婦同伴を含めて出席予定を訪ねたが、今月その結果を踏まえて収支仮計算を行い、再度予定を葉書で連絡するとともに、会員全員から一律3500円の拠出を求めた。出席者には更に出席時に別途会費を貰うが、50年会の時よりはトータルの会費を安くした。又先生及び未亡人にも別途連絡文を作成し、本日まとめて投函した。この作業で丸1日近くかかってしまったが、1日で終わってほっとした。更に9月に最終連絡をとる予定である。

 この所、正論が面白くてなかなか読み切れない所に、昨日三田村武夫の著書が入り、これも面白そうだが、たまたま小学校、中学校、高等学校から大学の学部と全体から、同窓会の通知と同窓会誌がおくられてきて、とてもではないが読み切れない。更にシーズンなので保有株の各社から株主総会の案内と議決権行使書が送られてきており、証券会社からは投資信託の報告書が送られてきている。とてもすべてに目を通す暇がない。更に証券会社から資産運用の働きかけがあるが、しばらくは応対する余裕がない。

 明日は気分転換のため、本厚木に行って一日ゴルフを楽しみたい。明後日は道州制の準備をし、その後アメリカ旅行の旅行記をまとめ、フォト・ギャラリーをまとめるつもりである。なかなか孫の面倒まで見きれなくて家内から苦情を食らっている。


[3日(金)]5月決算、久しぶりにゴルフ練習、大東亜戦争とスターリンの謀略 

 朝メールを見てから平成フォーラムを巡回し、その後5月決算を行った。クレジットカードで請求されている物の内、内容の分からぬものを問い合わせたりしてクリアした。最初少しきつかったが、途中から順調に進み、午後2時半過ぎには勘定奉行によるコンピュータ処理も終了した。

 そこでアメリカ旅行のためしばらく休んでいたゴルフを健康維持のため再開するについて、久が原の練習場へ行って100球打ってきた。必ずしも好調とは言えないが、それでも何とか格好をつけられる状態には回復した。その後カイロプラクティックから節々ドクターと称するグルコサミン+コンドロイチンの栄養補助食品を購入し、ついでに多摩川縁を散歩して体調を整えた。これなら日曜日に本厚木に行ってラウンドできそうである。

 雑誌正論にPRしていた、GHQ発禁図書刊行会事務局に購入を申し込んでいた三田村武夫著「大東亜戦争とスターリンの謀略」が届いた。これは昭和25年に「戦争と共産主義」という題で発刊されたが、当時は占領下にあり、GHQによって発禁されてしまったものである。大東亜戦争は左翼や共産主義者達が起こした戦争であると言うようなことが書いてあるらしく、大東亜戦争の見方が変わるかも知れない。正論もまだ読み切れないが、こちらも早く読んでみたい。


[2日(木)]東芝病院内科受診、衆議院予算委員会集中審議の印象 

 先週アメリカに旅行し、出てくる物を皆食べてしまったせいか、体重が3kg近く増えてしまい、糖尿や高脂血症に悪影響があるのではないか心配したが、血液検査の結果ではそれほど影響はなく、とりあえずほっとした。中性脂肪や血圧はむしろ健康体になっていた。今後再び食事管理をして、体重もコントロールし、血糖値の低減を図りたい。

 まだ旅行の疲れが残っているので、5月決算は明日にまわし、マッサージの機械をかけながら、午後1時から何と5時半までテレビで衆議院の予算委員会の中継を観てしまった。今日は集中審議ということで民主岡田、共産志位の各党首をはじめ、数人の質問があり、小泉首相は出ずっぱりであったが、論戦の主題は首相の靖国参拝問題と郵政民営化問題であった。

 靖国問題での質疑応答を聞いていて、首相をはじめ皆自虐史観にとらわれているのにはほとほと呆れた。今の議員は戦争の実体を知らず、東京裁判史観にとらわれており、大東亜戦争自体について不勉強である。さらに中国に対してはまともな国との幻想を抱いており、正論7月号に出ている岡田英弘氏の「今こそ中国幻想を捨てるべし」を読ませてやりたいと思った。「指桑罵槐」とは桑を指して槐を罵るという諺があるそうであるが、「本当の怒りの対象とはぜんぜん別のものを攻撃する」という意味で、中国人の行動原理として理解が必要とのことである。又アメリカでサンフランシスコなどテレビに中国語放送があるが、日本語はなく、又アイリス・チャンのザ・レイプ・オブ・ナンキンではないが、彼等の国際ネットワークに対する日本の対抗策も是非必要と感じた。

 郵政民営化に対しても、大局的見地からの質問がなく、又無責任な世論調査から大衆迎合的論調が多かった。政府・与野党を通じて、膨大な財政赤字を残し、尚年々赤字を増加させているにも拘わらず、相変わらずその元凶である中央集権制度にしがみついており、地方分権化を通じて行政の効率化をはかる気概が殆ど観られなかったのには怒りを感じた。

 戦後世代の時代となり、愛国心の欠如と共に、戦争に対する理解不足、世界歴史の不勉強、中国・韓国に対する認識の欠如、大局的政治観の欠如をまざまざと見せつけられたが、これでは日本は浮かばれない。このまま推移すればおそらく日本は破局に陥る可能性が高い。それを少しでも防ぐべくアピールを続ける必要性を痛感した。


[1日(水)]芝浜会出席 

 早くも6月を迎えたが、今日は暑い位のよい天気に恵まれた。たまたま本日は毎年1回開かれる芝浜会と年2〜3回の社友会、更に年4回の青山会と重なってしまい、芝浜会以外は残念ながら欠席した。又毎週水曜のアクアスパにもいけなかった。芝浜会とは東芝浜川崎工場のOB会で、本年が第35回になる。

 元来浜川崎工場は、元は鶴見工場にいた遮断器部門が、私の提案でスイスのBBCから空気遮断器を技術導入した所、従来の油遮断器に比べて断然高性能・低価格なので、電力会社はもちろん一般産業にも好評で、営業も儲かるので受注が多く、鶴見工場に入りきれなくなって浜川崎に新工場を建設したものである。そのご私は他部門に転籍したが、先輩のUさんのご好意で芝浜会の会員になったものである。そのUさんも昨年9月に亡くなられた事を知り、まことに残念であった。

 実は2年半前から三菱電機と合弁でTMT&Dという別会社になっていたが、丁度1ヶ月前に合弁が解消され、又元の形に戻った所である。変圧器や避雷器はよかったが、遮断器を含む開閉装置部門の折り合いがうまくなかったようである。やはり国内の需要が減少しているので、これからは海外を主としてマーケットとする必要があり、そのあたりに難しさもあったのではないかと思われる。

 今回はMさんやKさんの案内で遮断器関係の起業以来の資料を集めた資料室や工場見学をしたあと総会があり、その後懇親会が開かれて久しぶりにいろいろな方にお会いすることができた。大分高齢化してきたため、一寸見ただけでは誰だか分からないこともあったが、何十年ぶりかでお目にかかれた方もいた。来年には又開発も進んで工場が元気を取り戻すことを期待したい。帰りには送っていただいて恐縮した。





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