2004年3月日記帳



[31日(水)] 記録の取りまとめで日が暮れる

 今朝は昨夜外出したせいか、体調がも一つすっきりとせず、いつものスポーツセンターへも行かず、昨日の日記を書いてから、昨夜のシンポジゥムと読書のまとめの原稿を作成して日が暮れた。

 昨夜の構想日本のシンポジゥムは、「外国人から見た日本の政治」ということで、いろいろな意見はでたが、特に目新しいことはあまりなかった。ただ一寸気になったのは次のような点であった。丁抹では所得税が45%、消費税が25%なので、所得の60%持って行かれるが、それでも医療や教育などで成果が見えるので、投票率も80%あるという。これに対して日本人は民主主義が肌に合わないのではないかと見られ、Tax Eaterが政治を握っていて一般国民と遊離しているので、投票率も低く、個人的には意見があってもグループとしての意見がまとまらない。又日本の選管の選挙ポスターの掲示は世界的にも例がないそうである。更に韓国ではインターネットが強く選挙に響くようになってきたが、日本の今後も注目される。尚国会議員は日本の方が勉強しているという。あわせてアンケートに今後道州制のシンポジウムを希望してFAXで返送しておいた。

 「銃をもつ民主主義」については「アメリカとはどんな国か」という題で感想文を原稿にまとめた。いずれ近いうちにGOLDEN AGE の方の歴史道楽にのせるつもりである。日本人の感覚では、すぐ武力に訴えるアメリカは果たして平和愛好国家か疑問に感ずるが、彼らは建国以前から、武力こそ民主主義の原点と信じており、アングロサクソンの選民意識も持って、未だにインディアンは差別している。ただ彼らに理屈があるにせよ、ネーション・ビルディングがうまくいかないのはやはり試練であろう。又後に述べることになろうが、日本はアメリカと中国に挟まれているが、米国は銃を持つ民主主義であり、中国の現在は江沢民の反日教育で、とてもではないが純粋の日本的感覚では対処できる相手ではない。イスラエル・パレスチナ問題にしても、私が現地へ2度行き、アラファト議長とも面談した結果、パレスチナ側の指導者を変えない限り事態は好転しないと思う。


[30日(火)] 歴史道楽はやめられない

 珍しく松尾文夫の「銃を持つ民主主義」の読書に没頭することができ、久しぶりにいささかの満足感を覚えた。これは「アメリカという国」のなりたちという副題がついているように、17世紀初頭のピルグリムファーザーズがオランダからアメリカのプリマスにやってくる前のバージニア植民会社から始まっていて、今まで知らなかったことが一杯でてくる。たとえばモンロー主義という言葉は有名だが、彼が第5代大統領で、孤立主義かと思ったらさにあらず、ヨーロッパとはお互いに無干渉とするだけで、南北アメリカをはじめ太平洋地域は俺の勝手ということで、以後太平洋岸まで領土を広げさらにフィリピンまで太平洋に浮かぶ諸島を侵略したことがあげられる。さらに米国憲法修正2条(1791年)がアメリカの国の武力行使というDNAのもとになっているという。

 そういえば毎朝読む産経新聞にも面白い連載記事がある。題して「蘇る民族の歴史」として初期の天皇家の歴史を検証している。今までは推古天皇の時代から1200年前の紀元前600年に神武天皇が即位したことになっていたが、これはいろいろと不都合なことがあり、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇まで欠史8代などといわれていた。ところがここでは種々再検討の結果紀元181年が神武天皇の即位の年で、当時は奈良盆地の南半分を領地にしただけであった、と記述している。さらに欠史8代どころか皇統は断絶することなく連綿と続いているとしている。日本史も戦前からみるといろいろと見方が変遷してきているが、やはり「歴史は変わる」ものだと感じる。それにしても歴史教科書は相変わらず左翼的、自虐的なものが残っているようであるが、早くまともな教科書に戻ってほしい。

 夜、構想日本の第81回J.I.フォーラム「外国人から見た日本の政治」が有楽町のソニービル8階で行われ、出席してみた。詳しいことは追って報告をまとめる予定だが、デンマークの在日実業家のみ期待に応えて辛辣な批判を行っていたが、他のイギリス、アメリカ、韓国のジャーナリストは正直なところ日本なれしすぎてやや物足りなかった。

 現在の世界は経済的にも相互関係が密接になり、外国と無関係に暮らすことはできなくなった。しかしながら、それぞれの国なり国民は、それぞれの歴史を背負って生きており、価値観もそれぞれ異なるのが現状である。しかしながら、これは日本に限ったことではないが、お互いに外国のこと、特にその歴史を知らなさすぎるような気がする。そのため誤解が生じ、争いのもととなる。イラク問題やイスラエル・パレスチナ問題、尖閣諸島問題が良い例であるが、それぞれ歴史を知らずに評論しているものが多すぎる。もっと冷静に、相手にも通じる論理で、意見を表明することが必要であると思う。

[29日(月)] 整理と反省

 今日は健康上どうかと思っていたが、いつもの通り起きて、いつものように過ごす事ができた。ただこの10日ばかり、新しいパソコンの導入の準備に忙殺され、書斎にパソコン関係の資料やCD-ROMが散らばってしまったので、それらの整理に没頭した。同時にその間処置すべきものも貯まっていたので、あわせて処置した。ハードにしても、ソフトにしても、大抵会員登録を要求されるが、そのたびにIDだとかパスワードを要求され、それらを記録しておかないとサポートを受けるときに困る。しかし絶えずバージョンアップするし、そのたびに変わる面もあり、記録の方も訂正を含めて整理が大変である。何かもっと簡便なよい方法はないものであろうか? いろいろな所で客先の整理に電話番号を使っているが、それで済めば物事は簡単になるのだが。

 最近どうも欲求不満が残っているような感じがする。考えてみると、2月にミャンマーへ行って帰ってきてから、別のHPにフォトギャラリーと称して、写真1枚ごとに簡単な解説記事をつけ100枚以上並べた簡単な旅行記と、上座部仏教を中心とした異文化探訪記をまとめるのに結構時間と労力を使った。その後新しいパソコンの導入で又一汗掻く羽目になった。さらにその間各種会合があり、そのために資料を準備したり、報告書を作ったり、考えてみるとアウトプットが多く、その間読書を中心としてインプットの時間が余り取れなかった。このため図書館から借りてきた折角の面白そうな図書も読み切らず、仕方ないので少し図書館には延長してもらって、今後は精力的に読書に励みたい。やはりインプットとアウトプットがある程度バランスしていないと気持ちが落ち着かないものである。4月から場合によってこの日記も少し間合いをとることになるかも知れないが、今読みかけのアメリカ、中国、日本の新しい歴史を早く読み切りたい。それにしてもそれぞれ415頁、262頁、960頁、あり、これらを読んで感想を纏めるのも一仕事である。

[28日(日)] 絶好のお花見ゴルフ

 新しいパソコンに替えて厄介な移転作業が終わったところで、気分転換をかねて日常のスケジュール通り、東名高速が比較的空いているという理由で、日曜日のゴルフに車で本厚木C.C.に出掛けた。 丁度お花見シーズンなので、往きの東名は町田付近で少し込んでいたが、10分くらいの遅れで、家から1時間かからず目的地に到着した。

 本厚木C.C.は昭和37年にオープンした時以来のメンバーなので、かれこれ42年になる。開業時に植えた植木も今や鬱蒼と育ち、植物には詳しくないが、今年もすでに梅、こぶし、木蓮、杏子と咲いていたが、先週あたりから桜も咲き始め、クラブハウス前の巨大な桜や途中のピンクのしだれ桜などは満開である。さらにいろいろな種類があり、まだ全然咲いていないものもあり、これからしばらく桜が見物である。公園の桜と違って、花見の宴というわけにいかず、ゴルフに来た人だけしか見られないのは惜しい気がするが、見事なものであり、これはゴルフ場としても日本独特な美観であると思われる。

 今日は理事長杯の決勝とかで、出発はおくれ、又グリーンのカップの位置が難しい所に切ってあったが、たまたまプライベートの会の3人組の中に入れて貰ってプレーした。とはいえその中の2人は常連で時々一緒にプレーしている。ところがどうしたわけか、今日は特別にフェアウェイウッドの調子が悪く、あちらこちらのホールで大叩きしてしまい、前後半共に50以上、なんとゴルフ人生の新記録を出してしまった。TVでドライバーの打ち方のレッスンがあり、そちらに意識を集中していたら、Fairway Woodがおかしくなってしまい、みっともない結果となってしまった。やはり日頃の体の鍛練と、スイングの基礎の訓練を怠ったツケが廻ってきたものと思われる。今年はゴルフする機会が少なく、それでも結構よいスコアで廻れたので、ゴルフを少し甘く見過ぎていたのであろう。これから気持ちを新たに練習の機会を増やすべく努力したい。

 帰りは厚木市内も東名も意外に順調で、普段は綾瀬バス停付近から渋滞なのに、今日はあまり激しい渋滞はなく、通常1時間半かかるのに、1時間そこそこで帰宅できた。ところがどうしたことか、家についたら足下がふらつき、バランスがとりにくくなっていた。思えば運転中眠くてしようがなかったこともあった。そこで夕食もとらずに床についたら、朝まで寝てしまった。まさか自動車の運転やゴルフとのお別れとは思わないが、多少風邪気味であり、用心が必要と思われる。いろいろと気をつけなければいけないことが増えてきたように思われる。

[27日(土)] お花見シーズン到来。パソコンもデータの移転完了

 桜もちらほらと咲き始め、土曜日でしかも日中が久しぶりに暖かいということで、大分お花見の人が増え、賑やかになってきた。すぐ近くの桜坂はまだ3分から5分咲き程度なのに、若いカップルを中心に大勢つめかけてきた。昔の古墳のある多摩川台公園では、たまに満開の桜はあるにせよ、まだ全然咲いていないのもあるのに、早くも桜の下は満員の盛況で、それぞれ十数人のグループがシートを敷いて、車座になって宴会をやっていた。どちらかというと若い人が多いが、年配者も2割程度いたようである。ただいろいろと騒ぐことが禁止されており、昼のせいか比較的静かに飲み食いしていた。多分来週がピークになろう。

 パソコンのデータの移転はようやく最終日を迎えた。まずEXCELで2000年からの株価・為替の毎月の平均値のデータも、変化のカーブを見るのに必要で、何とかXP機のEXCELですぐ引き出せるようにすることができた。又古い読書録と読書録UもMe機から探し出してXP機のWorks2001で前日の読書録Vと共にすぐ見られるようにした。意外に手こずったのが筆まめの住所録で、今までに作成したものとして登録したが、上書き禁止とかまだ一寸気になる点が残った。その点一太郎はかなり大量の文書を移転できたが、少し量が多すぎて、中のファイルを探すのに大分骨折りそうである。

 ついでに来月10日に文化センターでスライドショーをすることになっている画像として、フランス物語、スロヴェニア・クロアチア、ミャンマー大周遊、大島紀行、いきいき秋川のファイルをXP機に移し、デスクトップにアイコンを並べた。XP機ではアイコンをクリックすると画面に写真が出るだけでなく、スライドショーを、別のソフトを使うことなく、直ちに開始できるようになっている。又Microsoft Photo Editorが内蔵されているので、画像の修正も簡単である。ついでに去る18日に幼稚園の卒園式で撮った孫の写真と隣の子の写真をプリントした。

 住所録など後で問題が出るかも知れないが、これで当面必要なデータの引越は一応終わった。当分はいちいちMe機に気を使うことなく、日常の操作はすべてXP機でできるようになった。しかし終わってみると、「引越おまかせパック」は一体何だったのであろうと思ってしまう。やはり楽をしようと思いすぎたのが裏目に出たので、説明書なども殆ど読んでいないので、これから注意して読まなくてはいけないだろうと思う。実はCDを作成するEasy CD CreatorをXP機にもインストールしようと思ったが、うまくできず、逆にXP機にはDrag'n Drop CD+DVDというソフトが内蔵されているので、余計な事はする必要がなかった。これで明日は又気分良くゴルフができる。

 

[26日(金)] やはり気になるデータの引越

 通信を使う操作はすべてXP機でできるようになったので、久しぶりに続々GOLDEN AGEの方に、コラム84として「新型ノートパソコンの導入」をアップした。しかしまだそれ以外の操作で、プログラムだけでなく、データも移転しなければならないものがいくつかある。そこでまずソースネクストの「引越おまかせパック」に再度挑戦した。今度はガイドから丁寧にフォローしたが、最終段階で結局うまくいかず、残念ながらまたも断念せざるを得なかった。

 そこで今度は個別にデータの移し替えを試みる事とした。まず毎日株価や為替の記録に使っているEXCELについて、プログラムとデータの移転を試みた。プログラムはよいとして、古いデータはマイドキュメントにあり、これは簡単に移転できたが、新しいデータはなかなか捕まえられず、やっと捕まえたら今度はコピー先がなかなか見つからなかったが、やっとのことで移転に成功し、明日からはXP機でEXCELの操作も可能となった。

 マイドキュメントにある読書録もプログラムがないと開けず、結局Works2001もインストールして開けるようになった。しかしも一つの読書録は中身が文字化けしており、もはや使い物にならない。尚毎月の会計に使っている勘定奉行は、プログラム、データ共にはっきりしているため、比較的容易に引越できてほっとした。やはり普段からデータはわかりやすい所に保管しておくことが望ましいとつくづく感じた。

 まだデータの移動が望ましいのは、筆まめの住所録であろうか。これらを含めて多分明日中には一通りのデータの引越も可能となるであろうし、又是非完了させたい。

 

[25日(木)] 定期検診

 2ヶ月ごとにT病院の内科に行って、院長さんに定期的に検査し、診断してもらっている。血圧とか中性脂肪の数値などはすばらしく良くなったが、相変わらず芳しくないのが血糖値やヘモグロビンA1cの数値である。今日は不具合点7ヶ条を昨夜まとめてノートしておいたものを申し述べたが、ひとつづつ回答をいただいた。要するに糖尿の血糖値を下げるには食事の量を減らすのが一番効果的である。また夜のどが乾くのは鼻がつまって口で息するからで、鼻水と共に耳鼻科で鼻をみてもらうとよいなどアドバイスされた。

 ついでに小便の出が悪いと感じるので、泌尿器科を予約したが、必要なのはフローの検査なので、しばらく水分を補給して待ち、フローの検査を飛び入りでやってもらった。結果は前回の検査よりよく、尿道も超音波でちゃんと開いているのが確認され、問題ないと診断された。問題があるとすれば、糖尿の影響と加齢現象で膀胱の収縮が少し弱っていると考えられるとのことで、実際問題としては殆ど問題ないので、予約も取り消し、しばらく気にすることをやめにした。

 病院が長引いたので、午後1時からの日本工業倶楽部の木曜講演会にぎりぎりに間に合った。本日の講演は「年金問題を考える」ということであったが、昼食直後で眠かったこと、早口で講演が聞きづらかったこと、資料は10ページもあるのに要するに何を言わんとしているのか理解できなかったこと、などで分かり難いこと夥しかったが、これは日本だけの問題ではなく、諸外国も同様の問題から、いろいろと改革に手をつけ始めていることを知った。保険料負担の上昇は、生産活動の阻害要因になりかねないという点を強調していた。

 実は24日の日記は24日の夜はホストに接続できなかったのであるが、帰宅後あらためてNextFTPでホストに接続を試みたら、一度で接続に成功してしまった。一体昨夜も一昨夜も接続できず、朝や昼には簡単に接続できるということは、どうもホストの方に問題があるのではないかと疑われる。しかしまあこれでXP機の立ち上げも一段落。ついでにBフレッツも10Mから100Mに変更することになり、4月2日に現状を調べにくることとなった。パソコンは一休みして図書館から借りてきた「銃を持つ民主主義−アメリカという国のなりたち」がなかなか面白いので、しばらく読書することとする。なかなかあれもこれもやりきれない。

[24日(水)]パソコン立ち上げ一段落

 水曜はいつも午前にスポーツセンターに行くことになっているが、出かける前に昨夜実はXP機で夢幻日記の原稿は書いたが、送信できなかったので、NextFTPの導入当時の記録を調べたら、IDとパスワードが違うことが判明した。そこでそれらを訂正したら、無事送信ができ、夢幻日記をXP機だけで操作できることが判明した。

 体調の方は少しづつ良くなっているが、まだ万全ではない。スポーツセンターの陸上のトレーニングではもはや問題はなかった。プールでも状態はかなりよくなり、800m泳ぐ中、20mノーブレッシングが4回あるが、先週まで一度も成功しなかったが、今日は最初と最後の2回は成功した。従って健全な状態まであと一息である。ストレッチングも大分進んで、太ももの筋肉も大分伸びてきた。

 帰宅後本番のホームページである「続々GOLDEN AGE」をXP機から書き込みをしようと思ったが、データを移し替えなければならず、これが一筋縄でいかないので、ホームページミックスのサポートを電話で申し込んで受け、データのありかをつきつめ、Easy CD Createrを使ってCDRにコピーし、XP機のHPMIXに貼り付けると共に、読み取り専用のチェックをはずしてようやくXP機での原稿作成送信が可能となった。

 これでインターネット、ニフティのフォーラム巡回、電子メール、ホームページの「続々 GOLDEN AGE」と「夢幻日記」はいずれも新しいXP機で操作可能となった。従ってBフレッツとの接続はXP機のみでよくなった。ただしNTTにはBフレッツも10MB/Sから100MB/Sへ変更を申し入れ、明日午後連絡があることになった。残りはいくつかのデータの引越で、これは「引越おまかせパック」のガイドを良く読んで、じっくりと対応したい。昨日までの焦りは一段落してほっとした。今日は早く寝られる。

 

[23日(火)] パソコンの立ち上げに悪戦苦闘

 昨日に続いて新しいパソコンXPの立ち上げを行う。まず第一にNifTermは、インターネット・エクスプローラの方で接続しておけば、通じることがわかった。昨夜は接続をグループ1ではなく、わざわざtelnetに変えたのが却っていけなかったらしい。またパソコンがちゃんと立ち上がってからでないと接続不良になることがある。これでインターネットとニフティ(含電子メール)はOKとなった。

 そこでMeからXPへデータをそっくり移し替えようと思い、引越おまかせパックをいろいろといじってみたが、うまくいかず、ソースネクスト社のテクニカルサポートセンターに電話してみた。最初しばらくかからなかったが、10分位したらかかることはかかったが、問い合わせが多く、しばらく待ってくれといわれ、30分待っても順番が廻ってこないのであきらめた。むしろガイドをコピーして忠実にやったらよいのではないかと思った。

 そこでインターネットを使うものとして、もう一つのホームページである夢幻日記の方のプログラムHTMLPerfectとNextFTPを新しいパソコンで使いたいと思って、Meの方でコピーしてXPに貼り付けようと思ったが、コピーが拒絶されてしまう。そこでNet-DemocracyのProject Managerにメールで問い合わせたら、ご親切に電話でアドバイスをいただいた。そこでXPの方でホームページからダウンロードして、プログラムの方はXPに入れることができた。ただデータも必要だが、これもMeからコピーできず、仕方がないのでホームページからソースを開いてコピーし、貼り付けることによって、hpというフォルダーの中のindex(表紙部分)とHTML3(日記3月分)だけ再現し、ここに初めて日記をXP機で書いている。

 大分頭に血がのぼったので、例のソフト・カイロに行って全身を揉んでもらった。大分ストレッチの効果はでているが、太ももなどもう一息だと言われた。風呂で暖めた後などにもう少し努力が必要と思われる。またついでに図書館に行って、かねて注文していた鳥居民著「反日で生き延びる中国」という図書を借りてきた。江沢民の愛国主義教育という反日教育を日本は黙ってみているが、とてもじゃないが、ひどいものだと書いてある。

[22日(月)] 学士会の午餐会とパソコンの立ち上げ

 今日は又真冬の寒さが戻り、午後から雪が降ると予報されたが、結局小雨だった。学士会の午餐会の講演は精神科医兼作家のなだいなだ氏の「長になりたくなかった男」という学士会としては一風変わった講演であった。彼の名前は知っていたが、著書は読んだことはなく、今回の講演で得た新知識を以下披露する。

 なだいなだとはスペイン語で、「なだ」は「なにもしない」、「い」は「and」だそうでニヒルな名前である。本名は堀内茂で本年74才、慶応医学部出身の精神医学特にアルコール依存症の専門家だそうである。「長」になると管理など雑用がふえ、会合が増えるが、その際おかしくて笑いたくなる性癖があり、それが失礼なので「長」になりたくなかったと釈明していた。又「学術」というが日本では「学」に重点があるが、実際には「術」が大切である。自分は名医ではなく、藪医者と思っているが、精神科を選んだのは患者がすぐは死なないからで、アルコール依存症などは患者本人がしっかりしなければ治らない。教育の神髄も、人のせいではなく、本人が責任を持たなければいけないという点にある。尚インターネットで「老人党」を立ち上げたということで、帰宅後調べてみたら、道州制推進連盟とやや似ている面もあり、よい点は参考としたい。

 夕方よりコジマの協力会社からパソコンのサポーターがやってきて、土曜につづいてXPの立ち上げを行った。NifTermについては結局新しいソフトではなく、古いソフトのままMeからコピーしてXPに貼り付けた。テストの結果、フレッツ接続ツールを使わなくてもニフティのフォーラムの巡回、メールの受信ができた。ただ彼が帰ってからメールの返信をしようとしたら、接続不良となり、いくらいじっても接続できなくて、又明日問い合わせてみることとした。更におまけでプリンターの接続を助けて貰ったら追加料金を取られた。更にハブに電源を入れて二つのPCに光通信を接続しようと思ったが、うまくできなかった。これはやはりハブに問題があるようで、NTTにBフレッツのファミリータイプ(10MB)からニューファミリータイプ(100MB)への変更を申し入れ、その際解決する事とした。更に彼が帰ってから「引越おまかせパック」でデータの一括移転を試みたが、パソコンの相互認知ができず不調に終わり、あらためてソースネクスト社に問い合わせることとした。なかなかうまく行かないもので頭が痛くなった。

[21日(日)] ゴルフ練習会

 今日は本厚木C.C.で、T社会の練習会があった。3ヶ月ごとにT社会があり、その間毎月練習会がある。今日はたまたまクラブ選手権を行っており、グリーンのピンの位置が非常に難しい所に切ってあり、アプローチとパターで大分苦労した。しかしドライバーとフェアウェイ・ウッドが比較的調子よく、結果はアウト・イン共に何とか40台で廻ることが出来た。

 今年は寒かったり雨だったり、身体の調子が悪かったり、外国へ旅行したり、ゴルフはやや縁遠く、今日で本年4回目であり、3月に入って2回目である。昔のシングル時代とは大違いで、飛距離がぐんと落ちたため、パーオンができなくなり、更にアプローチの距離が100ヤード前後になり、従って寄せワンの確率が著しく低下した。こうなるとどうしてもボギーペースになってしまい、一寸ミスするとすぐダボを叩いてしまう。

 しかし先週シングルの若いSさんに私のドライバーで打って貰ったら、飛ぶわ飛ぶわ見事なもので、同じ道具でも腕前の違いが飛距離に大きく影響していることを実証してもらった。又今日も出てこられた先輩のHさんは、たまたま本日が91才の誕生日だそうだが、未だにドライバーは14才も年下の私よりも距離が出る。とても91まで生きてゴルフができるという確信はないが、身近にそのようなお手本のような存在があると、何とかあやかりたいと思ってしまう。その為には毎日節制すると共に、適当な運動をして身体を鍛えておかなくてはいけない。なかなか難しい事であるが、何とか努力してみようと思う。

[20日(土)] 地元文化センター懇親会とパソコンの立ち上げ

 実は昨日の夜は地元の文化センター利用者の会主催の「Buono & Suono」と称する懇親会、食事をしながらショーを楽しむ会があった。 少しワインを飲み過ぎてしまったが、食事は各種料理の会が用意し、ショーは和風・洋風の4団体が出演し、なかなか賑やかであった。 ただ出演者をはじめ、出席者は殆ど中高年の女性が占めており、男性は我々のいきいき倶楽部の他は寥々たるものであった。男性は若い人は勤め人が多いと思うが、高齢者もかなり居住しており、このような地域の会に出てくるのが女性ばかりということは一寸考えさせられる。本来は文化センターには100以上の会があるので、このような機会にコミュニケートして、地域としての益々のレベルアップをはかることが望ましいと思う。

 今日は肌寒い1日であったが、午後から待望のパソコンの立ち上げの助っ人がやってきた。電源をつないですぐパソコンを生かすことはできたが、Niftyのフォーラムを巡回したり、メールをするのにNifTermというソフトを使っているが、これをダウンロードしたが、うまく接続できず、来週月曜に再度来ることになった。助っ人が帰ってから、現在使っているBフレッツとの接続が、ハブを使って2台と接続できないかと思ってLANケーブルを2本買ってきて接続してみたが、どこかおかしくて接続できない。これも月曜待ちである。

 しかし実際に新しいXPのノートパソコンで仕事するには、一太郎をはじめ沢山のソフトを入れなくてはならず、そのうえ今までの仕事との関連からデータも移し替えなくては使えない。こちらの方は今度買ってきた「引越おまかせパック」でうまくデータを移せるはずであるが、かなりの仕事量となり、完全に新PCを稼働させるには相当な時間とエネルギーをかける必要がありそうである。しかし、これは仕事ではないので、慌てず、焦らず、着実に進めて行きたい。

 

[19日(金)] パソコン・十徳会・アメリカという国のなりたち

 今朝あらためてインターネットのプリンターのドライバーを捜していたらPM-700C-UGだけでなく、狙っていたPMC-700Cもあることが判明した。従って早速ダウンロードし、解凍してからインストールし、実際にMeを使ってエプソンのプリンターPM-700Cを動かしてみた。PM-900Cに比べると印刷のスピードが大分遅いが、まともな印刷は可能であることが分かり、ほっとした。ただしデスクトップにいろいろなアイコンが出てきてしまい、余計なものは始末したいが、どれを始末したらよいか分からず様子を見ている。

 昼には昼食を共にした十徳会に出席した。これは昔の東京府立四中の昭和十年から十九年に卒業した有志の会で、十と十九を十徳と呼称したものである。いつも虎ノ門の霞山会館で行っている。今日は昭和14年卒の当番で、会社の先輩でもある多久さんが幹事で、中島幹夫さんという虎ノ門病院の院長もされた方が、エコノミー症候群という比較的新しい話題について解説を行われた。これに対して同期の志田君という現役の医者が松山からでてきて、いろいろ補足してくれた。海外旅行をするものとして心得ておくべき事が多かった。散会後同期のものと階下で2次会を行い、九州男児志田利康君がひとり気を吐いていた。しかし中学時代と言えば今から60年以上前であるが、皆よく覚えているものだとつくづく感心した。しかし今の教育に問題がある反面、四中は怠け者にとっては実に貴重な教育であったと思わざるを得ない。

 往復に、今朝図書館から借りてきた図書「銃を持つ民主主義」「アメリカという国」のなりたち、松尾文夫著 小学館 を40頁ばかり読んだ。大東亜戦争で、原子爆弾は大きな問題になっているが、焼夷弾による都市無差別爆撃については、ひどいことをするものだとは思っていたが、どうしてああ言うことになってしまったのか、それこそ東京裁判の戦犯以上に悪いことをしたのに、その後さっぱり事情が明らかにされなかったが、本書はその辺のいきさつを詳細に調べて「ルメイ将軍」がその張本人であることを明らかにしている。やはり世界の現実、アメリカという国自体を理解するためには、この問題についてクリアにしておく必要があると共感を覚えた。

[18日(木)] 幼稚園の卒園式と新型パソコンの入手

 午前中は孫の幼稚園の卒園式にでかけた。私自身は幼稚園に入っていない。当時はまだ幼稚園のある地域が限られており、私などは幼稚園があることも知らなかった位であった。子供も孫と同じ幼稚園に行っていたが、当時は私は会社に勤務中で、平日の卒園式には出られなかった。そういえば父兄で来ているのは殆ど母親で、父親や祖父母は僅かしかいなかった。孫は男児であるが、3年前その姉の卒園式にも出席した。今回は息子(孫の父親)が外国に出向中なので、その代理もかねての出席であった。しかし式典の最中、孫の挙動をよく観察すると、あまり落ち着きがなく、集中力にかける嫌いがある。小学校に入ったら集中力を高める訓練が必要と思われる。

 午後から新しいPCが配送されるということで、Windows-95を外した後の場所にWindows-MEを移し、新しいWindows-XPのために机をあけた。序でに配線を整理し、掃除も行った。午後3時過ぎに新しいPCが届いたが、従来のDESKTOPとは大分様子が違うので、直ぐ使うという訳にもいかず、立ち上げサポートの来る20日まで待つこととし、それまでに説明書を読んでおくこととした。序でにWINDOWS-95を運搬してコジマ電機に持ち込み廃棄処分にしてもらうこととした。

 さし当たりこのHPもまだWindows-MEで作業しているが、プリンターをEPSONのPM-900cからPM-700Cに切り替えようとしたが、ドライバーが見つからない。コジマ電機に聞いたら、コントロールパネルのプリンターの追加から、或いはEPSONのHPからダウンロード出来るはずとのことで、調べてみたが、PM-700Cはなく、PM-700C_UGはある。UGが何だか分からないのでサポータが来たら聞こうと思っているが、下手をするとPM-700Cは勿体ないが使えないかも知れない。明日は昼から夜まで会合があるので明後日新しいパソコンの整備をすることになるが、説明書を眺めてみると、大分今までと様子が違うので馴染むまでしばらく苦労しそうである。

[17日(水)] 体調今一、専ら読書

 午前はアクアスパへ行ってトレーニングを行った。陸上のトレーニングはまあまあであったが、プールでは健康時と比べると今一で、ノーブレッスィングのクロールなどはやる気がしなかった。やはり喘息気味なのが響いているようで、あまり無理をしてはいけないと思い、軽く800mを流すのに止めた。早く自由に泳げるような体調を取り戻したい。帰途自動車を三菱自動車に預け、ボンネットの塗装の被害を損保の東京海上にチェックして貰うこととした。夕方チェックが終わり、車を届けて貰ったが、保険で修理でき、保険料も上がらないようである。但し修理には数日かかるとのことで日を改めてお願いすることとした。

 前から読みかけていた文藝春秋の昨年の8月号と本年の2月号の中で面白そうな記事を一気に読んだ。昨年の8月号では「日本が変わる一点突破改革宣言」が興味を引いた。堺屋太一の「嫌老社会」から「好老社会」へ、北川正恭の2008年に「日本連邦」実現などは本当にそうなればよいのにと思った。本年の2月号では、20人の未来予測として「次の十年はこうなる」にやはり興味を引かれた。現実の問題にあくせくするばかりでなく、やはり将来の問題についても日頃検討することが望ましい。それにしても「国の借金一千兆円突破の悪夢」はどうやら正夢として明確な対応が必要だと痛感する。中西輝政の「自民と民主は大連立せよ」も注目される。現状では自民も民社も二大政党とは言えない。一度大連立して憲法改正してから、政権交代可能な二大政党になってほしいとの趣旨で、よくぞ言ってくれたという気がする。

 続いて図書館に行って、かねてから注目の3冊の図書の借用(区内他の図書館より)と1冊の新規購入をお願いし、序でに「正論」と「文芸春秋」の4月号を拾い読みした。道路公団民営化問題についての猪瀬委員と加藤寛の対談はいろいろな意味で興味を引いた。先日行革700人委員会主催の道路公団民営化問題のシンポジゥムにも参加したが、どうも田中一昭氏等の委員辞任には賛成できない。猪瀬氏の主張の様にあくまで委員会として政府の出方を監視し、少しでも良い方向に持って行く努力が必要ではないかと感ずる。

[16日(火)] 全身マッサージ・パソコン切り替え準備

 日曜日に久しぶりにゴルフをして、腰や身体の節々が痛むので、いつものソフトカイロマッサージに行って全身マッサージをしてもらった。やはり日頃の運動とストレッチングが足りないせいか、大分身体が硬くなっているようで、特に太ももが硬くなっていた。

 昨日Windows-XPのパソコンを購入したので、現在使用中のWindows-Meを家内に譲ることとして、Windows-95は不要になるので処理することとし、内部のデータのうち有用なものをコピーし、不要なものは消去し、今週末コジマ電機に運んで無料で処理してもらうこととした。まだ使えるのに勿体ない気もするが、95ではもはやソフトすら相手にして貰えなくなり、そのまま大人しく使うのでなければ、使用に耐えなくなったので已むを得ない。しかしブラウン管のディスプレイ部分も本体部分も結構重く、運搬が容易ではない。

 あと、現在Meにあるソフトで新しいPCにも使いたいもののアプリケーション・ソフトのCD-ROMを集めたが、幾つかのソフトはCDがなく、どこかからダウンロードしてこなくてはいけない。それより肝腎のBフレッツ接続ツールのソフトがないが、NTTが来てインストールしてくれたような記憶があり、新しいPCの立ち上げが問題である。特に今回は2台並列に使用することになるので、並列用具など前回から用意しているが、どうやって立ち上げるか、ニフティとの接続を含めて問題であり、コジマのサポートを期待している。

 序でに来月いきいき倶楽部でスライドショーを行う予定のスロベニア・クロアチアとミャンマーそれに大島と秋川について説明写真をコピーし、外国物は日程表(含訪問先)と地図の準備を行った。自分で撮った写真でも、うっかりすると何処の写真が分からなくなることがあり、特に訪問先の名前を覚えていないことがあるので注意する必要がある。

 日曜日に本厚木でKさんからもらったポルトガルとベトナムの紀行文は、なかなかよく書けているのと、ガイドの話が面白かった。私も出掛けた所なので読みながら又思いだした。何れも日本とは特別な関係の国である。(ベトナムのおかげで日本は元の3回目の攻撃を免れたし、ポルトガル王のお陰でフランシスコ・ザビエルによって日本に西洋文明がもたらされた。) 一年に9回も外遊し、ゴルフも昨年は199回やったと書いてあり、ほぼ同年令にも拘わらず、精力的な行動に感心する。パソコンで礼状を作り発送した。

[15日(月)] コジマ電機で新型パソコンを調達

 現在使用中のパソコンはOSがWindows Meで、液晶ディスプレーを用いたアップライト型の富士通FMV-DESKPOWER C6/86LBというタイプである。それ以前はWindows-95の東芝のパソコンBREZZAを使っていたが、99年2月種々故障して取り替えた物である。

 最初の内は調子がよかったが、5年も使うと大分草臥れてくる。よくフリーズしてしまうし、又愛用のソフトがいつの間にか消えてしまったり、折角Bフレッツにしているのに、肝腎のCPUが866MHzなので処理速度がおそくじれったい思いをする。それでもメモリーは増やしたのだが、時々メモリーの余裕がないと悲鳴をあげる始末である。

 もっともパソコンとしては5年も使っていれば時代遅れになる。OSもMEから2000、更にはXPの時代となり、CPUは2.40GHzが当たり前になり、ハードディスクもノート型でも80GBが当たり前になってしまった。更に最近はフロッピーディスクも時代遅れなので使わない方向に進み、FDDを内蔵していないものが標準になりつつあるという。これはメモリーの進歩によるものであろう。

 ということで暫く前から機種の検討を進めていたが、今度は東芝のノートパソコンにすることとした。これは簡単に移動できるからである。機種としては昨年EX型にしようと思っていたら、今年のパンフレットでは早くもEX1型に変更されていた。その中で524CDE型を選ぶことに決めていた。価格.comで値段を調べてから、値段が安いことを売り物にしているコジマ電機へ行って交渉したが、最低値より22,000位高値であった。その代わりサービスや保障はきちんとやりますということで、さらにBREZZAも持ち込めば無料で処置することになった。尚本体は3日後に自宅に配送される。

 更に古いパソコンから新しく買ったパソコンへケーブルでつないで直接コピーできる「引っ越しおまかせパック」というソースネクストのソフトを紹介され、便利そうなので購入した。ただ帰ってから一寸試しにと思ってCDを入れて様子をみたが、インストール・ガイドに書いてあるような電子マニュアルは見つからなかった。そこでCDを取り出そうと思ってEJECTボタンを押してもトレーが出てこないため、CDを取り出せない。前にもそのような事があったが、何かの拍子に取り出せたことがある。又このソフトはWindows-95には使えないので、BREZZAの中のデータの処理を行った。これから暫くパソコン交代に伴い必要な準備を行わねばならない。

[14日(日)] 思い切ってゴルフ、案外好成績

 鼻はぐすぐすするし、すぐ気管支がおかしくなり、どうも体調がすっきりしない。しかし今日は気温が上がるという予報だったので、思い切ってゴルフにでかけた。本厚木に着いてみたら、結構風が強い。こんなに風が吹くのが分かっていたらわざわざゴルフしにくることはなかろうと思いつつ、午前中プレーした。風に乗ると球が案外のびるので、普段届かない所まで球が転がって行く。

 午後には少し風も収まってきた。飛ばしやさんと一緒にまわったせいか、今年3回目というのにも拘わらず、結構距離が出て、スコアも本年度最高、昨年の平均より良いスコアで廻れてしまった。大体ハンディキャップ相当のスコアにまとまったが、なぜだかよく分からない。その代わり、久しぶりのせいか、身体がついて行かず、腰をはじめあちこちと痛みがでそうである。しかし思い切ってゴルフしたおかげでもやもやがふっきれたような気もする。

[13日(土)] 読書、いきいき倶楽部、CD作成

 ぼやぼやしていると、直ぐ雑誌がたまってしまう。大前通信が3ヶ月溜まったので一気に読み切り、文藝春秋にも手をつけたが、これは読み切れなかった。序でに「謎の大王・継体天皇」の目次をスキャナーでコピーして、図書は図書館に返品した。継体天皇は万世一系の見地から言うと、応神5世というだけあって、最も王位継承に疑問を持たれており、著者の水谷千秋氏は記紀だけでなく、上宮記一云という資料も参考にされている。

 午後からいきいき倶楽部へゆき、昨年度の実績のフォローと今年度の計画を協議してまとめた。今年度は早速4月と来年1月に当番が回ってくる。4月には異文化探訪記のスライドショーを行うつもりである。昨年8月に用意したが、台風で中止になり、大分デジカメの画像が溜まっている。問題はパソコンで、現在使っているMEはとかくフリーズし易く、近く新型のノートパソコンに切り替えようと思っているが、そうするとデータやソフトを切り替えねばならず、それが一苦労でなかなか踏ん切りがつかない。

 デジカメでとった写真のスライドショーを文化センターでやるために、現在使用中のパソコンは持ち運びできないので、取りあえずは息子のノートパソコンを借りて行うつもりである。そのため2002〜2003年の満州と雲南9日間で610MBとなるのでCD1枚、2003〜2004年としてフランス物語15日間、スロヴェニア・クロアチア11日間、ミャンマー大周遊11日間に国内ではあるが、いきいき秋川ハイキング、伊豆大島紀行を加えて426MBでCD1枚に記録した。これらのCDとスライドショーのFDがあれば、借り物のノートパソコンを文化センターのTVに繋いで拡大したスライドショーが可能になる筈である。序でにフランス物語の地図があまりはっきりしないので、新たに地図を作製してファイルに取り入れた。

[12日(金)] 道路公団民営化問題の問題点

 朝は病院へゆき、先日撮ったMRIの結果について耳鼻咽喉科に説明してもらった。やはり頸骨が出張ってノドがせまくなり、飲み込みが苦しいことがあるが、悪質の腫瘍はなく、頸骨の手術は危険だからやらない方がよい。何か他にうまい治療法があるか整形外科の診断を受けてくれといわれ、大分待って整形外科の意見を聞いたが、リハビリ程度しかないということであった。まるまる半日かかったが、得る所が全くない空しい結果に終わった。

 8日に道路公団民営化問題のシンポジウムに参加したが、資料と共に行革推進700人委員会への申込書類があり、昨日申込書類をFAXし、本日10,000円を振り込んだ。中途半端な政府案が国会に提出されたが、やはり本来の形に引き戻すよう圧力をかける必要がある。
 (1) 保有・債務返済機構は45年ではなく10年を目途に廃止すべき
である。
 (2) 40兆円にふくれあがった累積債務の返済を最優先にすべきで
ある。
 (3) 民営化するなら上下一体の組織で上場を目指すのがよい。
 (4) 新しい道路建設は、個別路線毎に新会社が自ら判断すること
が必要。
 以上のように改めなければ、結局国交省と道路族のいいなりになり、元の黙阿弥となるであろう。

 

[11日(木)] 朝寝坊、自動車の点検と議事録の作成

 昨夜は会議で遅くなったせいか、今朝はうっかりして目覚まし時計をかけ忘れ、すっかり朝寝坊してしまった。近くの三菱自動車に安心点検の自動車を取りに行き、昨日の日記を書いている内にお昼になってしまった。

 このため予定していた工業倶楽部の木曜講演会をキャンセルし、自動車で雪が谷での用事を片づけてから昨夜の会議の議事録を作成した。毎度の事ながら、日本人が戦後視野狭窄というか公共心の不足というか、社会に対する貢献の意識が低下していることを甚だ残念に思う。

 道州制推進連盟は日本の再建のための有力な手段と思うから活動しているのであるが、そのためには、もっと活発なアピールを考えなければ行けないだろうと思う。日本の国や地方自治体の経営の不味さによる借金地獄の実態、にも関わらず依然として赤字経営を続けていること、そのつけは必ず国民に掛かってくること、家計でも明らかなように、これを乗り切るには、支出を減らし、収入を増やす工夫をする以外にない。行政だから必要なサービスはしなければならない。しかしそのコストはもっと遙かに減らすことが可能である。そして借金に頼らず、自前の税金で支出を賄うのが地方自治の本質であり、代議士とグルになって国から税金をぶんどってくるのは、税金泥棒として徹底的に糾弾する必要がある。近くこのあたりのアピールをまとめてHPにメッセージとして発表したい。

[10日(水)] 久しぶりのトレーニングと道州制推進連盟の例会

 今朝は殆ど1ヶ月ぶりにアクア・スパ(スポーツセンター)にでかけた。やはり1ヶ月さぼると、筋肉が大分衰えていて、トレーニングしていると筋肉に多少の痛みを感じた。花粉症というかアレルギー気味なので、プールの水も気になったが、何とか800m泳いでしまった。しかしいつものようにクロールで20mをノーブレッシングで泳ぐ元気はなかった。それでも体重が75kgを少しではあるが割っているのでほっとした。

 午後は夕方からの例会の準備で、インターネットによる道州制関係のチェックを行った。地方制度調査会や地方分権改革推進会議なども道州制の検討に入り、北海道ではシンポジウムをやったり、推進プランを発表したりしている。又岡山県では中四国を一体とした道州制の提唱をおこなっている。ただ行革推進会議などはやや辛口の批評を行っている。

 夜は蒲田で道州制推進連盟の3月例会を行った。種々の懸案事項を片づけ、設立1周年を迎え、道州制推進に関する本質論について議論を交わした。その結果、公会計にみられように、日本の行政にはMANAGEMENTの概念が欠如している点に最大の問題があるのではないか。行政や政治は経営とは無関係という感覚があり、国民、納税者、住民と無関係に行政が行われているため、経営的に見てこれだけ不健全な状態にも拘わらず、主権者である国民が自分たちの問題として意識していないという点にこの問題のポイントがある、というような議論が行われた。

 

[9日(火)] 検査、読書、講演、例会準備

 3月1日の診察で、ノドの部分をMRIで検査することになり、本日検査してもらった。しばらくぶりであったが、頸骨が曲がっているため頭が下に着かず、背中と床の間に布類を詰め込んでようやく頭が下につき、検査を受けることが出来た。しかし約20分もかかったが、同じ姿勢で穴蔵の中で我慢していると、あと何分と声でもかけて貰わないと、とてもきつい感じがした。いずれメディカル・システムの連中に伝えておこう。結果は12日に診察を受けて判明する

 往復の電車の中や、病院で待っている間に、水谷千秋著「謎の大王 継体天皇」(文芸春秋)を読み終わった。応神5世といい、継体という名前といい、いろいろと謎が多く、古事記や日本書紀以外に上宮記一云という資料を使って著者は継体天皇がやはり天皇家の一族であることを明らかにし、世界にも珍しい連綿たる万世一系の天皇家の特色を歴史的に説明している。

 午後は日本工業倶楽部の素修会で、上智大学松岡教授の「キリシタン時代の外来語を出発点として」という講演を聞いた。フランシスコ・ザビエルが日本にやってきた16世紀半ばから、聖書に次いで読まれた、「コンテムツス・ムンデ」についての話であった。この本に記された新しい信心の中心思想は、キリストとの個人的なつながり、触れ合いががテーマであり、キリストに倣って歩むということが中心にあった。その精神を模範として、人生における日常生活に生かしうるように努力するのである、とのことであった。

 明日の道州制推進連盟の例会に備えて準備を行った。今月は連盟発足1周年を迎えて、種々の連絡事項や提案事項があり、それらを纏めて明日印刷して出席する予定である。道州制という言葉はよく聞くようになったが、まだ地方自治の原点に対する認識が不足しており、又それを裏付けるデータが不足しているように思われる。

[8日(月)] ミャンマー報告終了、道路問題シンポジウムに参加

 懸案の「ミャンマーの異文化探訪記」のホームページ「続々 GOLDEN AGE」へのアップを午前中に終了した。併せて絵葉書でミャンマーのアルバムも作成した。これにより、ここしばらく没頭していたミャンマー関係の報告が、先に行ったフォトギャラリーと併せて全て完了し、ほっとした。

 午後から日本再建のため行革を推進する700人委員会の主催するシンポジウム「道路関係四公団民営化問題を考える」に出席した。溜池の日本財団ビル2Fの大会議室で午後3時から5時過ぎまで行われた。たまたま隣席は尾山太郎であり、その隣は桜井よし子であった。司会は水野清氏で、パネリストは近藤剛、田中一昭、川本裕子、北城恪太郎、井手正敬、吉野源太郎の諸氏であった。

 日本道路公団総裁の近藤氏を除いては、不採算道路の建設で40兆円に上る負債をどう返して行くのかはっきりしない、上下分離すれば民営化といっても道路運営管理の委託会社に過ぎないではないかとかどうせうまくいかないだろうから早くやり直せなど、否定的な意見が多かった。特に公会計の不備が未だに尾を引いている。これに対して近藤氏は道路問題は政治と行政の問題であり、公団の問題に矮小化すべきではない。ただ民営化は正しい大きな一歩である。借金は45年で返す事になっており、新会社の取り上げぬ道路は、政府が税金で予算化するので国民が監視すべきである。現在は1年以内の民営化の準備と業務改革に精力的に取り組んでいると答えていた。

[7日(日)] ミャンマーの異文化探訪記のアップ進む

 折角の日曜日だというのにまだ寒い。テレビでみた琵琶湖のマラソンではスタート附近では雪が降っていた。東京はそれ程ではないが、それでも北風が寒く、多摩川縁を急いで歩いていると、例によって息が切れる。つまり喘息気味である。だからゴルフにも行けない。早く暖かくなって欲しいと願うばかりである。

 ミャンマーの異文化探訪記の続々 GOLDEN AGE へのアップも大分進んで、4.ミャンマーのアイデンティティ、5.ミャンマー大周遊11日間の概要、6.ミャンマーの日常生活、7.上座部仏教の伝統、までアップした。残りは8.日本との歴史的関係、9.軍政と産業の実態、10.おわりに、であり、あと1日か2日ですみそうな目途が立ってほっとした。それにしてもアップするのにコピーがきかないのは残念である。

 HPへのアップの合間にテレビをみたら、女子のゴルフで、高校を出たばかりの宮里藍選手がプロに転向して本年初の試合で優勝したと報じていた。兄さんがキャディをしていたのと、地元の沖縄であるという利点はあるが、18才で優勝とは素晴らしい。大した体格ではないが、私より遙かに飛ばし、勿論正確である。更に挨拶もなかなかしっかりしており、将来おごらなければ大変有望な選手であると思う。

 

[6日(土)] ミャンマーが親日的な理由の想像

 1939年、日本軍は泥沼化する支那の戦線で、米英による援蒋ルートを分断すべく陸海軍協力して対ミャンマー工作を進めることになり、参謀本部直属の「南機関」が正式に発足し、鈴木大佐指揮の下、独立運動の中核となるミャンマーの青年30人を日本に集め、武装蜂起に必要な軍事訓練を行い、資金と武器を与えた。この30人が後のミャンマーの軍事、政治、経済界でリーダーとなった。

 やがて大東亜戦争勃発と共に、ビルマ独立義勇軍を募兵しながら日本軍とともにミャンマーに侵攻し、翌年3月28日に首都ラングーンを占領し、やがて全土を解放した。又日本軍の援助で士官学校を設立し、現在までの軍事政権の指導者達の大半はこの士官学校の卒業生である。

 ビルマ全土を解放した後、南機関は即時独立を主張したが、現地進駐軍はそれを認めず、1942年に南機関は解体されるというミスを犯した。このためアウンサン氏等の抗日戦線ができ、折しもインドのインパール作戦に失敗して日本軍は敗れ、やがて完全独立を果たすことになった。

 時を経て1981年1月4日、第33回独立記念日に当時のビルマ政府は7人の日本人にアウンサン勲章を授与した。この勲章はそれまでビルマ人を含めて皆無だったので両国関係者を驚かせた。受賞者は鈴木大佐未亡人を始め元南機関の関係者だった。裏を返せば、ビルマの指導者はビルマの独立に対して昔の南機関の恩義を未だ忘れていないということであろう。

 そういえばバゴーのシュエモードパゴダの境内に日本人の鈴木さんという方のご遺族が寄進されたという鎌倉大仏を見た。この鈴木さんが南機関の鈴木さんかどうか確認していないが、アウンサン勲章を貰ったお礼に仏像を寄進したのではないかと想像する。やはりこの辺の歴史はあまり表に出ていないが、昔のビルマ、現在のミャンマーが親日的なのはこのへんに原因があるのではないかと思う。

 本日ミャンマーの異文化探訪記の原稿を完成し、目次の1〜3を第1報として続々 GOLDEN AGE の旅行記にアップした。

[5日(金)] 佐藤観樹の失職と長島茂雄の脳梗塞

 民主党の元自治相佐藤観樹が公設秘書の給与をくすねていたのがばれて失職した。大物議員であり、つい先だって社民党の辻元清美が同様の手口で失職したばかりなのに、一体なんて事だろう。この間の古賀氏の学歴詐称事件といい、民主党のイメージを悪くするばかりでなく、政治不信を招くことになる。厚生年金を勝手に使った官僚共といい、国会議員を含めてTax EaterがのさばっているのはTax Payerが大人し過ぎるからであろう。之が又中央だけでなく地方にもTax Eaterがうようよしている。大体議員を含めて公務員が国民や住民にサービスする所か税金をまるで自分の所有物のように貪っているのを、早急に正さなければいけない。

 アテネ・オリンピックの日本野球チームの監督長島茂雄氏が急に脳梗塞で倒れたという。どうやら心房の運動停止から血液が固まり、それが脳に行って詰まったらしい。68才だというのに、最近は超多忙であったらしい。今後のことはもう少し様子を見る必要があるが、あれだけ元気なスポーツマンでもおかしくなる。健康の維持は実際問題として高齢者にとってはなかなか難しい問題である。

 このところ体調が芳しくなく、少し運動不足なので、午後から久が原のゴルフ練習場に行ってきた。最初の数発は一寸おかしかったが、直ぐ調子が戻り、ここ1ヶ月ばかりゴルフ場に行っていないが、これならいつでも再開できる自信ができた。ただ寒い風が吹くと、気管支喘息に悪いので、もう暫く気候が暖かくなるまで様子を見る事とする。毎週行けるようになると体調もよくなるのだが。

 ミャンマー異文化探訪記の原稿は順調に進んで、7の上座部仏教の伝統まで書き終わった。この調子でいけば、明日中に原稿は完成するであろう。ただHPMIXの原稿はコピーが効かず、全部手入力になるので、HPへのアップは暫く掛かりそうである。特に来週は忙しくて原稿を入力する暇はなさそうなので、完成は再来週まで掛かることであろう。

[4日(木)] ミャンマー異文化探訪記の構想と気管支喘息の宣告

 ミャンマーの異文化探訪記として構想を練っていたが、普段の旅日記ではなく、僅か9日半の滞在ではあったが、次のように異文化に焦点をあててまとめる案ができた。ミャンマー政府と駐日大使館の情報に基づくミャンマーホームページ(www.myanmar-shafu.com/)によれば、ミャンマー国軍の基礎は日本が作ったものであり、ミャンマーには多くの親日家がいるそうである。

 1.はじめに 2.ミャンマーの基本情報、3.特殊用語の説明、4.ミャンマーのアイデンティティ、5.ミャンマー大周遊11日間の概要、6.ミャンマーの日常生活、7.上座部佛教の伝統、8.日本軍戦没者慰霊碑、9.産業の実態と軍政、10.おわりに

 花粉症の疑いがあり、気管支喘息の疑いもあるので近所のかかりつけの医院で診て貰ったら、鼻水はアレルギーであり、気管支喘息は確かにあるとの診断で、しばらく飲み薬を出してもらった。毎日寒くてあまり散歩する気にもならないが、暫くぶりに多摩川縁を散歩してみたが、今日は別に異常はなかった。ただしばらくスポーツセンターやゴルフに行っていないので、体力が少し落ちている気がする。あまりパソコンに張り付かず、もすこし体力向上に努めたい。尚来週は珍しく毎日出掛ける用事がつまっている。気分転換に良いかも知れない。

[3日(水)] MLへの登録とOB会への参加

 3月3日のひな祭りというのに、この10年間で2番目に寒いそうである。気温が低いとどうも呼吸器系統の調子が悪い。昼から3ヶ月毎に学士会館で開催されるT社関連会社社長のOB会に出席した。ここには90才以上の方を含めて80才以上の先輩はかなり多数出席されるので、いろいろと心身の健康維持の面で参考になることが多い。奥さんをなくして一人で生活しておられても、結構頻繁に海外の異文化探索に出掛けられており、やはり好奇心を持ち続けることが如何に大切か知らされる。

 OB会では毎回新会員の講演がある。今回はトプコンの前社長Kさんのデジカメの話であった。ここ数年のデジカメの伸びは凄まじく、プロのカメラマンも今やデジカメの時代となったらしい。更に携帯電話で100万画素級のものが出てきたのでデジカメも上位指向だそうである。デジカメの特徴、作品事例、デジカメ画像の処理ステップ、プリント発注からPC利用までの留意点、画像処理ソフトの活用事例、PCとデジカメの市販本、機種選定時の留意点、その他の注意事項、と盛りだくさんの話であった。最近シャッターのタイムラグで時々決定的瞬間をミスしたり、PC内蔵の画像処理ソフトが消失してしまい、市販ソフトを利用しているが今ひとつ使い勝手が悪いので、Kさんの話は大変参考になった。今後活用したいと思う。

 話は変わるが現在5つのMLに参加している。所が以前登録の手続きをとったがうまく登録できず、メンバー表は依然として無名であった。今回あるMLで登録のための詳細なマニュアルがメールで送られてきた。はじめの内はマニュアルに沿って進めたが、途中からマニュアル通りにいかなくなり、適当に操作したら、メンバー表に名前も載るようになったので、どうやら登録できたらしい。しかしYahooともあろうものが、どうしてこのような厄介な手続きをとらせるのか、いささか理解に苦しむ。あるグループのMLでは殆どメンバーの登録がなされていないのも宜なるかなと思う。ただ折角のMLとしても、メンバーの登録が揃わないと都合が悪いのは事実である。

[2日(火)] フォトギャラリーの完成と2月会計

 昨日日記を書いてから、フォトギャラリーの残り部分、バゴー、チャイティーヨ、ヤンゴンを深夜まで頑張って片づけてしまった。そのため多少のミスがでてしまったので、今日の午前中に文章を訂正したり改良したりした。これで懸案が一つ片づいた。

 残りは異文化探訪記であるが、ミャンマーはあまり知られている所でなく、あちこちの名前の覚えにくい寺院やパゴダの訪問記では、フォトギャラリーとダブってしまい余り面白くないであろう。従って、できれば「異文化」に焦点をあててミャンマーの探訪記を書くことにしてはどうか、しばらくは構成を考えてみることとする。

 午後は毎月恒例の前月会計の決算を行った。2月は12日から22日までミャンマーに一人で出掛けていたが、出掛ける前にいささか証券会社と取引した内容がやや不明確であり、それに関連した資産関係に問題を残し、証券会社に苦情を申し入れ、即刻会計の明確化を申し入れた。内容は2種類の問題があり、一つは分配金を勝手にプールせずにきちんと送金すること、も一つは取引の余剰金を明確にして返還することである。又外貨の余剰金は所定の口座に入れて利用しやすくすることも申し入れた。青色申告会の会報によれば、複式簿記にすると従来55万円の控除が認められていたが、今後65万円になるとのことである。それだけ会計はきちんとしておかなければならない。

[1日(月)] 3月になって霙が降る

 2月は暖かかったが、3月に入ったら途端に寒くなった。雨が時々霙になっていた。午前中は病院に行き耳鼻咽喉科の診察を受けた。午後は専らミャンマーのフォトギャラリー作成の作業を進め、終わりが目に見えてきた。

 もともと耳下腺炎の関係で3ヶ月に1度くらいのペースで診察をうけているが、今回は花粉症の疑い、喘息の疑い、ノドの飲み込み不良があり、ノドを内視鏡で調べたら腫れているという。頸骨の影響もあるが良性か悪性か表からは分からないので、MRIで調べてみることとし、来週の予約が取れた。そこで来週末に再度診察を受けることとした。

 フォトギャラリーの方は順調に進み、カッグ遺跡からインレー湖、ピンダヤ洞窟からポッパ山、バガンを経てマンダレーに行き、アマラプラ、マンダレー、サガイン、ミングォンと観光してマンダレーからヤンゴンに到着した。残りはバゴー、チャイティーヨとヤンゴンである。もう少しで完成したらもう一つのHP「続々 GOLDEN AGE」に発表する予定である。




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