2005年5月日記帳


[31日(火)]デジカメ写真の修正、高木先生のお通夜、正論 

 アメリカ旅行で撮ってきたデジカメの写真が283枚で、一通り回転と明暗の調整を行ったが、一日かかってしまった。勿論あまりうまくない写真もあり、これらの中から取捨選択してスライドショー用のファイルをつくり、次いで更に精選すると共に、一枚当たり50kbにおとして続々GOLDEN AGEのアルバムに載せることを計画したい。但し大分利用容量が一杯になってきているので、どれか他の物を外さなければいけないかも知れない。

 昨日級友のS君から電話で連絡のあった、大学時代の恩師高木先生のお通夜が品川高輪の東禅寺で行われたので、クラス会の幹事として出席してきた。昭和6年の大学卒業であるから既に96才であり、電子工学の泰斗として文化功労者でもあり、天寿を全うされたと思われる。帰りにS君と喫茶店ルノワールでしばらくぶりなのでいろいろとだべってきた。

 たまたま雑誌正論の7月号が届いたので、往復の電車の中で、「特集・反日国際ネットワークを粉砕せよ」の冒頭にある京大教授中西輝政氏の「「謀略宣伝工作」という名の中国外交に打ち勝つための提言」を読んだが、いつも彼の主張には同感する。文中民主党前代表菅直人氏の首相の靖国参拝と昭和天皇の戦争責任に関する批判を日本の悲劇の根幹と非難しているが全くその通りである。更にGHQが発禁にした三田村武夫の「大東亜戦争とスターリンの謀略」の再復刊の通知があり、発注したいと思う。


[30日(月)]留守中のメール、フォーラム、日記とカイロ 

 旅行中の荷物の片付けは家内にまかせ、午前中は溜まっていた通信物と電子メール約125通をこなし、午後からは平成フォーラムのコメントを一覧し、更に22日からの日記を簡単につけた。これで留守中に溜まった用事は一通りこなすことができた。

 夕刻近所のカイロへ行き、主として頚と腰を揉んでもらった。お蔭で今回の旅行では、毎日13,000〜25,000歩と大分歩き、又長時間バスや飛行機に揺られたが、幸いにして身体の痛みは感じなかった。やや疲労感はあるが、これで気分的にもすっきりした。


[29日(日)]成田着、解散、蒲田で夕食後帰宅、新聞を読む 

 時差16時間であり、到着2時間前に軽い夕食を機内でとり、飛行時間10時間で15:00予定より40分早く成田空港に到着。荷物が出てきて解散となる。16:00荷物はABSに預けて当日宅配となる。16:25成田第二空港ビルより京成特急にのり、日暮里経由蒲田で夕食をとり、19:30頃帰宅する。これでアメリカ西海岸周遊8日間の旅は終了した。

 帰宅後留守中の新聞を一通り読み、株価・為替の推移を記録した。どうやら靖国問題と呉儀副首相の小泉首相面会拒否で日中間がもめているようで、屋山太郎ではないが、日本は大陸国家とは別に海洋国家として、中韓両国とは距離を置いた方がよいとの感もある。



[28日(土)]サンフランシスコ発帰国の途へ 

 06:30起床、07:00朝食、ホテル近くの大聖堂やルーテル教会を見物。この間08:30荷物出し、09:30ロビー集合、バスにて10:00サンフランシスコ空港着。

 13:00サンフランシスコ空港発、満員のJL-001便にて帰国の途につく。昼食をとり、仮眠する。


[27日(金)]オークハースト→ヨセミテ国立公園観光→サンフランシスコ 

 07:20ホテルを出て、近くのレストランで朝食後曲がりくねった道を登り、南口からヨセミテ国立公園に入る。

 まずブライダルベール滝を眺め、ついで花崗岩として世界最大の一枚岩エルキャビタンや、伏せたお椀のような山の半分がすっぽりと削りとられた形のハーフドームを眺めて写真にとる。あちこちと止まりながらヨセミテロッジに行き、ヨセミテ滝の滝壺で強烈な水しぶきを浴びた。この滝はアメリカでは一番長い滝との話であった。ついでヨセミテロッジの中庭で弁当の昼食(11:00〜12:00)をとり、帰路につく。尚ロッジでは新婚のカップルがいた。途中ブライダルベール滝の近くで写真休憩後、公園西口から出る。

 そのままバスで西進し、また風車を眺め、ベイブリッジを渡ってサンフランシスコに戻り、ケーブルカー沿いの中華街の中華料理店で17:00〜18:30最後の晩餐をとり、ジャパンセンター隣のラディソン・ミヤコホテルに宿泊する。


[26日(木)]ロサンゼルス→空路→サンフランシスコ・市内観光後→バスにてオークハーストへ移動 

 04:15起床、05:15ロビー集合、おにぎり弁当を貰い、バスにて06:00ロサンゼルス空港に到着後朝食。07:45ロサンゼルス発UA-774にて08:50サンフランシスコ空港着。09:40空港発、バスにてサンフランシスコ市内観光。

 まずゴールデンゲートブリッジを眺め透かし、ついで名物ケーブルカーに始点から終点まで乗り、又バスでフィッシャーマンズ・ワーフのピア39を見物し、レストラン・パリジアンで昼食として名物サワードゥを食べ、13:00バスにて出発。

 バスはヨセミテ国立公園玄関口のオークハーストへ向けて東進。途中アルタゴン峠では発電用風車が林立しているのを眺め、フルーツスタンドにて休憩し、17:15ようやくオークハーストのカムフォート・インに到着。17:50〜20:30日本料理オカでます料理の夕食をとり、 カムフォート・インに戻って宿泊。


[25日(水)]メキシコ(ティファナ)、サンディエゴ観光 

 今朝は早朝からバスで一路南へメキシコとの国境に向かい、徒歩で国境を越えてティファナへ渡る。バスで繁華街レボルシオン大通りへ行き、アステカで買い物し、大通りを散策した。昼食にはラ・プラシータでタコスを食べ、再びバスで国境に戻る。国境の検査が厳しく、通過に30分以上かかった。

 午後は再びバスでサンディエゴに行き、まずホテル・デル・コロナドの周辺を散策し、続いてシーポート・ビレッジで散策し、土産物屋を覗いた。外の海には大量のアザラシがいて、かなりの臭気を発していた。

 夕刻ロサンゼルスに戻り、ホテルの向かいにあるステーキハウスで400gのプライムリブステーキを堪能した。21:30ホテルに帰着した。


[24日(火)]午前移動、午後ロサンゼルス観光 

 ヤバパイ・ポイントからの朝日鑑賞は05:16頃であったが、これは棄権し、それでも朝05:00前に起床、朝食をとり、06:20集合してバスで空港に向かい、グランドキャニオン08:30→09:15ラスベガス11:35→ロサンゼルスと飛行機で移動し、12:40ロサンゼルスに到着した。

 昼食はマリナ・デル・レイの海の見えるホテルのレストランでマス料理を食べ、続いてロサンゼルス市内観光として、まずサンタモニカの海岸を散策し、スーパーに寄ってから、ハリウッド&ハイランドのDFSショップとチャイニーズ・シアターへ行った。

 その後宿泊先として昔の日本人街の入り口にあるミヤコ・ホテルに行き、夕食は八つ橋という日本食レストランでカリフォルニア御膳を食べた。現地ガイドの辻本さんの話によれば、9.11テロの影響で観光客が激減し、日本人街の多くの店がつぶれたという。


 

[23日(月)]午前ラスベガス、午後グランドキャニオン観光 

 午前中はフリーで、ルクソール・ホテルの近くのニューヨーク・ニューヨークやマンダレー・ベイを見学した。ただカジノに迷い込むとなかなか出口が分からなくなる。

 昼食後午後、小型セスナ機に分乗してグランドキャニオンに行く。機上から壮大なグランドキャニオン(全長446km、谷幅800m〜29km)の不思議な光景を眺める。空港よりバスで宿泊のヤバパイ・ロッジに行き荷物を降ろしてから、再びバスで峡谷地帯に向かい、日没前にトレイルビュー・オーバールックとピマ・ポイントでコロラド川を眼下に巨大な谷と絶壁を眺め、モハベ・ポイントで19:33の日没を眺める。

 帰路マスウィック・ロッジで夕食をとるが、ブッフェスタイルで先に会計する方式だったが、会計に時間がかかり、食べる時間がなく、食べ物を包んで、再びバスでヤバパイ・ロッジに向かい夕食をとり、宿泊した。しかしシャワーや風呂はお湯がでなかった。


[22日(日)]アメリカ西海岸周遊旅行に出発、ラスベガス観光 

 本日より29 日(日)まで、クラブツーリズムの「いたれりつくせりアメリカ西海岸周遊8日間」(一行39名、添乗員田中美恵子)に出掛けた。いずれ詳細な報告と写真を続々GOLDEN AGEに発表する予定であるが、とりあえず行程概略を日記形式で報告する。

 成田国際空港第二ターミナルに13:30集合なので、10:26沼部発→蒲田→日暮里→京成特急成田第二空港ビルに12:30頃到着、昼食後集合、搭乗手続きをとる。16:00成田発、JL-026便で約9時間半、日付変更線を通過して(時差16時間)、09:30ラスベガスに到着。空港での入国手続きに手間取ったが、無事入国し、以後専用バスで市内見学。

 ラスベガスは温度が高く41℃と言っていたが、空港から市内に入り、まずシーザース・パレスのフォーラムショップスの中のレストランでサンドウィッチの昼食をとり、ついでシーザース・パレスの火のショーを見る。ついでベラッジオ・ホテルの噴水ショーを眺め、玄関では天井に2000枚のヴェネツィアガラスの装飾があり、チョコレート流しを見てから、ラスベガスの珍しいホテルをバスから眺めながら、宿泊のルクソール・ホテルに向かい、しばし休息する。

 17:30再びホテルを出て、ミズノ・ステーキハウスで鉄板焼きの夕食をとり、19:30よりバリーズで21:10までジュビリーというノーブラの素晴らしいショーを楽しんだ。続いてフリーモント ストリート エクスペリエンスという旧市街のアーケードの動画を楽しみ、ついでストラットスフィア タワーに登りラスベガスの夜景全景を俯瞰し、ルクソールめホテルに戻って宿泊した。


[21日(土) カイロプラクティック、道州制3段階移行提言

 今週は月曜につづいて多摩川カイロプラクティックに通った。首の回転は大分楽になり、自動車の運転で左右を見るのが大分楽になった。ただ腰や膝はまだ充分回復しておらず、長く腰掛けていると、立つときに腰が痛くなる。又階段を登るときに、時によるが、右膝に痛みを感じることがある。それでも年齢の割に筋肉がついていると言われるとくすぐったい感じがする。もうしばらく通って様子をみようと思っている。

 道州制のニュースを探していたら、西日本新聞で、九経連の研究会報告書として九州に道州制3段階移行提言がでているのに注目した。九州・山口経済連合会の地方制度研究会の報告書で、道州制が産業活性化や国際競争力の強化につながるとして、道州制への移行は、第一段階で九州各県と経済界で構成する「九州地域戦略会議」などを通じた県間連携を強化。第二段階で独自の事務機構と予算を確保し、企画機能をもつ「九州県連合」を設立。第三段階で、国の出先機関の一部を「九州県連合」に統合して県を廃止し、道州制へ移行。直接選挙による州の首長を選出する、としている。

 経済界を加えた地域戦略会議という発想は面白いし、又経済的自立を考えると有効ではないかと思う。問題は、第二段階の県連合というステップを踏むべきか、省略してもよいのではないか、このへんを充分検討する必要があるのではないかと思う。ただそれにしても中央政府側として政治主導で思い切った改革のプログラムを提示することが必要ではないかと思う。


[20日(金) 中国経済産業の問題点、日本の問題点、第四の価値、

 日本工業倶楽部産業講演会で拓大丸山教授の「中国経済産業の行方と日本」という講演を聞いた。胡錦涛・温家宝政権の問題点として@農民4000万人が土地を取り上げられ各地でデモ、A炭坑をはじめ人身事故多発、B原油輸入量の増加と価格高騰に伴うインフレ効果、C沿海都市(10,000元)と内陸地域(500元)格差拡大に対する反発、が挙げられる。しかし中央政府の調整能力は不足しており、経済のファンダメンタリズムはまだ不安定のようである。又中国企業は技術導入して模倣することが競争に勝つポイントとなっており、技術開発に資金を投ずる段階に達していない。

 学士会報2005-Vで元日銀総裁の三重野氏は「世相あれこれ−志の高い国へ−」でいくつかの問題点を指摘している。@国家意識の稀薄化、A構造改革の主役は民間であり、脇役の政府の施策の中で最も重要なのは規制緩和の徹底である。Bモラルの確立には言葉が大切であり、倫理・哲学の確立が必要、C平和への積極的取り組みには憲法改正、自主的外交戦略が必要である、としている。

 同じく学士会報で科学技術振興機構理事の北沢宏一氏は「科学技術の新しいマーケット」として、個人の欲望の充足から仲間や地域などの集団で購入できるようにしないと入手の難しかった第四の価値の追求が今後の課題であるとしている。例えば、街並みの美しさ、街の緑化、地域環境、リサイクル、地域活動、クリーンエネルギー、交通安全、復興支援などで、これらを遂行するにはNPOが重要な役割を果たすとしている。日本は個人がパチンコなどにギャンブル消費しているが、アメリカではそれ以上にNPOへ寄付しており、雇用にも大きく影響してくる。要するに第四の価値の創成が今後の日本の経済活性化に大きな役割を果たすと考えられる。


[19日(木) 一般廃棄物処理施設の動向、ビジネス新大陸の四つの経済

 昭和11年から19年にかけて四中を卒業した人の有志の会(十徳会)で、本日は16年卒の方の「一般廃棄物処理施設の動向」という話があった。

 循環型社会を形成するには3RとしてReduce(削減)、Reuse(再利用)、Recycle(循環利用)が必要である。ゴミの減量にはゴミ収集の有料化が有効ではないかと思われ、現在約300市で実施しているが、初年度で10〜30%減量されるが、3〜4年経つと15〜20%に落ちるようである。又ゴミ処理方式を変更して焼却灰を溶融固化すれば焼却残渣の埋め立て量が減少する。しかも溶融物は道路の路盤材として再利用できる。又溶融排ガスを利用して3000Kw程度の発電と暖房供給も行われている。又容器包装プラスティックなどは補助燃料となり、建設廃材などは分別が義務づけられ、廃木材などは焼却、粉砕ガス化される。又一般生ゴミはメタン発酵され、発電する方式が増えている。し尿処理施設ではメタンガス化して発電する。

 上記の傾向から、ゴミ焼却・粗大ゴミ処理・し尿処理施設は同一地域にまとめて有機的に処理するのが良いが、迷惑施設と思われ、住民を如何に納得させて建設するかが自治体の苦労する所だそうである。

大前通信によれば、21世紀のビジネス新大陸には4つの経済があるという。旧世界から継続している「実体経済」、金や情報が国境を越えて自由に流通する「ボーダレス経済」、インターネット等の通信技術から生じた「サイバー経済」、そして自己資金の100倍、1000倍の資金が動く「マルチプル経済」である。問題は最後のマルチプル経済で、マルチプルとは株価倍率で、先頃話題のライブドアは売上高108億円、経常利益13億円にすぎないが、時価総額は2350億円である。これは投資家が堀江氏を腕の立つガンマンと見込んで弾薬を補給しているからで、もし三木谷氏や堀江氏が射撃の名手でないと分かったら、投資家はすぐに弾薬の補給を断ってしまうと思われるので、彼等はリスクをとり、弾を撃ちまくっているのだという。

 堀江社長はマルチプル経済とは何かをお茶の間に分かりやすくみせた功績が大きいが、新大陸の歩き方がまだ分かっていない。西部のガンマンは寡黙であるべきで、自分の手の内は見せる必要がないのに、彼はメディアで喋りまくってしまった。同時に既存の新聞・テレビが新大陸での金融や投資の問題を全く理解していなかった事も暴露されたという。


[18日(水) アクアスパ、竹内医院、正論、大前通信、

 水曜日として定例のアクアスパでトレーニングを行った。体重の低下と共に多少筋力も低下しているのではないかと思うが、陸上、水上、共にいつものメニューを無事こなした。毎週1回ではいささか軽すぎるかとも思うが、日曜のゴルフを考えると、なかなか週2回もトレーニングに行くことは難しい。当分現行のまま頑張るつもりである。

 やや風邪気味で又疲労気味だったので、昼食後しばらく休憩してから、近くの竹内医院へ行った。体重の低下で疲労感は出るが、そのうち却って元気になるとアドバイスされた。旅行に備えて風邪薬と皮膚病の薬をもらってきた。又昨日の健診の結果も連絡した。

 昨日までに正論の6月号をほぼ読み終わった。反日デモを行った中国と韓国に関する記事と教科書に関する記事が多かった。しかし今日の産経の正論に加地伸行氏の「今も変わらぬ阿Qの世界」「国際ルールに疎い幼稚さ」として講和条約締結後は過去について国家として蒸し返すことをしないでつき合ってゆくのが国際社会のルールであるとしている。さらに経済面でも「対日友好が必要なのはむしろ中韓」の方であり、「つき合わぬのも外交政策の選択肢」という見解はなかなかに説得力がある。又教科書は扶桑社の刺激で大分変わってきたが、それでも未だに反日・自虐史観記述が目立つようである。

 又大前通信No.128号ではアメリカに代わる日本のニューフロンティアはBRICs+TVTだと主張している。つまりブラジル・ロシア・インド・中国+タイ・ヴェトナム・トルコとしている。しかしグローバル競争の時代に入り、BRICsと言っても、それぞれの国の中で栄えているのは3地域程度であり、「地域国家」の時代になってきているという。この現実は道州制でも同様で、もはや国全体が一律にうまくゆく時代ではなくなったようで、このあたりが日本の地方住民にはまだ充分認識されていないようである。


[17日(火) 総合検診を受診、旅行予定改訂

 東芝総合検診センターで一通りの検査をしてもらい、オプションで内視鏡検査をしてもらった。結果として異常なかったのが、肥満度、血圧、血液検査、炎症反応、感染症、肝機能、血清蛋白他、膵臓、脂質検査、尿酸、腎機能、尿検査、下部消化管、腫瘍マーカー、と大半であった。所見はあるが日常生活に支障ないのが心電図、観察が必要で1年後再検査が耳、眼、肺機能、胸部X線、であった。腹部超音波の結果、左腎の腎盂拡張・水腎症は次回泌尿器科で精密検査が必要といわれ、糖尿は治療継続と判定された。尚内視鏡検査をオプションで受けたが、軽い慢性胃炎はあるが問題ないという判定であった。腹部超音波のみ意外な結果であった。

 アメリカ西海岸周遊8日間の飛行機の発着時間や宿泊のホテルがきまったので、前に作ったスケジュールを一部修正した。又気温の変化が激しいので、それに対応するように衣料品も一部入れ替えた。


[16日(月) 旅行荷物準備、蒲田で雑用処理、カイロ

 昨日に続いて旅行荷物の準備を行い、衣類等を整備して一応トランクをまとめた。まだ大分日日があるので、その間修正可能である。ラスベガスのように暑い所とグランドキャニオンのように寒い所とあるので、気温に対する対応が難しい。

 蒲田へ行き、先ず三菱東京銀行へ行って現地で必要な外貨の小銭を用意した。続いてみずほ銀行へ行き、日本再建のための行革700人委員会への会費を寄付してきた。更にLAOXへゆき、プリンターのカラーとブラックのインクを購入した。700人委員会には道州制推進連盟の代表として加盟しているので、帰宅後その旨MLで連絡した。又富士通のバックアップの仕方の講座で、テキストをコピーするのに午前中カラーのインクが切れたので購入し、帰宅後インクのカートリッジを交換した。

 又1週間ぶりに多摩川カイロプラクティックへ行き、首から腰、脚まで手当してもらった。お蔭で首の調子は大分よくなった。まだ腰から膝、更には足が万全ではなく、いろいろと手当てすると共に、腹筋・背筋のトレーニング法、脚の横の筋肉の鍛え方など教えてもらった。施術師はまだ若いがなかなか熱心で、今日も1 時間15分に亘って施療してもらった。あと今週末に次の予約をとった。


[15日(日) ゴルフの代わりに音楽会、旅行荷物準備、

 日曜日は原則的にはゴルフであるが、今日は東芝フィルハーモニー管弦楽団第22回定期演奏会があり、五反田ゆうぽうと簡易保険ホールへ出掛けた。毎年2回程度あり、招待状をいただいている。

 例によって河地良智氏の指揮で、3曲の演奏が行われた。
 ワグナー:歌劇「ローエングリン」第1幕・第3幕への前奏曲、WWV.75
 チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a
 メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」

 従業員とOBの素人の楽団であるが、なかなか演奏は上手でプロに引けをとらず、今回は特に金管楽器の演奏が魅力的であった。今後も研鑽を続けてほしい。尚会場は満員の盛況で、いつものようにアンコールの曲も見事な出来であった。

 旅行荷物の準備に入ったが、いつもの事ながら、荷物をどこにしまったか忘れてしまい、揃えるのに一苦労する。今回もカメラの説明書が見つからない。たまたまテレビを見たら、女子ゴルフツアーで19才の宮里藍が13アンダーで2位と実に8打差のダントツの今期初優勝であった。


 

[14日(土) 米国西海岸インターネット調査、満州よりシベリア抑留記、

 米国西海岸については、一応ガイドブックで調査したが、更にインターネットで、ラスベガス、グランドキャニオン、ヨセミテ、について検索調査した。画像を含めてガイドブックより詳しい面もあるが、まとまりから言えばガイドブックの方が分かりやすい。しかし旅行者の体験談から参考になる面もあった。しかしヨセミテ国立公園の玄関口にあるというオークハーストという町の所在はどちらでも分からなかった。

 午後から文化センターで嶺文いきいき倶楽部の例会が開かれ、80才のHさんが、若い頃の体験談として「満州よりシベリア抑留記」を3時間にわたって熱演された。近衛師団経理部建築課として昭和16年中支の南京→武漢へ行き、そこに2年3ヶ月いてから帰国して茨城県の海軍航空隊の飛行場をつくり、1年後北朝鮮から満州に渡り、満州・朝鮮・ソ連の国境守備隊に行き、10ヶ月で敗戦しシベリアに抑留され、3年後帰国したという。ラーゲリは冬は零下40℃の土地で、過酷な環境で強制労働8時間が続けられたというが、ラーゲリの生活やラーゲリでの思想教育など、実体験者の話として貴重なものであった。尚抑留体験をこなした結果、帰国後鹿島建設で数々の難工事に従事して成果を挙げ、無からの発想法として新工法や特許を生み出したという。最後に「八十路まで 生き抜きたるは 若き日の 苛酷に耐えし シベリア憶う」という一首を披露された。


[13日(金) 雑用をこなす。日本国の戦略に関する問題点、

 本日も気温が低かった。メールやフォーラムはルーチンとして朝晩チェックした上、朝からいろいろと日頃の雑用をこなした。
 まず昨日に続いて道州制推進連盟HPのトップページの体裁変更について、説明書につづいて新体裁案を作り、事務局にFAXした。更に今後の検討課題のタネとして、藤井厳喜の「円の消える日」と「国家破産以後の世界」の感想文をコピーした。
 続いて調和社のKさんが来て、ビビエンダ田園の貸借条件や改装について話し合いを行った。改装については早速T工務店に依頼した。
 気分転換に、沼部の打ち放し練習場に行ってゴルフの練習をしてきた。あまりボールが上がらないが、手首のコックをうまく使うとボールが上がることが確かめられた。帰宅後玄関先から門のところまで、落ち葉の掃除を行ったが、多少腰が痛くなってしまった。
 続いて道州制推進連盟の関係書類を整理し、あわせて各種問い合わせ又は連絡に対する回答を、葉書やメールで行った。
 更に評価で問題のあった「内外投資信託・公社債」の時価評価についてM証券に問い合わせ、一覧表を改訂した。

   道州制の問題や、中国・韓国との問題を考えると、どうしても日本国が国家戦略を明確にもっていないような気がして不安になる。第一国家の財政破綻が目に見えているというのに、その対策が一向に見えて来ないばかりか、未だに被占領中のWGIPによって、国家の重要問題は議論したり報道したりすることが禁止されているのではないかとすら思える。更にWGIP自体が分からない人が増え、そのくせWGIPで叩き込まれた日本は侵略戦争をしたとか、A級戦犯を祀った靖国に首相が参拝するのはよくないとか、私にすれば国際法違反のおかしなことが、まるで正しいことと信じ切っているような人が多いのに呆れかえる。やはりWGIPで日本人に如何に戦争犯罪意識を植え付けたか、アメリカ製太平洋戦争史と共に、全面的に見直して、洗脳から解放しないと、日本は国際的にまともな国になれないと思う。日本のビジョンを明確にし、道州制のシステム概要をきめ、合併効果と再編効果で毎年50億円以上の節減をはかり、膨大な借金も返済の目途を早くつけないと、それこそ国家破産の痛い目を見ることは残念ながら間違いないであろう。


[12日(木) 道州制推進連盟例会、厳しさ増す日中関係、

 昨夜道州制推進連盟の5月例会を行った。配付資料の説明についで、トップページの体裁を決め、戦略的課題3件の討議を行った。本日それにもとづき議事録を作成し、関係先にメールで送った。又トップページの体裁について詳細な説明書を作成した。

 日本工業倶楽部第1239回木曜講演会として、朱建栄教授の講演「厳しさを増す日中関係」を聞いた。彼の言うには愛国主義教育即反日ではなく、共産党不信に対する対策である。最近の反日の特色は中間層の台頭であり、IT時代(約1億人、携帯電話3.4億台)である。中国でも反日は危険と見ている。愛国無罪は政府へなぜ止めるのかの抗議であり、共産党の統治が及ばない。中国の恐れる背景は、韓国人留学生に煽られ、反体制活動家や欧米民主化勢力の活動にある。暴動に謝罪しなかったのは反日の謝罪を求めていると考えたためである。

 中国では文化大革命でも犯人は毛沢東ではなく四人組と記号化したが、日本に対しても賠償をとらなかったのは、日本国民が悪いのではなく、A級戦犯(東条)が悪人であると記号化した。従ってそれを祀る靖国に政府首脳が参拝するのは怪しからぬという記号化である。本件は容易に片付かぬと思われるので周辺から整備し、相互理解が不足しているが、運命共同体への積極的働きかけが必要と思われるという事であった。江沢民=反日と記号化してはいけないと注意していた。北京での反日暴動の直後、胡錦涛は上海に注意を促した。それに対して上海は大丈夫と返事したが、翌日暴動が起きてしまった。どうやら共産党の統治もあやしくなってきたようである。


[11日(水) アクアスパ、道州制推進連盟例会関連、、

 今日は東風で急に寒くなり、3月の気候となった。午前中はアクアスパへ行き、トレーニングを行った。体重は水泳の前後で72.0kg→71.3kgであり、すべてほぼ順調でまあまあという所であった。昨日聞いた貝原益軒の養生訓ではないが、適当に身体を動かすことにより、気がめぐって元気になり、心がやわらぐことを実感した。人の健康は300年前とあまり変わりはないと感じた。

 今夜道州制推進連盟の例会があるので、まず連盟のHPの会議室で議論した3件の戦略的課題(@基礎的自治体の形成について、A道州制で世界市場のドル化傾向に対処できるか?、B独立国としての内容充実方策)について、議論の内容をコピーしてプリントした。
 ついで4月例会の議事録と上記Bに関連して日本工業倶楽部で聞いた日本経団連の「わが国の基本問題を考える 〜これからの日本を展望して〜」という話のA3版1枚の纏めを本日の配付用にコンビニへ行ってプリントしてきた。
 更に先日贈られた日本道州制研究会会報第4集を本日の配布前に一読した。
 最後にやはりBと関係していると思われるので、先日続々 GOLDEN AGE に掲載した「大東亜戦争の総括を読んで」の(その1)〜(その4)を念のためプリントした。やはり日本人には「侵略」だとか「戦争責任」という間違った言葉がかなり浸透しているので、これらアメリカの太平洋戦争史を拭い去るには相当のエネルギーを必要とすると思われる。


[10日(火) 東芝病院泌尿器科受診、養生訓、中韓「反日」包囲網の深層と憲法改正、

 二日続きになってしまったが、今日は泌尿器科を受診した。血液検査の結果、前立腺癌の心配はないとのことで、尿の出が悪いのは糖尿と老化のせいと思われる。次回(2ヶ月後)は尿流テストを行うこととした。

 続いて日本工業倶楽部の第374回素修会で、北里大学名誉教授立川昭二氏の「心と気と身体・・生き方のヒント」という講話を聞いた。話の中身は今から300年前の貝原益軒の養生訓の話で、病名や臓器は一切触れず、「気」を重視し、若返りではなく、年をとってから人生を楽しむことに価値を見いだしている。身体を調えるには気を調える、それには心を調えることが大切で心の健康が養生訓の大半だという。身体を動かせば気がめぐり元気になり、心はやわらかに楽しむべしという。益軒は若い頃は病弱であったが、85才の天命を全うしたという。なんだか年寄り向きの話であった。

 往復の電車の中や待ち合わせの時間を利用して、雑誌正論の前半「中韓「反日」包囲網の深層」と「若者に伝えたい日露戦争が世界に与えた衝撃」、「日本を蝕む憲法三原則」を読んだ。反日関連ではまず中国に対しては、黄文雄の「世界四大独裁者のひとりに選ばれた胡錦涛主席の信じられない愚策」を筆頭に「中国政府が反日暴徒を野放しにしていた本当の理由」、「日本なしでは生きられない中国」を掲げ、中共は長くはないが、仲良くすることはできないので、その先の手をうつべきであるとしている。韓国に対しては呉善花の「盧武鉉政権に日本との和解はない」、「韓国政府の反日演出の意図と日米韓同盟崩壊の悪夢」、「対韓関係が国家安全保障問題となる日」をあげていて、いずれ韓国も気がつくであろうとしているが、中韓あわせて「それでも「東アジア共同体」という錯誤」、「「反日の連鎖」を打ち破るための理論武装入門」を掲載し、彼等の主張の間違いを具体的に指摘している。憲法問題では、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのかという拓大前総長の小田村四郎氏の論説が新鮮であった。彼によれば、国民主権は国家の断絶を招き、平和主義は戦争を誘発し、無条件的人権論は架空の仮説であるとしており、むしろ日本政府の帝国憲法改正案を再検討すべきであるとしている。


[9日(月) 東芝病院耳鼻咽喉科受診、アメリカ西海岸調査、カイロ、正論他、

 東芝病院耳鼻咽喉科に受診した。2週間前、家族同伴の指示をすっかり失念してしまったため、あらためて家内同伴で主治医から、耳下腺腫瘍の現状、鼻の蓄膿症の存在、頸骨の出っ張りによるのどへの影響等説明され、3ヶ月毎に経過を観察する旨説明が行われた。耳下腺腫瘍は現在3cmで良性であるが、糖尿病でもあり、顔面神経を損なうと行けないので当面は手術は見合わせることとした。

 アメリカ西海岸の調査で、既にJTBポケットガイド116「アメリカ西海岸」と自由旅行の達人6「ロサンゼルス・アメリカ西海岸」で調べたが、ラスベガスなど最近変化の著しい所はテキストによく出ていないので、病院の帰途、大井町駅ビル6階の有隣堂でワールドガイド・アメリカ@「アメリカ西海岸」を仕入れてきた。これによりラスベガス、グランドキャニオン、ロサンゼルス、ティファナ、サンディエゴ、サンフランシスコ、ヨセミテの各観光地の調査を行った。

 1週間ぶりで多摩川カイロプラクティックへ出掛けた。お蔭て゛腰の骨盤のずれは解消され、首の動きも大分良くなったが、更に腰から下半身の筋肉をほぐしてもらい、首も更に柔軟になるよう揉んでもらった。前回話のあったコラーゲンやビタミンCのサプリメントをまだ購入していなかったので注意され、又臀部の体操をコーチされ、更に膝から下肢の痛みの治療をしてもらった。当分毎週1回通うつもりであるが、同年配では筋肉の状態はよいと予期せずに褒められ、くすぐったい思いがした。

 かねて年間購読を注文していた雑誌「正論」が6月号から届いた。6月号は[総力特集]中韓「反日」包囲網の深層ということで、4月下旬におきた中韓両国の反日運動に関していろいろな人の論説がのっており、これからしばらく読むのが楽しみである。尚昨日のK氏のカンボジア見聞記は昨日読み、あわせて続 GOLDEN AGEに書いたインドシナ三国周遊記と2冊のアルバムを見て、カンボジャだけでなくインドシナの旅行の楽しさを思い出した。尚K氏への礼状を書く必要がある。


  

[8日(日) 連休最終日、東芝本厚木会、カンボジァ見聞記

 今日はゴールデンウィークの連休の最終日であり、母の日であった。しかしゴルフの往復に東名高速に乗ったが、普通の日曜日よりもっと空いていて、行きは43分、帰りでも53分と言う新記録であった。きっと、みんな休日に飽きて、今日は大人しくしていた人が多かったのであろう。

 東芝本厚木会は3ヶ月毎にコンペがあるが、その間の月は練習会と称してメンバーが集まって一緒に廻っている。今回は充分練習した筈であったが、やはりドライバーと特に4番ウッドにミスが多く、スコアはあまり感心できなかった。しかしアイアンとパットはかなりよくなった。あとは久が原ではなく沼部で練習して距離感を掴むことと、4番ウッドの代わりのクラブを見つけて確実性を高めたい。

 本厚木CCの帰りがけに、Kさんから又旅行記をもらった。今回は「カンボジァ見聞記」で副題は「世界遺産アンコール遺跡群の旅」となっている。私も何年か前にベトナム、ラオス、カンボジァと廻ったことがあるので、Kさんが何をどのように見たか、これから読んでみることとする。


[7日(土) 夢幻日記1〜4月印刷、ゴルフ練習、アメリカ西海岸周遊8日間スケジュール

 夢幻日記を目次付き日日順に再編成したものをプリントした。P3〜72であった。最初に1月の日記を年度の表紙と年度の目次についでP3から印刷しようと思って、印刷の指示を誤り、日記帳のP3から印刷するよう指示してしまい、出てきたものを見て間違いを気づき、強引に用紙を外してしまった。このためプリンターには命令が残っているため、指示の仕方をしらべて訂正しても、プリンターが勝手に動いてしまい、なかなか直せなかった。いよいよ駄目かなと思っていた時に、たまたまプリンターへの指示内容をキャンセルすることができ、以後順調に1月分はP3から、2月分はP21から、3月分はP38から、4月分はP55から頁番号をつけて印刷できた。

 小雨も午前中で上がったので、明日のゴルフのために、前回ミスの多かったパットを室内で練習し、ついで庭のネットを使って、ショートアプローチの練習をした。落ち着いてプレーすれば、打ち損じることはない。明日が楽しみである。

 ついでクラブツーリズムの「いたれりつくせりアメリカ西海岸周遊8日間」の予定表を1頁の表にまとめてみた。ラスベガス、グランドキャニオン、ロサンゼルス、ティファナ、サンディエゴ、サンフランシスコ、ヨセミテとまわり、観光ヶ所も結構多いので、出掛ける前に訪問先をよく調べておく必要があろう。


[6日(金) 「大東亜戦争の総括」を読んで、その他

 昨日に続いて、「「大東亜戦争の総括」を読んで」のまとめに入り、第三部占領と東京裁判で、佐藤和男、西尾幹二、田中正明、冨士信夫、高橋史郎の各氏の論説をまとめ、第四部終戦五十年の節目にで、小堀桂一郎、岡崎久彦、大原康男、出雲井晶、安村廉、長谷川三千子の各氏の論説をまとめた。ついでこれを(その1)から(その4)に編成替えし、別のHPである続々 GOLDEN AGEの#100〜103に登録した。なかなかの大作であったが、これでようやく一段落した。尚「大東亜戦争の総括」を纏めた歴史・検討委員会にならって、そこえ呼ばれた講師たちが主になって「新しい歴史教科書を創る会」が結成され、今話題の歴史教科書が生まれたらしい。インターネットで大東亜戦争とか大東亜戦争の総括で検索すると、いろいろな話題が提供されている。

 気分転換と明後日の本厚木の練習会に備えて、久が原のゴルフ練習場に行ってゴルフスイングの練習を行った。特に前回失敗したドライバーのクラブを従来のRTTに戻して調子を整えた。又出掛ける前に自動車のガソリンをハイオク満タンにした。
 図書館から借りていた世界の歴史教科書と大東亜戦争の総括の表紙と目次を主にコピーをとってから図書館に返却した。今回は珍しく新たに何も借りなかった。

 ついで蒲田に行き、LAOXでパソコンのプリント用紙を購入した。これは夢幻日記の2005年1月から4月までの日記をコピーして見易くする為である。明日コピーする予定である。尚往復の電車では学士会報の最新版で、三重野康氏の「世相あれこれ−志の高い国へ−」を読んだ。


[5日(木) こどもの日、「大東亜戦争の総括」を読んで、

 三日続きの好天で、今日はこどもの日、小学生の孫2人を含めて息子一家と6人で出かけ、昼飯は田園調布でパスタを食べ、駒沢公園の住宅展示場に行き、何軒かモデルハウスを覗いてみた。坪当たり約80万円、2階建て述べ80坪くらいの家が多く、2世帯住宅もあったが、比較的豪勢でやや生活実感に乏しかった。変わった点は全館空調が多く、硝子窓も2重3重のものがあった。我が家をどうするかは追って検討する。

 「大東亜戦争の総括」について、先月の夢幻日記から関連記事を集めて「大東亜戦争の総括メモ」を作成し、これを参考にしながら、「「大東亜戦争の総括」を読んで」という論説を作り始めた。第一部大東亜戦争に至る道程で中村粲、総山孝雄、松本健一、上杉千年、の各氏の論説をまとめ、第二部大東亜戦争の終結とアジアでは江藤淳、西部邁、名越二荒之助、中島愼三郎の各氏の論説をまとめた。第三部占領と東京裁判では佐藤和男氏の東京裁判と国際法をまとめたが、これが一番興味があった。以下は明日纏める予定である。


[4日(水) アクアスパ、夢幻日記のファイル化、その他

 毎日日曜日の身にとっては連休も特別の意味はない。水曜日なので定例のアクアスパへ行きトレーニングをしてきた。筋肉トレーニングではいつものメニューをこなしたが、やや左肩が痛かった。自転車漕ぎで昔は心拍数が105位まで行ったが、最近は100を切り、今日は95までしか行かなかった。スタフに聞いたが、別に心配することはないとの事であった。水泳もいつものメニューをこなしたが、体重は又少し戻って72.2kg→71.5kgであった。帰途高島屋の前はひどい渋滞であった。

 夢幻日記の本年1月から4月まで、HPからコピーして別にファイルを作り、日日順に並べ替え、2005年として月毎の目次と、毎月の1日から月末までの目次を作った。2004年度は既にプリントしてしてあるが、1ヶ月でA4版で17〜18頁くらいになるので、今回はプリント用紙を補充してからプリントすることとした。やはり、いろいろな事を書いているので、時々見直さないと忘れていることがある。今週中にはプリントするつもりである。

 夕方息子一家が来て夕飯を共にした。孫は連日のように来ているが、あまり一緒に遊んでやる暇がなく気の毒している。


[3日(火) 4月決算完了、ファイルが消える、憲法記念日、

   家計、不動産会計、法人会計の4月決算を無事完了した。通常の決算は問題ないが、資産の変換はちとややこしかった。2月、3月、4月と投信や公債を一部売却、購入したが、この面の証券会社の報告が遅いので、内外・投資信託・公社債の売却の損益、購入物件の最新の評価額及び評価損益を算出することができなかった。この点今後証券会社に正確な計算書の提出を求めることとしたい。

 パソコンのデスクトップのアイコンの位置が変わっているのに気がついて、調べてみたらExcelのアイコンが消えていた。そこでプログラム→アクセサリ→システムツール→システムの復元、で無事回復した。と思ったら、今度はこの日記の原稿の5月分が消えてしまった。そこでこちらを復元させたら、再びExcelが消えてしまった。そこで仕方ないのでExcelを復元して、日記の方をHPからコピーして、原稿を作り直してあらためて名前をつけて、ようやく解決できた。理由はよく分からないが、今までもファイルが突然消えたことがあり、諦めていたが、たまたまAzbyメールセミナー「転ばぬ先のバックアップ講座」に加入し、第1回の資料(メール)が送られてきたので、早速システムの復元を応用してみた次第である。

 カレンダーを見たら、昨日が「八十八夜」で、今日がよく知られた「憲法記念日」、明日は意味のない「国民の休日」で、明後日が「こどもの日」で立夏となっている。昔なら「端午の節句」で鯉のぼりと武者人形を並べた男の子の日であった。ところで憲法記念日に、テレビ放送によると、改憲派と護憲派がそれぞれ集会を開いているようであるが、今日でもまだ護憲派が多勢集まっているのをみて呆れた。社会党、共産党の連中は頭がどうかしており、国際法も知らず、世界の常識も知らず、亡国思想にとりつかれているとしか言いようがない。社共両党の議員数が大幅に減ってきたことは喜ばしいが、未だ残党が蠢いている。占領軍の洗脳工作からいい加減に脱却して、早くまともな人間になってほしい。


[2日(月) 大東亜戦争の総括読み終わる。多摩川カイロ初診、

   昨日に続いて大東亜戦争の総括第四部「終戦五十年の節目に」の残り4編を読み、歴史・検討委員会事務局長板垣正参議院議員のあとがきを読み終わった。第四部の残りは、大原康男氏の「終戦五十年を考える」、出雲井晶さんの「日本の神話と現代」、安村廉氏の「社会党史観栄えて国亡ぶ」、最後が長谷川三千子教授の「逆転の不戦論」であった。大原氏は終戦を捉える五つの視点として、終戦、敗戦、停戦、継戦、開戦、を挙げている。又末尾に、歴史・検討委員会の委員一覧(衆院76名、参院29名、合計105名)と著名な19名の執筆者略歴が掲載され、年齢も分かるようになっている。近いうちにまとめを作る予定である。

 「大東亜戦争の総括」があまりにも面白いので、ついでにグーグルで「大東亜戦争」及び「大東亜戦争の総括」を検索してみた。中には大東亜戦争の総括と正反対の社会党的自虐史観のものもあるが、これらの中から、細川首相の「侵略戦争」発言や連立政権の「戦争責任の謝罪表明」の意図など、自虐的な史観の横行は看過できず、公正な史実に基づく日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信して国会で靖国関係三協議会の活動の一環として歴史・検討委員会が出来、「大東亜戦争の総括」を発表したが、又これを契機として「新しい歴史教科書を創る会」が出来て、現在話題を呼んでいる歴史教科書が生まれたもののようである。

 東急多摩川線の多摩川の踏切の傍に「多摩川カイロ」があることを知り、早速予約して診て貰った。以前通っていた日本橋の木津カイロと同様東洋カイロ協会のメンバーであり、これからしばらく施術してもらうこととした。尚昨年の8月から当地で開業しているそうである。今まで行っていた田園鍼灸整骨院のマッサージより値段は高いがましのようである。


[1日(日) ゴルフ不調で疲れる。終戦50年の節目に

   今日はそれ程暑くもなく、気温は丁度良かったが風が少し強かった。たまたまいつもと違うドライバーを持って行き、練習場で打ってみたらうまくない。そこで売店から試打クラブとしてブリッジストンのシナジーというドライバーを借りて使ってみたが、時々ミスが出た。フェアウエイ・ウッドは珍しく殆どミスがなかった。ただいつも得意にしているショートアプローチと短いパットが全然駄目であった。ということで今日は珍しく100を切れなかった。又カートで随分助かっているが疲労感もあった。ただコースのツツジの大きな白い花が素晴らしかった。気候がよくなって予約で混んでいるので、スタートがおくれ、従って1ラウンドすると5時近くなり、風呂に入って帰ると7時近くなってしまう。

 大東亜戦争の総括も最後の第四部「終戦五十年の節目に」に入り、小堀桂一郎氏の「敗戦亡国史観」と岡崎久彦氏の「終戦五十年の総括と日本の国家戦略」を読んだ。

 小堀氏の「敗戦国史観を衝く」の目次を拾うと、「東京裁判史観」克服の思想闘争に決着を、「侵略」の定義は未定、訳語も問題、サンフランシスコ平和条約第十一条の重大な誤訳、日本に領土的野心なし、欧米諸国こそ侵略者、重要な高柳賢三弁護人の冒頭陳述、「パリ不戦条約」と自衛権、「東京裁判却下未提出弁護資料」刊行に注目を、であった。

 又岡崎氏の目次は、勝った国のプロパガンダが正史として残る、敗戦国の歴史は消される−オランダの例、負けた国が正確な歴史を伝えてはいけないということはない、日本の奇妙さ−「教科書問題」から始まった謝罪外交、戦後の日本の一番の問題は保守党の中で保守主義の腰の定まらないのが沢山いたこと、何とか変えたい世界の歴史観、支配的なアンチ・ファシズム史観の誤り、となっている。





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