[29日(日)] 閏年、2月の最終日、息子とのしばしの別れ昨日の鳥栖青年会議所との会談を期に、総務省統計局のHPを開いて、全国都道府県、市町村の行政基盤というか財政力指数(基準財政収入額を基準財政需要額で除したもの)を調べてみた。佐賀県の中では鳥栖市が佐賀市を抜いてトップであるが、佐賀県としては全国で36位であり、地方交付税を歳入決算総額で割った値は佐賀県が全国で2位で、地方交付税に対する依存度が高い。道州制になった時の財政自立度のような指標を見つけられないかと感じた。昼は近くのレストランで息子一家と会食した。息子が明日からマレーシァの子会社へ出向になるとのことで、その様子を色々聞いた。クアラルンプールあたりも数年前から様相を一変しているらしく、目下立て続けに石炭火力発電所を受注、建設しており、そのTechnical Directer を命ぜられたものらしい。子供が小さいので、今後いろいろと問題がありそうである。 念願のミャンマー大周遊のフォトギャラリーの作成が始まった。HPの容量制限からまずドイツ北東部歴史物語15日間の写真120枚を削除した。はじめに誤ってフォトギャラリー全部が削除されぎょっとしたが、無事復元できた。更に前に作成した地図が見にくいので再製し、写真の一部明るさを再調整してからフォトギャラリーの作成が順調に始まった。しかし111枚もあるのでしばらく時間がかかりそうである。 [28日(土)] 鳥栖青年会議所と道州制について懇談ミャンマーの旅行写真660枚のうち、最低限必要と思われる全体の1/5以下の112枚をピックアップし、更にそれらを1枚あたり50kB以下に圧縮した。これらの写真を利用し、多少の解説を付加してフォトギャラリーの原稿作成の準備ができた。あとは暇をみて作業すればよい。午後から佐賀県の鳥栖青年会議所ベストシティ委員会の委員長と副委員長の申し入れがあり、日本工業倶楽部の談話室で道州制について懇談した。鳥栖は九州の中では交通の要衝であり、自立した中核都市をめざして九州の州都になることを目指しているようであった。 道州制推進連盟からは3名出て、連盟のできるまでのいきさつ、現在の課題等説明した。我々の方針は地方から道州制を実現することであり、できれば鳥栖青年会議所の方もメンバーとなっていただき、協力関係をつくりたいと申し入れた。終わってから先方の名刺に書いてある鳥栖JCのHPを開いてみたら、今月初めに大前研一氏が訪れて激励しているようであった。 道州制や市町村合併では肝腎の経済的自立を無視して、感情的にどこと一緒になるかが話題になるが、一番大切なことは、国から支援がなくなる前に、経済的自立体制を創り上げることであり、その為には支出を減らし、収入を増やす工夫が必要であり、そのためには民間の経営感覚を生かすことが大事である。もともと青年会議所は平成2年に道州制を提案しており、全国的な団体として今後協力関係を深めていきたい。 [27日(金)] フォトギャラリーの編集に手間取るミャンマー旅行の写真は660枚も撮ってしまった。スライドショーならそのままでよいが、ホームページのフォトギャラリーに載せるには、容量制限から1/5程度に枚数を抑える必要がある。このためどれをのせるか選択が必要で、このため1日目から7日目の途中まで選択した。ただし中には自分で撮っておきながら何処の写真か分からなくなり、地球の歩き方や旅名人ガイドブックと見比べながら調べる始末で時間がかかり、1日では選択が終了しなかった。電子メールでは色々な所から連絡が入るが、構想日本のメルマガで、ひとつは3月8日の「道路関係四公団民営化問題を考える」シンポジゥム、も一つは3月30日の「第81回JIフォーラム・外国人から見た日本の政治」の案内があり、出席者が面白そうなので参加を申し込んだ。 テレビでは北朝鮮の核問題をテーマとした6ヶ国会議がまとまらず、1日延期することになったという。北朝鮮もいいかげんで手を上げたらよさそうなものなのに、何故か意地を張っているように見える。又8年もかかったオーム真理教の麻原こと松本被告に死刑の判決が下った。20人もいた弁護士がやめて、上告には新たに5人の弁護士がつくという。いずれも税金の無駄遣いで、それにも関わらず教団の信者が未だに1600人もいるとは驚きである。信仰とは理屈を超えた思いこみであるだけに始末が悪い。 [26日(木)] ミャンマー旅行の疲れがでた昨日旅行の概要をまとめて報告したが、昨日あたりから旅行の疲れがでてきたようである。いつもならスポーツセンターへ行くのにその元気がでなかった。今日も郵便物を片づけたり、郵便局へ会費の払い込み、毎晩飲むワインの仕入れ、図書館へ予約図書の受取など行っているうちに、工業倶楽部の講演会へ出掛けるのが面倒になりやめにした。あとはフォトギャラリーのためのミャンマーの地図の作製、写真のピックアップなどしているうちに日が暮れた。ミャンマー旅行自体は念願の旅行であり、上座部仏教の見事な遺跡の宝庫に接する事ができたのは幸せであった。しかし今回の旅行は体力的にかなりきつかった。ただ85、82、78才と3人も年長者が元気にしているので、頑張らざるを得なかった面もあった。 一つは朝早い出発があったことで、朝5時出発が1回、朝食後6時出発が2回あった。普段年寄りにしては朝寝坊で8時頃まで寝ているものにとっては辛かった。次に階段の多いことである。ポッパ山の770段を筆頭に、ピンダヤの洞窟ではエレベーターの故障で300段位の階段を登り、その他各所で階段を登ったが、殆ど裸足を強制され、足の裏の痛さと相まって、よくぞ登ったものである。 普段の交通は日本からの中古大型バスで、一人2席確保され、快適であったが、ヤンゴンやマンダレーのような大都市以外は道路が悪くかなり振動があり、歩いていなくても万歩計が動作する程であった。更にマンダレーヒル、サガインヒル、チャイティーヨではトラックバスと称する小型トラックの荷台で、猛スピードで坂道を昇降し、しがみついているのがやっとであった。又チャイティーヨでは最後に駕籠にのったが、急坂をのぼるので頭を抑えているのに草臥れた。反面下りを歩いたが、足ががくがくになり、夜ホテルで足のマッサージを頼む羽目になった。 以上は体力的にきつかった例の一部であるが、素晴らしい寺院やパゴダを直接みたり、ミャンマーの人々の素朴だがやさしい心遣いに接し、困難をものともせず何とか乗り切れたのであろう。 [25日(水)] ミャンマー大周遊11日間の概要今月の12日から22日にかけて出掛けたユーラシア旅行社のツアーで、参加者は男女各9名、内夫婦2組で、85才以下高齢者が多かった。添乗員1名、現地ガイド1名の総勢20名でミャンマーの仏教遺跡の宝庫を一巡した。詳細は追って別途HP「続々 GOLDEN AGE」に譲り、ここには要点のみ記す。(1)2月12日(木) <成田→バンコク→ヤンゴン> 10時55分成田発のJALで約7時間、15:50バンコク着、3時間半待 ってミャンマー国際航空で約1時間、現地時間19時55分ヤンゴン 着、ヤンゴン市内ホテルで夕食、宿泊。 (2)2月13日(金) <ヤンゴン→ヘーホー→カッグ→インレー湖> 早朝5時ホテル発、6:30ヤンゴン発マンダレー航空にてマンダレー 経由8:35ヘーホー着、大型バスで移動 *ヘーホーマーケット:予定外だがたまたま開催日 *カッグ遺跡前のレストランで中華の昼食 *カッグ遺跡:12世紀以来のパゴダ(仏舎利塔)の数は2500以上 *パオ族集落:高床式竹製の家に案内される *インレー湖ホテルで夕食(中華)、宿泊 (3)2月14日(土) <インレー湖→ピンダヤ> *5人ずつ4隻のボートでインレー湖観光 水上パゴダ、水上マーケット、ガーペチャウン僧院を廻る *ホテルで昼食、ミャンマー美女の結婚式あり *ピンダヤ洞窟:150mの鍾乳洞内に8094体の仏像 *ピンダヤのホテルにて夕食後宿泊 (4)2月15日(日) <ピンダヤ→ポッパ山→バガン> 早朝6時ホテル発バスで終日悪路をドライブ *9:40順調過ぎて早い昼食 *メッティーラのナガヨンパゴダ:日本人の寄付で修復 *ポッパ山:777段の急階段を裸足で若い女性に支えられて登る *18:15バガンのホテル到着、夕食時人形劇や舞踊ショーあり (5)2月16日(月) 終日バスでバガン市内観光 *マヌーハ寺院:タントン国王マヌーハの建てた寺院 *シュエサンドーパゴダ:5層のテラスあり、周囲の眺め良し *シュエズィーゴンパゴダ:黄金の広大なパゴダ *アーロードービー寺院:願いが叶う寺院として花を捧げる *ティーローミンロー寺院:東西南北に表情の異なる仏像が1体ず つある *タラバー門:9世紀の城壁の跡、両側に兄妹のナッツ神祀られて いる *ダビニュ寺院:12世紀建立、高さバガン随一の65m *イラワジ川縁のレストランでミャンマー料理の昼食 *漆工場見学 *アーナンダ寺院:バガンの代表的寺院で東西南北に高さ9mの立 仏像 *ダマヤンジー寺院:バガン最大だが王の暗殺で未完成のまま *ミンガラーパゴダ:バガン王朝最後の作でテラスからの眺め抜群 *イラワジ川クルーズ:イラワジ川に沈む夕陽の鑑賞18:00頃 *野外レストランでショーを見ながら中華の夕食、バガン連泊 (6)2月17日(火) <バガン→マンダレー→アマラプラ→マンダレー> 早朝バガンより空路25分でマンダレー到着、まずアマラプラへ *マハーガンダヨー僧院:国内最大級、1000人の修行僧が食事 *ウーペイン橋:チーク材の1.2kmの橋。その後マンダレーに戻る *マハムニパゴダ:マンダレー最大金ぴかのバゴダ、金箔を貼る *市内栄新餐庁にて中華式昼食 *マンダレーのホテルにチェックイン、しばし休息 *旧王宮:3.2km四方、城壁8m高、堀幅70m、森の中金ぴかの建家 *シュエナンドー寺院:真っ黒な、華麗な彫刻の木造建築 *クドードーパゴダ:729の小パゴダに囲まれた白亜のパゴダ *マンダレーヒル:トラックバスで登頂、市内と落陽を眺める *スワンホテルでミャンマー料理、ビルマの竪琴と民族舞踊 *マンダレーのホテルに宿泊 (7)2月18日(水) <マンダレー →サガイン→ミングォン→マンダレー> *カウンフムードパゴダ:サガイン最大、高さ56m白色のおっぱい状 *サガインヒル:トラックバスで頂上へ、パゴダと日本人慰霊碑あり *マンダレー市内に戻り、王宮西側でタイ料理の昼食 *ゼージョーマーケット:マンダレー最大の日用品市場 *ミングォン:船で約1時間、世界一を目指して中断したパゴダと 90トンもある世界で二番目に大きい釣り鐘を見る *マンダレーに戻りホテルで鍋料理の夕食、連泊 (8)2月19日(木) <マンダレー→ヤンゴン→バゴー> *早朝空路マンダレーよりヤンゴンへ *バゴーへの途中、ガイドの実家に招待され接待される *チャイプンパゴダ:バゴーの入口、高さ30mの四面仏 *バゴー市内レストランで中華の昼食 *シュエターリャウンパゴダ:全長55m、高さ16mの涅槃仏 *シュエモードパゴダ:モン族のパゴダ、高さ114mで金ぴか 近くに日本人遺族の寄進した鎌倉大仏あり *国営ホテルにチェックイン *市内レストランで中華夕食後ホテルに戻り宿泊 (9)2月20日(金) <バゴー→チャイティーヨ→ヤンゴン> *早朝6時ホテル出発、大型バスで約3時間、トラックバスで 山道を約40分登り、更に頂上まで駕籠で(約3km)約30分登る *10:30チャイティーヨパゴダに到着。高さ8m、周囲24mの金箔を 貼られた丸岩が断崖から落ちそうで落ちない *パゴダ近くのホテルで中華の昼食 *帰途徒歩で下山、急坂でヒザが笑う。再びトラックバスで麓へ ついで大型バスで約4時間半、18:25ヤンゴンのホテルに到着 ホテルで最後の晩餐の後、足もみマッサージを頼む (10)2月21日(土) <ヤンゴン→バンコク→機中泊> *ヤンゴン市内で最後の観光 *チャウッターヂーパゴダ:長さ69m、高さ17.7mの巨大な涅槃仏 *シュエダゴォンパゴダ:黄金色に輝き巨大で誠に素晴らしい *ボージョーアウンサンマーケット:衣料品、宝石類が目立つ *市内飲茶で昼食 *国立博物館:ミャンマー文化、伝統芸術、伝統工芸品の展示 *13:50ヤンゴン空港着、16:30ヤンゴン発、18:15バンコク着 22:55バンコク発、機中泊 (11)2月22日(日) <→成田→帰宅> *06:20成田着、荷物を受け取り解散、空港第二ビル→日暮里 →蒲田→沼部で10:00帰宅。徹夜疲労の為暫く休養 (終わり)
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