2004年1月日記帳



[31日(土)] 月日のたつのは早いものだ。

 あっという間に1月も最終日になってしまった。早速1月の計算を行う。うっかりして通帳の1冊の記帳を忘れたため、収入・支出の控えだけでは勘定が合わないので、その分は来週の月曜まで待たなければならなくなった。不動産関係等その他の計算を済ませる。それにしても土曜日は銀行で預金の出し入れは出来るのに記帳ができないのは不便だし、銀行もサービスが悪い。
 青色申告で必要な損害保険の控除証明書が届いて、やっとこれで税務申告の準備が完了したと思ったら、証券会社から今頃になって株式等の売却の明細が届いた。これを譲渡所得としたら大変な事になるが、一昨年の購入時を調べると逆に所得はマイナスであり、或いは税額を軽減できるのかも知れない。しかし購入時の証明が必要であり、計算もやり直す必要があるかも知れない。
 数ヶ月前から二度も連絡したのに梨のつぶてだったK君から、突然「道州制」の推進に関連して、「O教授と連絡して協同したらどうですか」といって、東京財団レポート4号の「道州制」研究プロジェクトである平成の「道州制論」を送ってきた。早速東京財団の研究事業を調べてみたら、社会分野や政治分野で成る程と思わせるテーマがずらりと並んでおり、これでは注目していた構想ニッポンより余程ピンとくるものが並んでいた。仲間と相談し、大学か財団に問い合わせてO先生と連絡を取ることとしたい。

[30日(金)] 今何が問題か?

 午前中は証券会社に奨められている中国投資の問題点を調査し、午後から多摩川のゴルフ練習場に行き、クラブ一式の他、ドライバーを5種類持っていって比較検討した。結果は今使っているドライバーが一番確実であった。その後道州制推進連盟の例会の資料を作成し、コピーし、序でに昨年の配布資料を整理した。
 ところで最近はモラルの低下に伴い悪質な犯罪が著しく増加している。このため町を自警するところが増えてきたが、警察まかせでは追いつかなくなった。バブルの崩壊後経済も低迷し、国際競争力もかなり低下した。狂牛病や鳥のインフルエンザで輸入に頼る外食産業もピンチになってきた。更に 肝腎の国と地方の財政がべらぼうな赤字となり、実質的破綻状態である。それなのに議会ではイラク問題で大義がどうの神学論争に憂き身をやつしており、国民の危機意識も稀薄である。
 教育も学力低下といわれ、又教育基本法から変えなければ駄目だとも言われている。憲法もようやく改正すべきだという議論が優勢になってきたが、投票率は低いし、公職選挙法も見直して、国民の政治意識を向上しないと、ほんとに日本は駄目になってしまう。国家意識は稀薄になるし、パラサイト化がすすんでいるので、三位一体の改革で地方が自立し国を支えるようにならなければいけない。その一環として「道州制」の推進をはかっている。
 しかし問題の根源は、戦後の占領政策による歴史歪曲にあるような気がする。16世紀以来、白人によるアメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの侵略・残虐・非道の歴史を知らずして、アメリカの強制による自虐史観から未だに脱却できない所に問題の本質があるような気がする。

[29日(木)] シマッタ! ボケがはじまったか?

 今日は2ヶ月ぶりのT病院内科の受診日である。1時間前に採尿・採血の受付に到着する寸前に気がついた。そうだ、今日は朝飯を食べずにきて血糖値などを測ることになっているのだ。所が全く忘れて朝飯を食べてきてしまった。シマッタ!と思ったが遅かった。ただ瞬間的血糖値だけでなく、1週間くらいの累積値であるヘモグロビンA1cも測定されるので多少は救われるが、昨年も1月の数値はよくない。多分寒くてゴルフにも行けず、運動不足なのであろう。そういえば往復の電車や病院の待ち合わせ時間に学士会報を読んでいて、イケナイ!1月20日の学士会午餐会に行くのも全く忘れていたのに気が付いた。
。  税金の関係で、贈与税関係の固定資産税評価証明書も届き、火災保険の控除証明書も届き、あとは簡易保険の控除証明書だけだと思って郵便局へ調べに行ったら、払込済みなのでもう出せないと断られてしまった。従って控除額が50,000円だけ減るので、確定申告の計算を一部修正しなければならなくなった。ところが2〜3日前に到着した青色申告、繰越資産用火災保険の控除証明書が見つからない。時間をかけてあちこち探したけれどどうしても見つからず、嗚呼遂にボケが始まったか? やむを得ず再度電話して再発行をお願いする羽目になった。それだけ残して、青色申告、所得税確定申告、贈与税申告の書類及び添付資料一式を整備し、あとは時期が来て提出を待つばかりになった。
 2004年度行動計画では、納税と海外旅行準備が終わったら老後計画に入ることになっていたが、机の上のファイルにもまだ未整理が残っていることと、パソコンが大分草臥れてきて、リカバリするか新型を購入するか、いずれにしてもデータをCDRに記録しないといけなくなった。これも結構厄介なことで気が重いが、やるべきことは早く片づけたい。
 

[28日(水)] スポーツセンターとホームページのコラム

 又水曜日になり、スポーツセンターへ出掛ける。今日はよい天気で富士山が綺麗にみえた。自転車漕ぎでは血圧がなかなか上がらず、最後にやっと100になった。筋肉トレーニングは比較的順調であったが、やはりプールで最初の20m無呼吸はちと苦しかった。しかし段々慣れて1000m泳ぐ中、あとの4回は比較的楽であった。ところが今日は体重が比較的多く、泳いだあとでも75kgを切れないのは残念であった。
 帰宅、昼食後30分ばかり散歩してから、昨日目次詳細を作った図書をタネに「中国の台頭と日本の対応について」と題するA4版1頁の論文を作成し、続々GOLDEN AGEというホームページのコラムに載せた。
 やはり刻々と変化する世界経済の動向に対して、今の日本人は少し鈍感になっているのではないかと気にかかる。又FTA(自由貿易協定)の動きに対して、国際競争力の全くない農家保護の農業がガンになってきているが、現在の社会主義的農政から早く転換して株式会社の参入も許可し、技術革新による新しい農業を確立する必要を感ずる。更に戦争を体験していない戦後世代に、戦争とはどんなものであるか、16世紀以来の西欧のアメリカ、アフリカ、アジア、オセアニア侵略と支配がいかなるものであり、中国ではなく、日本がこれに立ちはだかった史実を如何に正確に伝えるかが重要な課題であることを書きながら痛感した。又当然ながら、中国の反日教育はやめさせるべきであり、靖国問題は内政干渉で排除すべきである。

[27日(火)] 読書と散歩

 先日貰った津上俊哉著「中国台頭−日本は何をなすべきか」(日本経済新聞社)についてまとめるため、改めて目次詳細を作成した。A4版で1頁50行としてフルに3頁の分量があり、なかなかに読みでがある。中国経済の実態については今まで知らぬ事も結構あり、参考になった。又中国経済の問題点もなかなか深刻である。又アジア経済統合の時代をどう生きればよいか、「引きこもり」と「退行」はもう止めようと主張しているが、正にその通りである。
 アジア太平洋の新しい国際関係をどう作ってゆくか、日中は和解できるか歴史問題を中心に述べられているが、著者は戦前、戦中、戦後直後の歴史にはあまり詳しくないようである。特に戦争の体験がない年代になると、戦争とはいかなるものか分かっていないようである。これからの国際関係で、戦争を知らない年代に、正しい歴史をどのように伝えて行くかは大きな問題であると痛感した。
 昼休みに多摩川縁を散歩した。いつもは堤防の上を歩いているが、今日は川縁の道を歩いてみた。引き潮だったようであるが、静かな川面に、思ったより沢山の鴨が泳いでいたり、中州に屯していた。川縁には之また沢山の鳩が集まっていた。景色自体はまことに平和である。
 

[26日(月)] 雑用で丸一日明け暮れる。

 今日は比較的暖かく晴れていたが、残念ながらホームコースは定休日である。その代わり雑用ばかりまとめてこなし、あっという間に夕方になってしまった。
 最近は世の中便利になり、健康薬品などもインターネットで探して注文すると、きちんと指定した日時に到着する。その支払も近くのコンビニで済ませられるようになった。郵便局も郵政公社になってから、大分サービスがよくなってきた。近くの3等郵便局では顔になってしまい、私が顔を出すと女性の局長がさっと窓口にきて御用伺いをしてくれる。それに比べると国内最大と言われている銀行でも、両替を扱う窓口の能率の悪さはひどいもので、30分以上も待たされ、しかも手続きが済んでも外貨を手にするまで又30分近くかかる。ほんとにいらいらするが、これでは国際競争力がないと言われても仕方あるまい。
 そういえば電話番号の案内もいつのまにか便利になった。地方の電話局の電話番号を調べるのに、昔は地方の局番+104だったが、今はそれでは通じず、104で全国の電話番号を調べてくれる。丁度群馬県の伊香保の町役場に、評価証明書を出してもらうため連絡しようとして図らずも実感した。ついでに控除証明書が未着の火災保険会社も簡単に連絡がついた。
 ついでに買い物や会費の支払いなど、出たり入ったりしている内に、万歩計の数値はいつのまにか10,000歩を超えていた。之なら特に運動のために散歩するまでもない。町や駅の中を歩きながら、通りがかりの人をじっくり観察してみると、冬で寒いせいか、意外に元気のない顔をしている人が多い。テレビでも相変わらずイラクへ自衛隊を派遣するのはどうのこうのという議論が多く、一国平和主義に洗脳された人が多いせいか、日本文明もまさに衰退期に入ったのではないかと感じられる。一国一文明の日本として、愛国心というと右翼と間違えられる所に問題の本質がある。

[25日(日)] ゴルフを休んで旅行荷物の準備

 相変わらず寒く、今日も10℃以下である。といっても東京は全国で一番暖かく、北海道、東北、北陸、山陰は勿論のこと、九州まで雪が降っているようである。東京は殆ど雪が降らないが、雪が積もるといろいろ厄介である。取りあえずゴルフは休んで旅行荷物の準備を行う。
 ミャンマー(旧ビルマ)と言うところは、治安の問題はそれ程心配ないようであるが、食事でお腹を壊すとか、虫にさされるとか、妙な心配がいるようであり、このため薬の用意がいるようである。又777段の階段を登るとか結構山登りがあるようで、今回はステッキを用意した。又寺院やバゴダでは靴や靴下を脱いで裸足になるので、草履かサンダルがあった方が良いという。町でサンダルを売っている所が極端に少なくなったが、それでも比較的高級のものが多く、あまり安物は見かけなくなった。気温は大体日本の初夏程度であるが、1500m位の高原へ行くと少し涼しい様である。ということで、足りないものを買い足して、何とか荷物の準備を終えた。最初旅券がなくて慌てたが、これはビザをとるため旅行社へ預けていたようで、明日確認してみる。
 昨日問題のHPの画像は、リーダーの電話でのアドバイスを受けて、写真のファイルを「hp」に貼り付けることにより解決した。又更に写真に説明を付加する方法をメールで教えて貰い、之また何とか恰好がついた。なかなか頭が固くなっていて思うようにいかないが、少しずつでも前進したい。

[24日(土)] ネット・デモクラシー推進プロジェクト

 昨夜の天気予報では今日の最高気温は12℃で晴というので、それではゴルフに行こうかと思って少し早く起きた。早速天気予報を聞いたら、今日は曇で最高8℃だというので、原則の晴10℃以上をカバーしていないのでゴルフにでかけるのを止めにした。
 そこでしばらく手を抜いていたネット・デモクラシー推進プロジェクトの学習を行った。すなわちこのHPの更なるグレードアップを如何にして行うかの学習である。
 画像だけ残して、昼から散歩で多摩川の丸子橋を渡った。両側にそれぞれ幅約4mの立派な歩道があるが、特に川下側は殆ど歩いている人がいない。橋の上から川をみると、引き潮の影響か、浅瀬が多く、釣り人を川中で多くみかけた。風も少しあり、曇で温度は最高で7℃くらいであった。続いて区立の図書館に行って、雑誌正論を殆ど読んでしまった。なかなか良いことが書いてあるが、この本は借りる人が滅多にいない。
 帰宅してから画像の取り込みに頭をひねった。YさんのHPを参考にいろいろ工夫してみたが、写真がうまくでてこない。折角の孫達の写真だが、しばらくおあずけになりそうである。

[23日(金)] 税金の申告書作成

 今日は朝から青色申告の決算書を作成し、提出資料の準備を行った。まだ1月末にならないと届かない資料もあるが、なんとか形が整った。
 昼から散歩がてらに税務署へ行き、贈与税の申告書をもらってきた。伊香保に少しばかりの山林があったが、出掛ける元気がなくなったので息子に譲ったもので、普段固定資産税がかからない程度だが、それでも僅かに譲与税がかかる。固定資産税評価額通知書が必要とのこと。
 その後は所得税確定申告書および添付資料の準備を行った。あらかじめ既に計算はできていたので、主として添付資料を揃え、又税務署からきた手引きによって、税額の計算の再点検を行った。 結果は既に準備した通りで良かったが、やはりまだ一部の資料が未着である。それらの到着を待って来月早々に申告する予定である。作業は予定より早く1日で殆ど終わってしまった。

[22日(木)] イラク問題と今年の行動計画

 午前中はエーヤーワディ〜ミャンマーの写真&情報というHPで来月のミャンマー旅行の行く先の様子を調べた。バガンあたりは1日ではほんの一部しか見られないようであるが、デジカメを撮るにも、行く先の様子を映像的にもあらかじめ頭に入れて置きたい。
 午後から日本工業倶楽部の木曜講演会に出掛け、東大の山内昌之教授の「国際情勢を展望する−日本とイラク問題」という講演を聞く。昨日から国会でも論戦が始まっており、社民党か共産党系の自衛隊派遣反対デモなども起きており、新しい情勢として政府に説明責任はあるとしながら、流石に山内教授はネガティブな議論にはくみせず、アメリカとも利害の一致せぬ中東イスラム圏で、日本の国益確保と対米仲介、国際協調更にはイラク国民の立ち直りに日本が活躍できる絶好の機会であり、日露戦争以来のアラブ人の日本に対する期待を失うべきではないと強調された。
 帰宅後、本年度の行動計画を立案した。毎日、毎週、毎月、隔月、毎年の定常的行動は特に問題ないが、現在、税金の申告、海外旅行の準備が中途半端であり、昨年の11月以来老後計画が停滞している。そこでアイテムを詳細リストアップしている所に、税務署から確定申告用紙が届いたりしたので、今月中に税金の申告を終え、海外旅行の特に携行品の準備を行った上で、改めて老後計画の残り部分に取り組むことにした。これも病気したり、老衰になったりした場合の計画、死亡の準備といったあまり愉快ではない計画だが、元気な今のうちにやっておかないと、人に迷惑をかける事になる。

[21日(水)] 年賀状の調査とミャンマーの事情調査

 水曜は毎週スポーツセンターへ行く日である。自転車を漕いでも脈拍がさっぱり上がらないのでおかしいと思ったら、道具の差し込みが足りなかったようだ。又プールで最初に20m無呼吸で泳ぐのがきつくて、途中で呼吸してしまったが、後から次第に楽になってきて、体調がおかしくなったわけではなくてほっとした。
 午後から年賀状の当選番号のチェックをした。450枚位の年賀状で丁度20枚が5等に当選していた。例年は4等や3等にも当たっていたが、今年は5等だけだった。しかし確率からいえば当選率は高いようである。郵便局で記念切手20枚を賞品としてくれた。
 ミャンマーは昔ビルマといったが、もともと文語体ではミャンマーだったそうである。パゴタや寺院が多いが、そこでは裸足になるので、多くのバゴダを廻るときにはゴム草履かサンダルがよいという。そこで雪が谷までサンダルを探しにいったが、立派なものばかりで、スポーツセンターにあるような安物のゴムのサンダルはどこにも売っていなかった。その後地球の歩き方で旅の技術を調べたり、旅の情報収集としてインターネットでいろいろ調査した。通貨は公式には1ドルが6.4チャットであるが、実勢レートは公式と全くかけ離れ、常時相当な変動があり、2002年9月には1200チャットだったが、今年の1月は800〜900チャットであるという記事を見つけた。日本円からは現地通貨へ交換できず、カードも殆ど使えないので、米ドルの現金、それも少額紙幣を準備する必要があるとのことであった。

[20日(火)] パソコンの不調とホームページ

 昨日ネットデモクラシー推進プロジェクトで作ったHPのHTMLPerfectが試用期間切れということであわてて代金の支払いをしたが、貰ったパスワードやライセンスキーでは扉が開かず、ベクターレジセンターへ何とかしてくれと頼んだら、今日になって作者に連絡したからというメールがきただけで以前として使えない。又Aさんのメールの添付文書も開かず、午前中は全く不調であった。
 そこで午後から、天気が良くて暖かいので、久が原のゴルフ練習場に行って、今畜生とばかりボールを叩いてきた。大分あたりがよくなってきた。
 帰宅してから、先日の「国民の文明史」をもとに、その感想を「日本文明の特徴は何か?」という題でまとめ、続々GOLDEN AGE の歴史道楽にアップした。やはり昨日の話ではないが、占領政策による日本精神の解体作業を見直して、憲法や歴史教育をはじめ、見直しをすると共に、民主主義でも大衆迎合主義は衆愚政治になるといった原理原則をクリアにする必要があろう。
 夜になって、OさんやAさんのメールが入り、添付文書は開けるようになり、HTMLPerfectもライセンスキーの数字が1桁落ちていたのに気付いて無事開通し、昨日から今日の午前中にかけてもやもやしていた暗雲がきれいさっぱりとなくなり、早速お礼のメールを入れた。

[19日(月)] 十徳会と堂々たる詐欺通知

 十徳会は中学の昭和10年から19年卒業の有志の会で、以前は毎月、最近は隔月に19日に虎ノ門で開いている会合で、19をトクと読ませて十徳会と称している。今日は3年先輩の、学徒動員から出征・戦傷・帰還・終戦の秘話で、戦友の大半が戦死しているので、今日まで公にするのを憚っていたという。会のあと階下の喫茶店で同期生と茶飲み話をしたが、戦後のアメリカの占領政策を、独立後批判して取捨選択すべきなのにこれを怠っているなど、手厳しい話で話が弾んだ。
 夕方家へ着いたら、郵便受けに、オランダのKTWクラブですが、貴方様はドイツ国営ロトで300万円のアウディA2新車または賞金300万円に当選しました、当選者アンケートに記入され、ドイツ国営ロトへの参加を24時間以内に申し込めば、更に現金100万円をボーナスとしてプラスします、という手紙がとびこんできた。多分年寄り目当ての詐欺行為だと思うが、堂々と印刷した大がかりなもので、住所はオランダだがフランスから郵便がきたことになっているが、どうやら犯人は国内にいるのではないかと推定される。

[18日(日)] 気分転換、ミャンマー旅行計画

 毎日パソコンに向かう時間が長くて少し疲れたので、気分転換に今日はのんびりとミャンマーへの旅行計画を作成した。もっとも昼はテレビで広島の全国男子駅伝を見たり、多摩川縁を丸子橋から瓦斯橋まで散歩したりした。少し寒いが風が無く晴れていたので、河原のゴルフ練習場や野球場は満員であり、これならゴルフへ行けば良かったかなと思った。しかし歩いている内に息が切れてくるので、これではミャンマーで山登りはきついかなと思ったりした。
 ミャンマーへはいつものユーラシア旅行社のツアーに参加するつもりで、来月半ばから11日間で一回りするつもりである。成田からバンコク経由でヤンゴンに行き、インレー湖周辺、バガン周辺、マンダレー周辺、ヤンゴン周辺と主な所は大体カバーする。何と言ってもミャンマーは上座部仏教の聖地が多く、黄金のバゴダがあちこちにある。新聞では軍政を批判しているが、現地へ行けば、人々の感覚は可成り違うだろうと思う。ついでに携行品リストも作ったが、4年前のインドシナ3国へ行った時のリストが参考になった。丁度気温が同じくらいと予測される。

[17日(土)] 初雪、北海道への提案と読書

 今日は予報通り朝から初雪だが、ふわふわと舞うような雪で地面には積もらない。それでも気温が低く5℃以下なので、3ヶ月毎の本厚木のコンペは欠席した。残念だが風邪をひいたらつまらぬので、10℃以上で晴の場合にのみ出席すると予め連絡しておいた。
 昨日調べておいた北海道の道州制先行実施に向けた取組に係わる提案をまとめ、道州制推進連盟の会員の意見をもとめるべくMLで連絡した。政府は道州制特区といっているが、北海道は道州制先行実施といっている。市町村合併をもっと進めて一人当たりの歳出額を減らすことと、地方交付税制度にいつまでも頼らないで自立をはかるよう北欧の諸国の例をあげて激励する事とした。
 たまたま暇ができたので、少し読み始めた津上俊哉著「中国台頭−日本は何をなすべきか」340頁を一気に読み切った。著者は通産省出身だがまだ50才前であり、96年から4年間北京の日本大使館に勤務していたので、なるほど中国経済の内情や中国人の思考をよく把握していて成る程と思わせる所が多い。今後のアジア経済統合の時代に向けて、日本人はもっと頑張らなくてはいけないというのはもっともである。ただ最後の第6章「日中は和解できるか」で、歴史問題について、特に満州事変から日支事変について、著者の歴史認識はやや浅いという印象で、そのため中国側にやや押されている感があるのは甚だ残念であった。

[16日(金)] 道州制の諸問題と世界経済の潮流

 今朝の産経新聞に第20回土光杯全日本学生弁論大会優秀賞の論旨が出ていた。いくつかある賞の一つにニッポン放送杯があり、東大の一年生天白達也君の「列島解体論」が紹介されていた。しかしその中味を見ると、なんと我々の主張している道州制とまるきり同じであった。このような若者を何とか仲間に引き入れたい。
 午前中に、九州各県知事に対する道州制特区に関するアンケートの原案に対して意見をつけ、午後後述の講演会から帰ってから、北海道道州制検討懇話会及び道州制推進会議の議事及び資料を閲覧し、同会議で募集している意見のまとめを行った。明日MLでメンバーの意見を聞いてから提出する予定である。
 午後国税の法人税と都の法人事業税・都民税の何れも予定納税を行い、日本工業倶楽部の第475回産業講演会を聴きに行く。国際金融情報センター理事長内海 孚氏の「世界経済の潮流と日本経済再生のシナリオ」という講演で、アメリカ・ヨーロッパ・中国の状況の紹介があり、日本はハイテク特化とサービス分野に強くなる他無いが、デフレの呪縛から解放されることが重要で、為替相場にあまり介入しなくてもドルは110円から120円に戻ると話していた。これと関連して往復の電車の中で「中国の台頭」を読んだが、中国の影響がいろいろな所に出てきたようである。(アメリカの原材料値上がりなど)

[15日(木)] 議事録、同窓会報原稿、ゴルフ、写真

 朝から昨夜の会議の議事録を作成し、道州制推進連盟のHPの活動報告に載せると共に、MLで会員に連絡し、併せて生活者通信への投稿を行った。資料の中味まで紹介できないのは残念である。
 お昼から気分転換にゴルフ練習場へ行き、アプローチの正確性を主体に練習した。近頃は大分飛距離が落ちたが、それでもアプローチがよければそこそこのスコアで廻れる筈であるが、飛ばすことに意識が集中するとアプローチに失敗して大叩きする。アプローチさえ自信が持てれば何とかなりそうである。
 帰ってから今度は大学の同窓会から頼まれた会員の消息という会報の原稿を作成し、投稿した。近頃はメールで依頼が来、メールで投稿するようになった。万年幹事は一体いつまで続くのであろうか? 同級生は平均寿命に達したが、2年続けて全員無事であった。
 その後成人の日に撮った写真の印刷をパソコンとプリンターで行った。以前使っていたソフトが何かの拍子に消えてしまい、慣れないソフトを使っているのでなかなか思うようにはかどらない。今回プリントの際、紙質の指定を正しく行うと、信じられない程綺麗なプリントができる事が分かった。その代わりカラーでプリントすると非常に時間が掛かるので、その間昨夜会計幹事から貰った日経の「地方から変える」シリーズの資料や、やはり日経で出版した津上俊哉著「中国台頭−日本は何をなすべきか」をいくらか読む機会が得られた。
 

[14日(水)] トレーニング、資料準備して夜会議

 水曜の午前は恒例のトレーニング、自転車を4km、40kcal漕いでから6種類の器械で筋力トレーニングを行い、温水プールに入ってクロールやバックで1000m泳いでから温泉で身体をほぐし、コーヒーを飲んで帰る。息をしないで20m泳げる時はまあまあの体調である。
 午後は夜の会議の資料を準備し、コンビニへ行ってコピーしてくる。又読み残した「国民の文明史」を最後まで読み切る。460頁もあるとなかなか読むのに骨が折れるが、目次の詳細も見ながら、全体の筋をわきまえながら読み切ったが、近頃稀な蘊蓄のある図書であった。
 夜は健康上の理由から原則として会議は敬遠させて貰っているが、道州制推進連盟の例会だけは、 主催していることもあって6時半から10時まで行っている。出席者の数は少ないが、熱心な討議で時々周囲がびっくりするような激論になる。種々のテーマについて討議したが、やはり日本人の文明観、国家意識の喪失が今日の危機を招いている点でほぼ見解が一致した。

[13日(火] 眼の検査と読書、日常役立つ仏教講座

 今朝は久しぶりに朝6時に起き、T病院に行って眼の検査を受ける。軽い糖尿病のため視力検査、眼底検査、白内障検査を3ヶ月毎に行っているが、少し白内障の気はあるが、その他を含めて今の所問題ないという診断であった。
 午後から日本工業倶楽部の素修会という哲学や宗教の勉強会に行くことになっているが、時間があるので、病院の近くと東京駅のドトール(コーヒー店)でそれぞれ約1時間、例の「国民の文明史」の読書を楽しんだ。特に昭和の大戦の文明史的意味や比較日本文明論は、従来の見方と全くと言って良い程異なる解釈で、興味津々であった。夏目漱石をはじめ大正期知識人が日本を狂わせたとか今まであまり見かけぬ歴史解釈であった。
 素修会では、立教大学横山紘一教授による「日常生活にいかす仏教」の話で、自分とは唯だ言葉の響きがあるだけで、唯だ「身」があり、唯だ「心」があるだけである。「自分」以外の全ての存在が縁であることに気づけば、「自分」がゼロとなり、無我となり、「生かされてある」ことに気付けば、感謝の気持ちがわき、慈悲心が生ずる。智慧と慈悲とを発揮しながら生きる人を菩薩というが、すっきり、さっぱり、さわやかが仏教の極意である。というような話であった。

[12日(月)] 成人式記念写真と「国民の文明史」シンポジゥム

 本来15日の成人式が第2月曜に変えられて、3連休の末日になった。成人式の孫娘が和服姿で現れ、いろいろな角度から記念写真をとった。子供だと思っているうちに、よく見るとすっかり美女に変身していた。之を見て、小学校二年生の孫娘があこがれ、同じく和服姿を希望し、記念写真をとった。デジカメなので、いずれパソコンとプリンターでプリントするつもりで、取りあえずスライドショーにした。
 午後は2時から6時まで、九段会館で「国民の文明史」発刊記念のシンポジゥムが行われ、参加した。千人以上集まったらしく、定刻20分前に到着したのに、空席が殆どなく、危うく立ちんぼになる盛況だった。著者は中西輝政、パネリストは入江隆則、片岡鉄哉、田中英道、西尾幹二で何れも新しい歴史をつくる会の論客である。日本文明の五大特徴は@一国一文明、A縄文と弥生の超転換システム、B換骨奪胎の超システム、C大深度の地下水脈、D重層文明で、日本には危機を乗り越える文明力があるという頼もしい話であった。ただ戦後GHQによってもたらされたアメリカ文明の換骨奪胎がまだ終わっておらず、日本人のアイデンティティや明確な文明観と国家意識が喪失状態にあるのが日本の危機の本質で、そこを回復するのが日本の危機打開の焦点であるというような話であった。

[11日(日)] 再び一族集合、すき焼きパーティー

 日曜なのでゴルフと思ったが、気温が低く、北風が吹くというので残念ながら止めにした。昨年は風邪から気管支炎に更には気管支喘息になってひどい目にあったので今年はゴルフは気温が10℃以上で風がない時に限ることにした。
 その代わり、昨日の続きで国民の文明史の目次詳細をパソコンで作成した。結局A4の紙で5頁になった。一度に読み切れなくて部分的に読むことになるので、目次詳細があると理解しやすい。本に出ている目次は部・章・節まででその下の小節が抜けている。
 目次詳細を完成してから、久しぶりに続々 GOLDEN AGE のコラムに「新年(2004年)を迎えて」と題する一文を載せた。前半は新年におきた事をいろいろ並べたが、後半は道州制推進に対する世間の反応が鈍いことを国民の文明史からどのように解釈できるかを検討し、基本的には戦後個人的利己主義に固まった国民に、再び家族意識、社会意識、国家意識を植え付けて行く努力が必要なのではないかと結論づけた。
 夜は孫娘の成人式とその妹の大学受験必勝を祈願し、息子が近く長期にマレーシアに出掛けるのを記念して、元日に続いて再び一族が集合して我が家ですき焼きパーティーを行った。正月の日曜日らしい雰囲気になった。

[10日(土)] 国民の文明史で日が暮れる

 今日は朝から晩まで「国民の文明史」に明け暮れた。午後の文化センターのいきいき倶楽部で急に何かやってくれと頼まれ、まだ読み終わっていないが、国民の文明史の途中までのエッセンスを午前中にまとめ、午後それに沿って話しながら、メンバーと討論会を行った。
 夜は又詳細な目次を作り始めた。1頁50行として2頁ぎっしり書いてもまだ全体の半分に達しない。何しろ460頁あるからまだ大分掛かりそうである。
 単なる歴史ではなく、歴史を動かす力に焦点が当たっているのでなかなか面白い。日本は今歴史的危機にあり、一般には乗り越えられるかどうか懸念されているが、著者は「歴史的危機」が「破局」に至るとは限らない。危機は人間の心の中で起こるが、日本人には危機に対処する力が間違いなくあると断言している。確かに占領軍が日本の伝統や歴史を極端に否定したため、今の青少年の国際調査では、日本の青少年だけが、極端に社会や国家に奉仕する精神が欠如していることが伺われる。果たしてこのままでよいのだろうか?
 日本文明史の底力は頼もしいが、具体的にいかにして危機を乗り切るか、更に読書をつづけてヒントがないか探りたい。

[9日(金)] 浮足立症候群に気をつけよ

 6日から始めた昨年の決算と税金の計算及び今年の会計報告資料の準備がやっと終わった。勿論まだ所得税の確定申告の通知が税務署からきておらず、又各種資料が今月末にならないと揃わないので、全く終わったわけではないが、あとはチェックしながら書き写し、裏付け資料を揃えるだけである。
 今日は北風で大分寒く、多摩川縁で散歩をしている人は見かけなかった。暖冬とはいえ冬らしい天気である。風邪を引かぬよう注意が必要である。
 構想ニッポンからメールで「浮足立症候群に注意せよ」と言ってきた。一寸要領を得ない表現であるが、あまり表面的な面でつべこべいわないで、もっと大局的、本質的な面を重視しようというような趣旨であった。イラク派兵がどうのこうのとか、テレビでは殺人事件のオンパレードであるが、大体日本が独立を回復した日をなんら記念せず、敗戦国のまま、自分の国を自分で守れないまま、やれ国連中心だとか、アメリカ追随だとか、勝手なことを言っているようでは話にならない。折角世界唯一の一国一文明の立場にいることをわきまえ、自らやるべきことをやる覚悟が第一に必要であろう。

[8日(木)] 日本の生きる道

 平成15年度の会計決算もようやく一段落した。パソコンに入っている勘定奉行の数字と帳簿の数字が一部合わなくて苦労したが、やっと記帳ミスを発見してつじつまを合わせることができた。あとは昨年度の税金の計算と申告及び今年の会計報告資料の準備だけである。
 午後から日本工業倶楽部の新春第一回木曜講演会とそれに続く新年会に出席した。講演会は前東北大総長の西沢潤一氏の「新年に思う」であった。同氏は大学を出て既に56年、私と同年代か少し先輩だが、未だに岩手県立大学の学長をやっており、新しい研究の成果を世に問う元気さが目立った。
 西沢氏は大学に入った頃から、日本の生きる道は何かを問い続け、人間社会にプラスになるもので、外国と違うものを作ること、工業加工立国に望みを託してきた。発光ダイオードの黄・緑・赤は最初の成果であり、10,000km直流送電による世界のエネルギーの有効利用や光通信による新展開など、新提案を世界に発信してゆくことが大切だと話された。最近は技術革新も一段落したような話も聞くが、未だ色々な面で可能性があるようで、久しぶりに楽しい話であった。

[7日(水)] 縄文化現象と大衆迎合主義

 毎週水曜はスポーツセンターへ行く日にしているので、今年も今日の午前からスポーツセンターへ行く。自転車を漕ぎ、6種類の器械で筋力トレーニングを行い、プールへ行って1000mばかり泳ぎ、温泉に浸かってからコーヒーを飲んで帰る。毎度のパターンだが、体重が0.8kg減少して74.4kgになりほっとした。
 帰りにコーラスへ行っていた家内を途中で拾い、多摩川縁のサンマルクというパン屋のレストランでお互いのバースデイ・ランチを食べる。子供連れやアベックで一杯だったが、世の中平和になったものである。
 家へ帰ってからは専ら昨日の続きの昨年度の決算を行ったが、それとは別に、財政赤字でこれほど危険な状態にいながら、世の中には殆ど危機感がない。以前はこれを島国根性と考えていたが、どうやらこれは縄文化現象で皆が政治的に眠っている状態ではないかと思うようになった。又碌に知識もない連中の意見を徴して世論調査といい、これに迎合するマスコミが目立つ様になってきた。民主主義の元祖ギリシャでも、大衆に迎合して衆愚政治となり、国を滅ぼす結果となった事は今でも通用する歴史的事実だと思う。これらについては別途「続々 GOLDEN AGE」に意見を発表するつもりである。

[6日(火)] 年賀状から先月分決算へ

 6日ともなると年賀状も大分少なくなってきて、今日届いたのは21通であった。大半がこちらの賀状の返信であるが、2通ばかりはこちらから出していないものがあり、早速パソコンのデータをプリンターで印刷して賀状をこしらえた。
 そこでいよいよ先月分の決算から始めた。一部年末決算に入ったら、あちらこちらと勘定が合わず、取りあえずは12月決算に止めた。又工事費の領収書という封筒に請求書が入っていたり、12月30日の通帳がつけてなかったので、途中で運動がてら銀行まで出掛けて、工事費の納入、通帳の記入を行った。
 今年も収支共に昨年と大差ないが、年末に来るはずの固定資産税などが新年にづれこんだので、その分が多少変化している程度である。これからしばらく昨年の1年間の決算をすることになるが、毎年税金を払うために相当苦労しなければならない。青色申告、確定申告と大した額ではないが、手数は結構かかる。特に2月中旬からでかけるので、早い内にまとめておきたいが、1月の末にならないと来ない資料もあり、うまく纏められるかどうか、これからしばらくの勝負である。

[5日(月)] いよいよ新年会のシーズン始まる。

年賀状の出入記録の整理や住所や郵便番号変更の整理を行った。筆まめというソフトで、会社関係の方の出入記録が画面をはみ出して困っていたが、会社関係でも個人を主とする新しい住所録ソフトが見つかって無事解決した。
 ついで「OK牧人の夢幻日記」というホームページのメールと掲示板について、杉原さんの指導を仰ぎながら、一応の恰好をつけた。ただし掲示板はHP管理者へ送信されるシステムになっているので、それをHPに編集・掲載するか、どこかの掲示板を利用して直接HPに掲載されるようにするか、一長一短があるので、これからしばらく検討したい。
 例年通り、新年会のシーズンとなり、私が社友になっているT社の新年会が夕刻17時から浜松町の本社ビルで行われた。関係会社や提携販売会社も含むので、非常に大勢の出席であった。今年はT社社長の挨拶の後、乾杯は親戚の提携販売会社の社長であり、最後の締めは私が最後に社長をしていた関係会社の社長であった。毎年この時でないと会えない方に大勢お目にかかることができたが、今年はT社の社長、会長をはじめ、私の関係した会社の社長さん達に、中西輝政著「国民の文明史」(産経新聞社刊)を読むと元気になるよと推奨し、序でに道州制推進連盟の名刺を配ってPRしておいた。そういえば、私の持論の「島国根性」は中西説によれば、「縄文化現象」と訂正が必要かもしれない。現在は「弥生化」が必要な時で、それが「道州制」だとますます確信を深めている。

[4日(日)] 好天気に恵まれ、本厚木で初打ち

 正月3ヶ日は春のような陽気であったが、今日も天気に恵まれ、気温は最高12℃未満ではあったが、風もなく、絶好のゴルフ日和であった。スタートを予約していないので、たまたま一緒になったメンバーの方は、学生時代野球の選手だったとかで、古稀は超えているのに、相変わらずスイングが鋭く、飛距離が素晴らしい。今日はドライバーとセカンドはまあまあであったが、アプローチとパットが悪く、スコアは90代後半であった。昨年は故障が多くゴルフも回数が少なかったが、最近は健康ゴルフなので、今年はなるべく毎週でかけたい。尚正月休み最終日にも拘わらず、東京-厚木間の東名高速は往復とも渋滞が無く、意外にスムーズであった。
 尚昨日から読み始めた中西輝政の「国民の文明史」は、巨視的な歴史ですっかり気に入った。本が厚いので時間はかかるが、今日の問題を解決するにも有力なヒントが与えられるような気がする。

[3日(土)] 種々の問題の根源は何か?

 昨日は新聞もお休みで、今日から再開した。早速元日に小泉首相が靖国"初詣"参拝したことが話題を呼んでいる。一つは公明が懸念を示し、野党が反発したという記事である。又靖国に何故初詣かという議論もある。大体宗教団体を基盤とする公明党が、首相の靖国参拝は宗教活動で憲法違反と解釈される恐れがある、というのも屁理屈である。野党は首相の靖国参拝が中国や韓国との関係が悪化するから反対というのもおかしな理屈で、野党は日本の政党ではなく、外国の手先かと思ってしまう。 大体どこの国でも戦死者を慰霊するのは当たり前で、野党は戦後の自虐思想から抜けきれず、内政干渉を誘発している。ただ靖国参拝は元日でなく8月15日がよいという意見が多いが、本来は独立を回復した(昭和27年)4月28日がまともだと思うが、マスコミをはじめ、まだ精神的に独立以前の祖国愛喪失状態と見える。
 憲法改正に必要な国民投票法案を国会に提出するよう首相が指示したそうであるが、これも遅きに過ぎる。日本人は護憲だとか改憲反対を叫ぶ人が多いが、世界的に見て、今や日本の憲法は骨董化しており、環境の変化に対応して改正するという世界の常識から外れ過ぎている。これも島国根性の現れの一つかと思われる。
 元外交官の岡崎久彦氏と文春の歴史研究家半藤一利氏の「日露戦争開戦100年対談」は面白かった。ロシアの満州占領に抗議しても、米・英は動かず、世界の世論は「日本は勝てぬ」であったが、日本は一人で覚悟をきめた。しかしそれに続く大東亜戦争を含めて、世界史的意義は非常に大きく、アジア・アフリカの独立に影響を与えている。トルコが親日的なのは日露戦争に起因することを現地で体験した。ところが明治の政治的判断が正しいのに、昭和のリーダーはレベルが低くなった。その原因は国民のレベルが下がったからだという結論であるがまさに図星である。問題はどうしたらレベルを上げることができるかで、マスコミを含めて議論が必要であろう。私は日本人にとって島国根性からの解脱が最も必要なことだと思っている。

[2日(金)] 一年の計は元旦にあり

 昨日はお昼から子供と孫を集めて、我が家で新年のお祝い兼誕生祝いを行った。4人の孫の一番上は今年成人式であり、一番下は今年小学校に上がる。今は幼稚園に行っているせいか、早くも簡単なかけ算の暗算ができるのは頼もしい。
 又400通近くの年賀状が届き、うち数通はこちらから出していなかったので慌てて出状した。夜までかかってやっと整理がついた。丁度筆まめのバージョンアップをした直後であったので、操作の違いにやや面食らった。
 今日はよいお天気で、午前中に近くの浅間神社に初詣に行ってきた。ここは鎌倉時代に作った神社で、木之花咲耶姫命がご祭神である。いつも近所にいる牛尾治朗や長島茂雄が多額の寄付をしているが、多摩川縁の高台にあり、容姿もなかなか趣のある神社である。
 一年は経つのが早い。やはり今年は何をするか元旦に決めておかないと、ずるずると何をしたか分からなくなる。数年前から個人活動計画として目標管理を行っているが、なかなか予定通りに進まない。なかでも老後計画は是非今年の前半で片づけたい。いろいろと手を出しているので家事の手伝いまで手が回らないと文句を言われている。これから昨年の会計から手を付け始めるが、2月にはミャンマーに行くことにしているので、結構忙しく、退屈するひまがない。年末に購入した中西輝政の「国民の文明史」を読むのも楽しみだ。

[1日(木)] 今日は満77才の誕生日である

 最近は自衛隊のイラク派遣、年金制度の崩壊、赤字国債の増発による財政破綻など好ましからざる話が多い。しかし幼少期から青年期にかけて戦乱に明け暮れていた時代からみると、現代はまるで夢の様な時代である。だから別のHPで「GOLDEN AGE」と名付けたのである。
 戦時中にはラジオはあったがテレビはなく、パソコンなど夢にも想像できなかった。技術革新は素晴らしいが、それに反比例して国民の精神的堕落が始まったように思われる。伝統的に島国根性というハンディは背負っているが、戦後の平和ボケと権利ばかり主張して義務感のない自己中心主義はもうそろそろ卒業してもよいのではなかろうか? この目で見たり聞いたりした事に関する感想を日記の形で続けて行きたい。









100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!